水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

2学年だより№34

2010年09月17日 | 日々のあれこれ
「WHAT」

 ~ 成功か失敗かの鍵は、なにをやるかのWHATではなく、どうやってやるかのHOWにかかっているに決まっている。
 それなのに、どうも日本人はいつもどこかに正解があると無意識のうちに思ってしまうらしい。それで、正しいWHATを探すのにばかり時間と労力をかけるのだ。そのくせHOWにはそれほど気を使わず、通り一遍のことしかしなかったりする。その結果、うまくいかなかったりすると、やっぱりあっちを選ぶべきだったとその原因をWHATのせいにして後悔するのである。
 勝負を分けるのはどちらを選んだかではない、絶対に成功させるという気持ちがどれだけ強いかにかかっている。
 だから、どちらでもいい、まず選ぶ。そんなところで貴重な資源を浪費してはいけない。それらは極力そのあとのHOWに回すべきだ。
 (坂本桂一『頭のいい人が儲からない理由』講談社) ~


 人生において、これこそ自分の「WHAT」だというものに出会えた人は幸せだ。
 そしてその出会いが、若ければ若いほど幸せだと言える。
 幼い頃から、その「WHAT」に向けて徹底して資源をそそぐことができるから。
 芸術やスポーツの分野における第一人者は、こうして誕生する。
 というか、そういうかたちでしか、超一流は生まれ得ないだろう。
 高校生になってはじめて、たとえば音楽の才能に気づき、そこからピアノをはじめたとしても、プロの演奏家になれる可能性は限りなくゼロに近い。
 野球選手やゴルフ選手も、高校生スタートではきびしい。
 フィギュアスケートや囲碁将棋の世界なら、高校デビューでは100%無理と言える。
 箏や尺八の演奏家なら、大学からはじめてプロになった人もいる。
 他のスポーツを小さい頃からやっていて、高校から種目を換えてそれでプロになった人はいる。
 そして、こういう面もある。
 幼い頃、これこそが我が子の「WHAT」のはずだと親が判断し、家族で努力を続けて、その結果プロになることができなかったという人は、実は成功した人の何倍もいる。
 いったい、自分にとっての「WHAT」とは誰が決めるのだろう。
 親? 友人? 彼女? 先輩? 上司? 憧れの人?
 あえて言えば「神様」というしかないのではないだろうか。
 でも、たとえ神に賜った「WHAT」であっても、人によって、これはオレのやるべきことではないと言うにちがいない。
 結局自分がどう思うかなのだ。
 自分で「これかな」と思いさえすれば、それはその人の「WHAT」になる。
 他人から「これかもね」と言われたものは、実は本人の思い以上に「WHAT」だったりする。
コメント
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