近所のスーパーで、時々、同級生に会う。
先日も、ばったり、高校の時の新聞部の仲間に会った。
・・・そうなんです。
高校の時は新聞部やったんです~
彼女は3人の娘がいて、真ん中の子がウチの長女と同じ。
田んぼのある兼業農家の長男に嫁ぎ、昔から、
堅実に人生設計をしている人でした。
ご主人は早々にリタイヤして、地域のボランティア活動にいそしみ、
今は自治会長をされているんだとか・・・ウチのダンナではありえへんな(苦笑)
長女さんは20歳ぐらいで職場の人と結婚、
ムコどのは養子になったらしく、敷地内に家を建てて住み、
孫はもう高校生になるんだとか~~~
次女、三女さんたちもそれぞれ結婚して、
最近、いちばん結婚が遅かったという次女さんが3人目を産んで、
孫は9人になったらしい~~~~おめでとう!!
そしてお姑さん、おばあちゃんが98歳で健在とのこと。
孫守りとおばあちゃんのお世話とでどこにも出かけられへん~
とか言いながら、1日30分というジム・・・カーブスには行ってるらしい。
その彼女に、
「アンタは、相変わらず、忙しくしてるん?」
と言われ、最近、地元の市民新聞で名前を見ないから、
(記名入りの記事は去年の3月で終了したのです)
もうやめたんやろかと思ったりしてたって言うんです。
記名入りの記事のコーナーが終わっただけで、
ちゃんと仕事はしてるよ~ と報告。
そういや、春に日曜大工センターで会った同級生にも言われたな。
みんな、記名入りの記事を読んでくれてたのね~
「同級生が頑張ってるんや~って、励まされてた」らしい。
みなさん、私はまだ、現役で仕事をしてますよ!
例えば、先日のこの記事。
書いてますから~
地元出身の勤王の志士「古高俊太郎」の没後155年祭。
今年は、師と仰いだ梅田雲浜の玄孫にあたる方がお越しになって、
ひとこと、ご挨拶をされました~
梅田雲浜は小浜藩士で儒学者でもあり、尊王攘夷を唱えた人。
安政の大獄で井伊直弼に捕らえられ、獄中で病死しはるんやけど、
京都で、俊太郎は尊王攘夷をこの方から学んだんですね。
幕末ファンはたくさんいて、5年前の150年祭の時も、
俊太郎が交流していた長州藩の、家臣の末裔という人が来られていましたね。
取材して書いた紙面を送らせていただいたんですけど、
その方は、今年は来られてませんでした。
でも、京都の幕末を研究してる人たちや、
福岡から初めて来たという人もいて、何人かは参拝されてました。
みなさん、いろいろ勉強されているようで、
式典が終わってから、梅田さんともお話しをされてたようです。
暑い時に、亡くなったんですね。
拷問を受け、牢屋に入れられていたのですが
京都が焼かれた禁門の変の時に、惨殺されたそうです・・・
36歳の若さでした。
そしてこの記事が掲載されて、編集部に
一本の電話が入ったらしいのです・・・・
クレーム??
さて・・・
先日も、ばったり、高校の時の新聞部の仲間に会った。
・・・そうなんです。
高校の時は新聞部やったんです~
彼女は3人の娘がいて、真ん中の子がウチの長女と同じ。
田んぼのある兼業農家の長男に嫁ぎ、昔から、
堅実に人生設計をしている人でした。
ご主人は早々にリタイヤして、地域のボランティア活動にいそしみ、
今は自治会長をされているんだとか・・・ウチのダンナではありえへんな(苦笑)
長女さんは20歳ぐらいで職場の人と結婚、
ムコどのは養子になったらしく、敷地内に家を建てて住み、
孫はもう高校生になるんだとか~~~
次女、三女さんたちもそれぞれ結婚して、
最近、いちばん結婚が遅かったという次女さんが3人目を産んで、
孫は9人になったらしい~~~~おめでとう!!
そしてお姑さん、おばあちゃんが98歳で健在とのこと。
孫守りとおばあちゃんのお世話とでどこにも出かけられへん~
とか言いながら、1日30分というジム・・・カーブスには行ってるらしい。
その彼女に、
「アンタは、相変わらず、忙しくしてるん?」
と言われ、最近、地元の市民新聞で名前を見ないから、
(記名入りの記事は去年の3月で終了したのです)
もうやめたんやろかと思ったりしてたって言うんです。
記名入りの記事のコーナーが終わっただけで、
ちゃんと仕事はしてるよ~ と報告。
そういや、春に日曜大工センターで会った同級生にも言われたな。
みんな、記名入りの記事を読んでくれてたのね~
「同級生が頑張ってるんや~って、励まされてた」らしい。
みなさん、私はまだ、現役で仕事をしてますよ!
例えば、先日のこの記事。
書いてますから~
地元出身の勤王の志士「古高俊太郎」の没後155年祭。
今年は、師と仰いだ梅田雲浜の玄孫にあたる方がお越しになって、
ひとこと、ご挨拶をされました~
梅田雲浜は小浜藩士で儒学者でもあり、尊王攘夷を唱えた人。
安政の大獄で井伊直弼に捕らえられ、獄中で病死しはるんやけど、
京都で、俊太郎は尊王攘夷をこの方から学んだんですね。
幕末ファンはたくさんいて、5年前の150年祭の時も、
俊太郎が交流していた長州藩の、家臣の末裔という人が来られていましたね。
取材して書いた紙面を送らせていただいたんですけど、
その方は、今年は来られてませんでした。
でも、京都の幕末を研究してる人たちや、
福岡から初めて来たという人もいて、何人かは参拝されてました。
みなさん、いろいろ勉強されているようで、
式典が終わってから、梅田さんともお話しをされてたようです。
暑い時に、亡くなったんですね。
拷問を受け、牢屋に入れられていたのですが
京都が焼かれた禁門の変の時に、惨殺されたそうです・・・
36歳の若さでした。
そしてこの記事が掲載されて、編集部に
一本の電話が入ったらしいのです・・・・
クレーム??
さて・・・
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