水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

悪果

2007年10月13日 | 日々のあれこれ
 学生時代、試験前ほど本が読めた。それは逃避でしかないこともわかっていても、早急にやらなければならないことをさしおいて罪悪感を抱きながらする読書ほど集中できて楽しいものはない。昨日の夕方、試験問題づくりの合間に、ちょっとだけ読み進めようとした黒川博行『悪果』は、途中で本を措く能わず、校舎を閉めねばならない時間まで読んでしまった。おもしろかった。
 主人公は、大阪は今里署のマル暴担当刑事、堀内。彼が自分の立場を利用してシノギ(小遣い稼ぎ)をするその手法の描写は極めてリアルだ。堀内は、賭場の摘発から得た情報をもとに、ある人物をゆすり金を奪おうとし、その過程で予想外の出来事に巻き込まれていく。
 「警察官は三とおりある。ごますりの点取り虫と、まじめだけのボンクラと、ほんまもんの捜査ができる本物の刑事や。おれは本物のマル暴担やぞ」と言う彼は、そんな自分が多少の悪に手を染めるのは当然という価値観で生きている。捜査上知り得た情報で小遣いを得る、暴力団とのもちつもたれつの関係、警察内部の隠蔽体質など、たとえば相撲協会と警察の癒着ぶりが明らかになった最近のニュースから見ても、まさしく実態だろうと思う。しかし、警察には警察の論理があるのだ。
 物語の途中から、堀内の生き方がいつか破綻するであろうことが予想され、いつどんな形でそれが訪れるのはらはらしつつ、破綻しなければいいなと思いながらもそれを期待しながら読み進むことになる。主人公自身も、破綻の予感をもちながら、無理にそれを無意識に押し込んで生き続けている。
 それにしても破綻する人としない人の差はどこにあるのだろう。
 自分たちの世界でしか通用しない常識を、つい普遍的なものと勘違いしてしまう愚は、われわれ教師もよく冒す。「教師は世間知らずだ、外の世界を知らない」という批判は前々からあるけど、「外の世界」に該当するはずの人たちも、いかに自分たち独自の価値観でしか動いていないかは、昨今の様々な事件であきらかになっている。しょせん、人は、自分のまわりの狭い世界しか知らないのだ。
 気がついたら教え子にやらしいことをしてた教師も、慢性的に消費期限を不正表示しまった経営者も、年金をネコババしてしまった役人も、その人なりの価値観に基づいての行動であり、最初の過ちは小さなものであったはずだ。破綻するかしないかぎりぎりのラインでふみとどまりながら生きることはたぶん楽しい。許されぬ恋愛関係などはその最たるものかもしらない。このまま進んだら本当に破綻する、と思い始めた瞬間、それでも足を踏み入れてしまった瞬間に得られる麻薬的快感。
 ああ、このまま試験をつくらずに本の世界にどっぷり漬り続けていられたらと思うのも同じ感覚だろうか。
コメント
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