水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

4月13日

2009年04月13日 | 日々のあれこれ
 今日もご新規の見学者が何人もいたようだ。
 ぜひ今年もがっつり入部してきてほしい。
 吹奏楽ほど、大人数であればあるほどいい部活もめずらしい。
 ただし、たくさんいても個々が成長しなずんでいると、その弊害がないこともない。
 一人が埋もれてしまう、というか埋もれることが可能に見えてしまうことだ。
 せえの、でみんなが吹き始めないといけない時に、一人二人吹いてなくてもばれない。
 いや、もちろんばればれなのだが、メンバーに「おれ一人吹けてなくてもだいじょうぶじゃね」という意識が生まれてしまうことなのだ。
 演奏にかぎらない。返事も片付けもそうだ。
 このへんについては、うちはまだまだ課題である。
 大人数でありながら、一人一人が確固とした存在になっていて、しかもそのメンバーみんなが一つになろうとしてはじめて、正真正銘の大バンドになれる。
 埼玉のAはそれでないと通用しない(埼玉にかぎらないか)。
 というように、演奏にそういうまだまだな部分が色濃く表れている状態ではあるのだが、ああいい演奏だなあと聞こえてしまう時もある。
 昨日バーンズの4楽章を、ゆっくりのテンポでぼろぼろの縦とピッチで演奏した。
 おそらく誰がきいても「おい大丈夫か、てか大丈夫じゃないよね」という感想しか持ち得ないと思う。
 でも指揮台にいてなぜか、いいなあこの演奏と思ってしまう一面もあったのだ。
 曲そのもののよさ、これは疑うべきものはない。
 それもあるが、下手っぴいな演奏をいいなあと感じてしまうところに、顧問の業(ごう)というものがあるような気がする。
 部員の演奏を一番厳しい耳で聞けるのも顧問であるし、一番感動して聞いてしまうのも顧問ではないだろうか。
 そのへんが審査員の耳とはちがう。あたりまえだけど。
 中谷彰宏氏がこう言っていた。
「映画はスクリーンの上ではなく、心の中にある」と。
 音楽も同じかもしれない。
 どんな演奏に心を揺り動かされるかは、人によってちがう。
 同じ演奏をきいて、怒る人もいれば、泣く人もいる。
 審査員は辛い点をつけても、他の誰かにとっては100点満点以上だったりする。
 いや、もちろん今から言い訳の伏線ではないつもりだが。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする