水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

大人になる

2010年09月28日 | 日々のあれこれ
 大人でない存在を「大人にする」のがわれわれの仕事だ。
 そのためには、外の世界とふれあわせないといけない。
 昔、橋爪大三郎先生を進路講演にお招きした際、受験というのは現代の日本におけるイニシエーションだとおっしゃられて、なるほどその通りだと思った。
 逆に言うと、その程度の通過儀礼しかないのが今の日本で、それさえどんどん簡単なものになっている。
 勉強も部活も外の世界にふれるためにあり、そこで自分の存在の小ささを客観化するためにある。
 練習して楽器がけっこう吹けるようになって、だいたい曲も通るようになって、これで入賞できるかなとコンクールに出かけていって、高い壁が存在することを知ってうちひしがれる経験は、大人になるためのステップだ。
 一番人を成長させないのは、最小努力による最高の結果だろう。
 苦労しないで地位や冨を手に入れてしまった人のお子ちゃまぶりは、たとえば何人かの国会議員さんを見るだけでも簡単にわかる。
 努力した結果の失敗は、成長になる。
 努力した結果成功するよりも成長するくらいだ。
 ただし成功した人には次のステージが与えられる。
 そこでまたハイレベルの努力と、その結果としての成功もしくは失敗が与えられるから、その分高いステージに進んでいくことができる。
 一定の成功で満足して謙虚さを失わないなら、成功し続けることを望むべきだろう。
 決してそれは欲張りとは言わない。
 「これで満足です」と言うのは、一見謙虚にみえる。
 でもそれは成長をやめるという意思表示なのだから、人生に対する傲慢な態度ということもできる。
 とにかく、一歩でも先に、一段でも上に。
 いや、突然こんなことを思ったのは、勉強も部活もみんなそれなりにがんばってるのは偉いなあと思うのだけど、「ものすごく」とか「鬼気迫るほど」とか「死ぬ気で」なんて修飾語をつけられる光景をあまり見なくなったなあと、ふと思ったので。
 時代遅れの感覚かもしれないし、おまえはそれほどやってるのかと言われれば頭を垂れざるを得ないのだが。
 でも、もうひとふんばりさせたいなあ。からまわり覚悟で。

コメント (1)
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