手洗いの母
2020年4月20日(月)
「手洗いの母」とは、私の母のことであります。(ハハハ)
「手洗いの父」とは、ハンガリー人の医師、ゼンメルワイス(センメルヴェイス)・イグナーツ(1818年-1865年)のことであります。
以下ネットから引用しました。
イグナーツ・ゼンメルワイスは、ルイ・パスツールによる病気の細菌説が広く受け入れられる数十年前も前に、医師は徹底的に手の消毒をしてから患者を扱うべきだと主張していた。だが今日では医療の常識であるこの処置を、当時の医師らは簡単には受け入れなかった。
1818年7月1日生まれのゼンメルワイスは、1846年にオーストリア・ウィーンの総合病院の産科に勤務し始めた。そこで、医学生の臨床実習を行う病棟の産婦死亡率が10%以上、時には約40%と極端に高いことにすぐに気が付いた。それとは対照的に助産婦の訓練を行う隣接病棟の産婦死亡率は、当時の平均値である3%以下にとどまっていた。
<aside class="center">「当時の医学生は検視を終えると、手を消毒しないで真っすぐ分娩(ぶんべん)の介助に駆け付けていた」。
ゼンメルワイスは、せっけんの使用だけでは不十分だと考え、高度さらし粉(塩素化石灰)水溶液による5分間の手洗いを義務付けるという厳しい体制を取った。この「非常に簡単な方法」で、ゼンメルワイスは産婦死亡率を「ほぼゼロまで」下げることに成功した。
ハンガリー人医師ゼンメルワイス・イグナーツは消毒の先駆者だったが、手洗いを医療の改善と結びつけて説いたことで嘲笑された。
画家ロバート・トームが描いたオーストリア、ウィーン総合病院でのワンシーン。医師たちが産科の患者を診察する前に手を洗うところをゼンメルワイス(中央)が見届けている。
このコロナ騒動が起きた後最近になって、wifeが言うには、私の母が70歳代で腎臓の手術を受けるため入院したのですが、病室に入るや、ドアノブなどをアルコール消毒したと言うのであります。何故、そんなことをしたのか?
私が子どもの頃、行楽で野外で弁当を食べる時は、母はアルコールを湿らせた脱脂綿を持って来て、手指消毒をさせていました。何故、そんなことをしたのか?
母は助産師でした。間違いなく、このメンデルワイスのことを学び、手洗いの重要性を知っていたのだと思います。
母の影響かどうか、私は子どもの頃から、店等でトイレに入る場合、ドアノブがとても気になります。トイレの構造によれば、手を洗った後、ドアノブを触らなければならない所もあるんですね。構造上可能であれば、足で蹴ってドアを開けたり、ドアを足で押さえて半開きにして手を洗い、手で開けるのではなく肘で開けるなどの(コロナ)工夫をしております。(笑)
2019年9月21日の朝日新聞です。
益田小蝝(こえん)さんという助産師は、9千人!の赤ちゃんを取り上げたといいます。絶句!9000までの数字を読み上げると一つの数字に2秒かかるとしたら、2時間半かかります。
ゼンメルワイスは、もちろん、歴史上の偉人でありますが、この小蝝さんも、私は同じように偉大と思うのであります。
私の母は、手指消毒の必要性を教えてくれて、私にとっては、petit偉大な母なのであります。(ハハハッ)
今日は、外出しました。イオンが5%引きの日でありましたので、2種類の酒類を購入いたしました。5日前には、レジ待ちのディスタンス表示はありませんでしたが、線引きが行われていました。皆さん、よく理解して並んでおられました。
レジスタッフとの間は、透明のビニールシートで区切られていました。店内での濃厚接触はありませんでした。
店内出入口にアルコール消毒液を置いています。私は、入る時と出る時手指消毒いたします。ご意見箱がありますので、次の意見を言おうと思います。
「荷物があると、手指消毒がし難いので、荷物置き台があると良いと思います。」