水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

4月9日

2009年04月09日 | 日々のあれこれ
 帰りの送りバスで小学校や中学校の校歌を歌うのが局地的なブームなのだが、それを聞きながら自分の小中学校のを思い出そうとしたが、前半しかでてこなかった。
 「その名も高き 越路なる 芦原の里の 湯の香り~ 」とはじまるのは小学校。
 「越の広野の 青空晴れて~」が中学校。
 「越の三川 集まりて 日本海をさすところ~」が高校で、どれにも「越の国」がまず盛り込まれている。
 「歴史豊かな 川越の 伝統踏まえ 新しき~」だから、校歌はまず地名を歌うものなのだ。
 そして言葉が古っぽいのも校歌の特徴だ。
 車の中で、おれの母校は歌詞に「フォルティシモ」とか「ユートピア」という単語が入っていると話題になっていた。
 「フォルティシモ」の意味を一生わからないままの卒業生もいるにちがいない。
 「その名も高き 越路なる 芦原の里の~」
も、いま思い出してみてはじめて「越路なる」は「越路にある」という意味だということに気づいた。
 断定の助動詞「なり」の存在の用法だ。
 これも高校で国語を教える人生を歩まなかったら、意味を知らないままだったにちがいない。
 漫画「ちはやふる」には、福井に住む友人(あこがれの人)を訪ねてきた主人公が、芦原温泉の駅に降り立つシーンがある。
 たしかそのページのどこかのコマに、「URARA」という福井県民しか知らない雑誌が小さく書き込まれていて、ちゃんと取材して書いてるなあと思った。
 ディテールまでちゃんとしてる作品は面白いにきまっている。
 映画でも、ほとんどの人が気づかないようなところまでこだわっている作品というのは、ディテールそのものには気づかなくても、そのこだわりの発するオーラが人々を魅了するのだろう。
 音楽でももちろん同じだ。この部分はこれくらいでいいかな、というぐらいの取り組みで、いい演奏ができるわけがない。
 
コメント
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