おかんのネタ帳

日々の雑感や興味のあることを書いています

深夜の女子会?

2012-08-16 21:59:05 | My Family


今年、わが家の庭に来た、ヒョウモンチョウ。
ゆったり、ふわりふわり、飛んでました~。
今年も、来てくれたんやなぁ・・・

夕べ、めずらしく娘たちと3人で、「ジャニ勉」を見てました
「女子の気持ち知ってんKNOW」っていう人気コーナーがあって、
毎回、いろんなテーマで街の女子にアンケートをとってます。

今回のテーマは、

「実は…意外と好きかも男子のこんなダメなところ」。

「弱音を吐く」「甘えた」「料理ができない」「手先が不器用」・・・・
という感じの答えが上がってたんやけど、
ウチの娘たちは、「え~?」「そうかな~?」という反応。
ちょっと、面白い。

「初めてお父さんに会うた時、最初に聞いた質問が、
 『野球はどこのファンですか?』 やったわ」

「それは、おかんだけやわ」 by次女。

「野球を知らん、ていう人はどうかなぁ。サッカー好きは多いけど」 by長女。

「その次にお父さんに聞いたのは、『お酒はナニが好き?』」

「だから、おかんだけやって、そんなん聞くの」 by次女。

「お酒飲めへん人は考えられへんな。酒ぐせ悪い人は論外やけど」 by長女。

「私は、どっちでもええかな」 by次女。

「『どんな音楽聴いてますか?』ってお父さんに聞いたら、
 ちょうど、渡辺真知子と中島みゆきを聞いてる、って言うてて。
 『さだまさしのLPを持ってる』っていうたら聴きたいっていうし、
 カセットに入れてあげてんな~」

「LPって! カセットって!」 by長女。

そんな話から、どんな音楽が好きかとか、どんな漫画が好きかの話になり・・

「私の好きな漫画はナニ?って聞かれたら『スラムダンク』かな」 by長女。

「私は、『幽々白書』やわ」 by次女。

「あ、それもありやなぁ」 by長女。

そこから、漫画に出てくる「名セリフ」「名言」の話になり・・・

そう言えば、応援する若手イケメン俳優さんの誕生日に、
ファンレターを送ったんやけど (ええやんか~)
誕生日やし、そこに、”人生の名言”を添えまして (ええやんか~)
あれこれ考えたんやけど、なんせ、娘と同世代の俳優さんやから、
漫画の中に出てくる名言を添えたんですね。

「『スラムダンク』の、安西監督の言葉やけど・・」

「『諦めたら、そこで試合終了です』!」 by長女。

「あぁ、あったあった!」 by次女。

「もうひとつ、ドラえもん『のび太の結婚前夜』から、しずかちゃんのパパの・・」

「あぁ、『彼は人の悲しみがわかる良い人や・・』みたいなセリフ!」 by次女。

「『しずかちゃんが、のび太くんを選んたのは正しい』っていうのんやな」 by長女。


気がつけば、またまた丑三つ時・・・

もちろん、ダンナは、とうに寝ておりました。

久しぶりに、娘たちの会話を聞いてちょっと和みましたね(笑)

・・・娘たちの、”のび太くん”はいつ現れるんやろ~


大津京をゆく

2012-08-14 22:39:40 | 湖国日記
今朝、雨がすごかったみたい。
まったく知らずに爆睡してた。

なんせ、めったにない、ダンナも娘も休みという今日なんで、
ゆっくり朝寝が出来る日やったんですね。

いつもなら、5時に起きて6時前のJRで出勤するダンナなんで、
もし、出勤してたら、どこかで足止めになって、
職場にいつ着くかわからんかったかもやん。
新幹線も、京都~大阪間は止まってたし、名神高速も通行止めやった。

京滋バイパスが通ってる宇治のあたりと、大津の外畑地区で、
浸水や土砂崩れなどの被害があったみたいで心配です。
どうぞ、ご無事で・・・



一昨日、滋賀里から見た琵琶湖です。

志賀の大仏からUターンして、西大津バイパスのあたりで南の方に降りて行きます。
道しるべとなる表示板があるので、比較的迷わず、目的地である、
「南滋賀町廃寺跡」にたどり着きました。



大津京に関連する大きな寺院があったらしく、礎石の一部が遺っています。
ここは公園になっているので、この日、ご近所の方たちと思われる人たちが、
大勢で、なんと、バーベーキューを楽しんではりました~~

汗まみれのオバチャンが水をさしてもあかんので、
というか、恥ずかしいので、説明板を確認して、スルー・・・

標識にしかがって南下していくと、近江神宮があります。



この日は寄らなかったけど、ここには、天智天皇が作らせたという時計「漏刻」があり、
時計博物館 (平成22年に、時計館宝物館として新装された) とかもありますね~

京阪電車の近江神宮駅を左手に見て南に進むと、
住宅街の中に広々とした空き地が見えました。



「近江大津宮錦織遺跡」です。
ここでは、掘立柱建造物跡などが発掘され、
大津京の中心となる大津宮の内裏と南門があった場所のようです。

667年に、中大兄皇子は飛鳥から都を大津に移します。
ここで即位して天智天皇になり、日本最初の戸籍である庚午年籍を作り、
法律である近江令を制定するなど、画期的な事業を行っています。

しかし、672年、天智天皇の死後、弟の大海人皇子と、
息子の大友皇子が皇位継承を争って壬申の乱が起こり、
大海人皇子が勝利して、また都が飛鳥に戻されます。

大津京は、わずが5年で姿を消してしまうんですね~

そこから山手の方に上がり、皇子山古墳を右手にみて皇子が丘公園へ。
皇子が丘公園内を南下すると左手にテニスコートが見えてきます。
テニスコートの右手に看護学校の門が見え、
その続きに、おごそかな「法明院」の石碑が見えてきます。




この奥に、法明院があり、そこに、あのフェノロサのお墓があるんやね~
フェノロサは、明治11年に来日、教鞭をとるかたわら、日本の古美術を研究、
海外に紹介し、日本の美術行政、文化財保護行政に深く関わったと言われる人。
仏教に帰依してこの法明院で改宗したとか。
ロンドンを旅行中に死去、遺言でここに埋葬されたらしい。



フェノロサのお墓。
法明院の奥にある墓地に埋葬されています。
琵琶湖を望むここからの景色が好きやったから、って聞いたようなきがするけど、
墓所からは、まったく見えないですわ。



静寂な雰囲気のところでしょ。

法明院から出て、皇子が丘公園のテニスコートの横の階段を下りて、
細い坂道を降りていきます。
前方には、琵琶湖が見えますね。

標識に従って右手に入ると、弘文天皇陵があります。
壬申の乱で破れた、大友皇子ですね。



もし、勝ってたら、大津はどうなってたやろ~
大津が歴史の中心になってたかもやで。

さて、大津市役所の前を通って、大津市歴史博物館へ。
もう5時になろうとしてたので、寄らずに帰路に。

ちなみに、今回のコースは、「滋賀を歩こう」 の、
「大津京の道 いにしえの都を歩く」の地図に従って歩いてみました。

案内板や、「自然の道 歴史の道」の標識が各所にあって、
ほぼ、迷うことなく歩けますね。

紅葉の秋、ぜひ、歩いてみてくださいね~

さて、明日は終戦記念日。

原稿三昧、かな・・・


志賀の道

2012-08-13 23:32:10 | 湖国日記
昨日の出発点は、滋賀里駅からでした。
まっすぐ山手に向かい、突き当たりの八幡神社を左に折れて、
観光案内板を参考に右に折れて、小さな坂道を登っていきます。

両側には普通の民家が続くので、この先に古墳やらがあるって、
信じられへんぐらい、ホンマ、普通の町並みでした。

でも、坂を登るにつれ、徐々に、石垣のある大きな家が増えていくんですね。



そういや、あの石垣軍団”穴太衆は”、この当たりから出た職人軍団やったわ。

地蔵堂を経て、同じような坂道進むと、やがて民家がとぎれ、
木々が生い茂る峠道が見えて来ます。

この道を進むと京都へ出ます。
志賀越えという古い道で、山中町を経て京都・荒神口へと向かいます。
現在の山中越え=県道30号の経路は、近世に出来た道で、
昔は、この道を山中越えと呼んだらしいです。

右手に、「百穴古墳群」が見えたので、それを横目に道を進みます。



だんだん、深い森の中に。
水の流れる音と、鳥の鳴き声、セミの声だけが響きます。

やがて見えて来たのが、志賀の大仏(おぼとけ)です。



旅人が道中安全を祈願したと言われている阿弥陀如来像です。
花崗岩に厚肉彫りしてあり、像高は3,1m、鎌倉時代中期頃に作られたとか。



このあたり、虫がまとわりつくように飛んでるんで、
虫除けスプレーをかけながら歩いてました。
汗やらスプレーやら虫やら~ ちょっと情けないオバサン・・・

ここから峠へ向かって進むと、右手奥に崇福寺跡があります。
天智天皇が大津京遷都の翌年に建立したとされるお寺で、
三つの尾根から建物跡が発掘され、塔跡の心礎からは、
国宝舎利容器が発掘されてるらしいです。

ここからUターンして百穴古墳群へ。
相変わらず、虫が寄ってくるし~~



ひっそりとした木々の中に、こけむした石が見えます。
古墳時代後期に作られたお墓が集まったところで、多くは削られたり流出してるけど、
すべてドーム状の横穴式石室を持つ円墳らしいです。



石棺も遺っていて、見ることが出来ます。



こういうのがいくつか遺っています。



崩れているのを含めると、かなり多くのお墓があったことがわかり、
なので、「百穴古墳群」と呼ばれてるんですね。



なんか、すごいね~



説明板を読むと、1箇所に2,3人が葬られ、装飾品や、
土器などの副葬品も多く埋められていたようです。
お祭り用のミニュチュア炊飯セット(カマド・カマ・ナベなど)も納められ、
これらの特徴から、中国や朝鮮半島からの人たちが関係するのではと考えられているとか。

ちなみに、滋賀里駅から百穴古墳まで、15分ほど歩いたところです。
大仏はそこから5分。

こんな近いところに、こういう古墳が遺ってるってすごいでしょ。

さて、ここから、大津京があったあたりを歩きました。

長くなるんで、続きは次回に~~


お盆まっただ中・・・

明日は雨かな?



休息、休足

2012-08-12 23:44:16 | いやしん坊バンザイ!
今日は、8kmぐらい歩いたんで、もうヘトヘト・・・
朝から、お坊さんのお参りがあって・・というても、10分ほどやけど、
なので、午後から大津まで出かけました~

もちろん1人で、ちょっとコワイとこもあったり、
長いもんに出会ったり・・・上り坂あり~の、下りがあり~の。

今、足の裏がだるいし、この前から痛い、左臀部の足の付け根?が、
またまた痛くて・・・今夜は早めに寝ます。

日本のオリンピックも、終わってしもたしね~

なので、今日のレポは、また次回。



これは、今夜じゃないけど、いただきもののモルツを、
ダンナと分けて飲んだので、パチリ。

手前のは、チヂミ。
イカと豚肉、玉ネギ、ニラを入れました。
向こうに見えてるのは、いただき物のカボチャを素揚げして、
自家製の麺つゆをかけたもの。
カンタンメニューばっかりです。

もうすぐ、わが家のゴーヤーも登場しますよ~

はぁ~、疲れたび~

同じように、疲れた~と言って、足すっきりシート「休足時間」を、
足の裏とふくらはぎに貼ってる娘が~

関ジャニ∞のイベントに連チャンで行ってたらしい・・・



近江牛の老舗

2012-08-11 23:24:41 | お仕事メモ
毎年やけど、12日の明日が、お坊さんのお参りがある日なんで、
仏壇のある座敷を掃除しやなあかんし、というか、ネコたちが破った、障子を今年もまた、
張り替えないとあかんのですね。
いくら、わずか10分ほどのお参りとはいえ(苦笑) ちゃんとしとかなね。

と言いながら、朝から仕事やったけど~
またまた、面白い出会いがあったんやけど、この話はまた今度ね~


昨日、仕事でお邪魔したのが、彦根にある近江牛の老舗
「千成亭」の、別館「華見」。



気付かずに通り過ぎてしまったくらい、表は地味です~
彦根の袋町に近い、橋本商店街の一角、元呉服店の建物を改装して、4年前にオープン。



中に入ると、中央の奥に中庭が見えます。
和風の、モダンな建物ですね~



中庭に向かって左手に行くと、手前にカウンター席。
鉄板を前に、近江牛ステーキなどが味わえる洋風の佇まいです。
もともと畳のお部屋やったのを改装して、中庭が見える鉄板焼きコーナーになってます。

中庭を右手にすすみ、庭に面して左手に曲がると、茶室をイメージした小さな個室が二つ。



掘りごたつのようになっているので、座りやすいですね。

その奥には、蔵を改装した洋室が続きます。



床が高くなっているけれど、天井も高いです。
天井には、よく見ると竹が組まれていて古さを感じますね。

「千成亭」は、近江牛の味噌漬けで知られてるんやけど、
彦根藩が江戸時代にを許可された唯一の藩やったらしいです。
皮をはいで太鼓などに使われたようやけど、肉を「養生薬」の名目で、
味噌漬や干し肉として将軍家へ献上していたとか。

そういえば、近江牛を楽しみにしていた水戸藩士が、
江戸幕府への近江牛の献上を断った近江彦根藩藩主・井伊直弼を恨んで、
桜田門外の変がおこった、なんて説もあるらしいよ~

食べ物の恨みは恐ろしいって!

千成亭華見では、ランチは 2500円~
鉄板焼きコーナーでも、3000円からステーキが味わえます。
おすすめは、「ステーキまぶし」・・・ステーキがご飯にのっかてて、
最後に、お茶づけでいただくという、贅沢なもの・・・らしいよ。

詳しくは → こちら

今度行くときは、ぜひ、食事をしたいもんです・・・

経費で落ちひんかしら・・・??


コメダデー

2012-08-09 23:13:46 | いやしん坊バンザイ!
昨日、用事があって友人と会うのに、
待ち合わせした場所が、栗東のコメダ、でした~。

久しぶりに会う人やったんで、わかりやすい場所をとここを選んだんですね。

コメダに行くのも久しぶりやけど、朝やし、モーニングがオトクやん。
コーヒー380円に、トーストと玉子がついてるんですわ。
なので、朝食にパンを食べたけど、10時のコメダで、モーニングを注文~



トッピングはバターではなくジャムで~

なんとなく周囲を見たら、けっこう入ってます。
しかも、シニアな方が多いですわ~

若い人は、スタバか~??



そして昨日の午後は、彦根まで行って、佐和山城跡に。
1人で山道を歩いていたら、ふと不安に。
そんなに高い山ではないにしろ、万が一、道に迷って遭難?でもしたら、
誰にも気付かれへんかも・・・

なので、携帯で友人に写メール・・

「只今、佐和山に登り中」

「暑いのにご苦労さま。まさか1人じゃないよね?」

「ひとりやで~。もし遭難したら見つけてもらえへんかもやし、
 連絡しときますね~。今、山頂やから、これから下山するけど」

「へぇ。じゃ、あとで、彦根駅の東口にある喫茶店でお茶でも」

下山したら車で迎えに来てくれてました。
ありがたいことです~。車に乗せてもらって、
その、「東口の喫茶店」へ・・・

最近出来たというそのお店・・・・なんか見慣れた看板が・・・

「まさか、あれ?」

「そうやで~」

「コメダやん!」



彦根駅東口にある、コメダで、ミニシロノワールとコーヒー。

本日、コメダデーやな。

それにしても名古屋パワー、すごくない?

あっちこっちに進出してますやんか~

 



佐和山城跡

2012-08-08 22:24:14 | 湖国日記
新聞を読んでたら、お城好きの歌舞伎役者、板東三津五郎さんが、
彦根で講演会をされたという記事が載ってました。

以前から城郭を特集した番組とかで、「彦根城が一番好き」って言うてはったけど、
ホンマに、ほんまらしいわ~。

彦根には、彦根城ができる前に、もう一つのお城がありました。
「佐和山城」です。あの、石田三成の居城で、

「治部少(三成)に過ぎたるものが二つあり。島の左近と佐和山の城」

って言われたぐらい、山頂に五層(三層説あり)の天守が高くそびえたつ、
そんな、近世城郭を、三成が築いたと言われています。



その、佐和山城跡に、行ってきました~
彦根駅西口から北に20分あまり歩くと、佐和山城跡の登り口に着きます。



向こうに見えるのが佐和山。
踏切を渡って左手に進むと、座禅など修行場として知られる清涼寺、
井伊家の菩提寺でもある、龍譚寺が見えてきます。



龍譚寺の境内から、墓地を通って登るんですが、
木々が生い茂る薄暗い境内を進み、墓地の間を通るのは、ちょっと、コワイ?
誰も、通ってないからねぇ~



なんとなく、ひんやり感がある小径を進んでいくと、
徐々に上り坂に・・・下草が刈られ、よく整備された遊歩道ですね~。



途中に、古絵図に「かもう坂通り往還」と記される切り通しがあります。
鳥居本方面へ向かう道ですが、江戸時代は、東山道(中山道)と琵琶湖を結ぶ道として、
旅人や牛馬が通ったとされています。

ホンマに、こんな山道を通ったんかしらねぇ~



本丸跡です。
ここから、彦根市街、彦根城、琵琶湖まで見渡すことができます。



逆光なんで、ちょっと見づらいけど、なかなか眺望はステキですね~



これは、隅石垣。
佐和山城の、石垣の遺構ですね~

関ヶ原の戦いで西軍が負け、佐和山城は落城します。
その後、石田氏滅亡の後、徳川四天王の一人である井伊直政が入城しますが、
三成が善政をして領民に慕われていたこともあり、佐和山をあきらめて、
新しく築城することにします。

直政の死後、嫡子の直継が計画を引き継ぎ、大津城、佐和山城、小谷城、
観音寺城などの築材を利用して、天下普請によって彦根城を完成させます。

佐和山城の建造物は彦根城へ移築されたもののほかは徹底的に破壊されたため、
城址にはほとんど何も残っていないようです。

それでも、、石垣、土塁、堀、曲輪などが遺っています。

本丸までは、約40分ほど。
暑かったけど、風があったので、それほど大変ではなかったですね~

午後から登ったんやけど、出会った人は3人。
愛想のなさそうな?カップルと、40代ぐらいの男性。

ま、カップルは、汗臭いオバチャンに、二人の世界を邪魔されたくなかったんやろうね。
だいたい、オバチャンが、一人で、真夏に城跡を登ってるってあまりいてないハズ。
怪しかったかも~?

そもそも、今日は大津方面に行きたかったんやけど、
琵琶湖大花火大会やったんで、あきらめました。

相変わらず、夕方から、JR琵琶湖線は電車もどこの駅も、
めちゃめちゃ、混んでたらしいです。
彦根からの下り電車も、浴衣姿の女の子いっぱい乗ってましたよ~。

さぁて、今週は忙しい・・・お墓の掃除にも行かんとね・・・。


ほたる寄席

2012-08-07 11:11:15 | マイブーム・落語
夕べ更新しようと思いつつ、なでしこ見てたらアップできず・・・

今回もヒヤヒヤやったけど、勝ってよかったわ~



日曜日、守山市民ホールの小ホールで、「ほたる寄席」がありました。

3年前から”復活”して、年に3回行われます。
なので、今回は、復活第7回。納涼寄席になってます。

納涼のわりには、あんまり夏に特化した噺とちゃいましたけどね(苦笑)

笑福亭 喬介  時うどん
桂 かい枝   堪忍袋
笑福亭 鶴二  ねずみ

時うどんて、どっちかいうと冬向きな噺やん。
ふーふー言うて食べるしね~(笑)

喬介くんは、三喬さんの弟子。
声もよう出てるし、ま、ま、これからですね~
娘と同じ年やん。若いなぁ。
でも、うどん食べるとことか、めっちゃ、ウケてたよ~
特に、妙齢のオバサマ方から~!

ちなみに、時うどん、喜ぃ公と清やんの二人が登場する、
上方らしい方の、時うどんでした。

かい枝さん、まくらがけっこう面白くて、
自分のヨメが天然で、空気も読まずに放つ言動に、
いつもヒヤヒヤするという話・・・まぁ、落語家さんの話やし、
どこまでホンマかわからんけどね。

新神戸から東京へ向かう新幹線の中、めったに乗らないグリーン車。
新神戸から、「や」のつくご一行と一緒の箱やったらしい。
4歳だか5歳だかの息子が、椅子についてるテーブルを出したり引っ込めたり。
あぶないな・・・ヨメが、ついつい、息子に言うた・・・

「指、つめるで~」

そういう夫婦の話から、「堪忍袋」になったんやけど、
サイズが短くなってましたね。
パンパンになって、最後に破裂して、中に入れてあった「グチ」「もんく」が、
出てきて、また大ケンカになる、というサゲになってました。

長屋中に貸したり、大店のヨメと姑の話は、すっぽり抜けてました。
でも、まぁ、面白かったけどね。

でも、相変わらず、小ホールに半分ぐらいの入りの客席を見て、
ちょっと、がっかりしはったみたいで、堪忍袋に、

「今日は落語家3人出てんのに、お客さんこんだけ・・・
 わいのギャラはあるんか~」

なんて、「一部実況でお送りしました」 って。
しゃあないやん。いくら田舎でも、もっとメジャーな噺家さんなら、
たくさん入りますのんよ~  と言うてみる。

大ホールの寛平ちゃんも、7割ぐらいやったしな・・・
文化度、低いんか~? 守山市民!
売れてなかったら、後ろの方の席を中高生に開放したらええのに~
学割で、後部席1000円ぐらいなら売れるんちゃうん・・・


それでも、トリの鶴二さんが登場すると、前の方の席から、

「待ってました~!」 とお声がかかりましたよ。

地元の方なんか、追っかけファンかわからへんけど。
鶴二さんは、5代目松鶴さんの最後のお弟子さん。
松鶴さん風味のしゃべり口調ながら、丁寧な落語をしはりますね。

お題は、人情話の「ねずみ」。
12歳の子ども、卯之介が登場するねんけど、
ホンマに狡猾な感じで、かわいさが足らん感じかな。
吉弥さんの卯之介を見てるからやろけど(笑)

落語に登場する子どもは、ずるがしこうても、かわいくあって欲しい。
だって、所詮、子どもやし、バカバカしいお笑いの世界やしね。
落語に登場するアホも一緒。
アホやけど、憎めない、かわいいのんが好きやな。

それにしても、「ねずみ」のサゲ、聞くと胸が痛い・・・

「あれは、虎ですか~? ネコか思た~」

ねずみは、ネコかと思って怖くて固まった、ってことやねんけど、
人間からすると、ネコより虎の方がコワイですよね~

あの虎は・・・・オリンピックの陰に隠れてるけど・・胸が痛い~


客席は半分ぐらいしか入ってへんけど、お客さんはよう笑ってはります。
最初の頃にくらべると、みなさん、お客としてのウデをあげてはりますよ。

夏休みやし、こっちも、学割とかシルバー割で販売すれば売れるんちゃうの?
日本の伝統文化、広めて欲しいなぁ。


次回のほたる寄席は、11月25日。
江戸落語。三遊亭兼好さんがきはります。
去年もきはったけど、面白かったよ~
お時間ある方、どうぞ~





グリーンカーテン

2012-08-06 02:03:06 | 日々のつれづれ
暑い日々です~

って、毎日、同じこと言うてますけどね。

今年植えたゴーヤーは、植えたのが遅かったのか、あんまり繁ってなくて、
うっすいグリーンカーテン・・・肥料も水もたっぷりあげてるんやけど。

花はいっぱい咲くねんけど、実は、あんまりなってないねんな~



長男です~



次男です~

まだ、2個!

たくさんできても食べきれへんから、いいけどね。

ゴーヤーの和名は、ツルレイシっていうらしいです。
果肉が苦いので、ニガウリ とも呼ばれ、沖縄ではニガウリのことを、
ゴーヤーって言うんですね。

原産地は熱帯アジア。
日本では南西諸島と南九州で多く栽培されているらしいけど、
最近は、けっこう広い地域で栽培されてます。

エコとか節電にと、グリーンカーテンにも利用されてるし、
食べれるから、一石二鳥? 

あまり繁らないし、なかなか実ができないわが家のゴーヤー。

でも、虫もついてないから、育てやすいですね~。

けど、もっと繁らさんと、カーテンにならへん・・・

来年、リベンジしよ~



アメマ~ 登場!

2012-08-05 01:32:37 | 日々のつれづれ


夕暮れの浜大津。
暑い日々やけど、夕暮れの空を見てると、暑さを感じないですね。



ホテルの喫茶室から見た、夕焼け。



さて、昨日は、「市民カレッジ」の第2講目がありました。

講師は、コメディアンの、間寛平さん。

テーマは、「アースマラソンの裏側をお話します」。

いや~、楽しかった。テレビで見るまんまやけど、
本当に、えらそぶらず、時々ギャグいれたり、会場のお客さんをいじったりしながら、
走ってきた国々でのエピソードをたっぷり、聞かせてくれました。

最初に、スクリーンで、「アースマラソンダイジェスト」が流され、
寛平さんの2年にわたる偉業を予習。

何度か、ホームページやブログを見にいったことはあったし、
ニュースなどで知ってることもあったけど、でも、知らないこともいっぱい、
VTRも楽しかったですよ~。

なぜ、アースマラソンに挑戦しようとしたのか。
自分の体力の低下を感じた時に、60歳までに、もう一度ナニかに挑戦したいと思ったそうな。

寛平さんが24時間テレビで走るきっかけをつくったのが、
その当時のマネージャーの比企さん。
現在は、吉本不動産の社長をしているという、その元マネ比企さんに相談。

いろいろ考えて、調べて、ヨットとマラソンを合わせたアースマラソンを企画。
そのための費用捻出をどうするか、アメマバッチの借金があるんで(苦笑)
家を担保に入れて・・・と思ってたら、その企画に、日本テレビが食いつき、
そこに電通も食いついて、費用の心配はなくなったとか。

でも、大手企業がタイアップしたことで、予定に変更が。
当初6月に出発して、夏の太平洋をヨットで渡る予定が、
企業の思惑などで、12月に出発、年明けの冬の太平洋に出港という、
コワイ旅立ちになったそうです。

「ほんまに、コワイよ~ 波は高いし、暗いし。あんなコワイことはないよ~」

でも、そういうなんを受け入れるのが、寛平さんらしいですね。
サンフランシスコに到着するまでの間、死と向き合うような日々。
ヨット経験者である比企さんと、乗る前に資格を取って勉強してきた寛平さん。
それでも、あの試練は人間を変える、そう言うてましたね。

それでも、本当の苦しさは、ユーラシア大陸に行ってから。
最大のピンチが何度もやってくるんですね。

一番大きなピンチは、トルコで受けた検査で、前立腺ガンが発見されたこと。
心配を抱えながら走り続け、アメリカに渡って2ヵ月治療に専念し、
そこから、また戻って走り出したという寛平さん。すごいね~

2年間という長い挑戦から戻って、今は仕事にも復帰、
その中で、こうやって、講演活動もしてはるんやね~

8月13日から、東北を走るそうです。
震災復興マラソン。→ こちら
阪神淡路大震災で、わが家が壊れた寛平さん。
被災地の子どもたちを元気づけたい。
今、自分にできることとして、走る準備をしてきたそうです。
えらいなぁ~

昨年は、毎回超満員やった市民カレッジ。
前回の松居一代さんの時も少ないな、とは思ったけど、
今回も、700人あまり。市民ホールの後ろの方は空いてました~
残念やねぇ~

ちなみに、3講目は、9月30日(日)。
講師は、評論家の青山繁晴さん。
今の日本のことをいろいろ聞けるハズ。
時間のある方は、どうぞ~~