恒例のライブ喫茶初日が無事終了した。
開店から最後まで、とぎれることなくお客さまがいらっしゃったのは本当にありがたいことだ。
合奏もやっとまとまってきた。
ていうか昨日の合奏がひどすぎた。
ちゃんと寝てきた今日は、朝一番からいい音だった。
15時過ぎに閉店。帰りのHR後、机イスをセットし直したり、プログラムを刷り増ししたり、買い出しをしたりで、明日に備える。
文化祭準備に没頭してて、経産大臣の失言の話を知らなかったが、発端である「死のまち」発言については、その非難のしかたはどうなのだろう。
写真週刊誌で見た立ち入り禁止地区の光景は、まさに「死のまち」と形容すべき悲惨さだった。
この表現の何がいけないのか。
その言葉を耳にした現地の人が辛い思いをするから?
でも、何十年もそこに住めない状態であるという現実は、逆にそう表現すべきではないのか。
そしてこんなにしたのは誰のせいなのって徹底的に糾明しないといけない。
どうも現地の方が文句を言い始めたとは思えない。
大臣が口にしたことを「そんな言い方していいんですか?」とマスコミの誰かが言い始めて、なんとなくみんなそんな気分になってしまい、「またいいネタが」と飛びついた記者がいただけなのではないか。
それをまた何も考えずに後追いするのがマスコミで、テレビが言い始めると、われわれが自分の頭で考える癖をなくしているから、「う、うん、わるいよね」って言ってしまうのだ。
でも、「放射能うつしてやる」はさすがにまずいな。
そうか、こういうことを言っちゃう(やっちゃう)レベルに方の言葉だから、「死のまち」も不快に聞こえたのかな。
同じ言葉でも、誰が言うか、どう言うかが意味を決める。
「バカ!」って言われてたまらなくムカつくことがあれば、快感をおぼえる場合もある。
「先生」と言われて傷つくことさえある。
そういう言葉を発した人の品性や知性の乏しさを感じてしまうからなのだろう。
言葉どころか行為でも同じだ。
ずいぶん前に、横山ノック大阪府知事が痴漢行為をとがめられた出来事があったが、行為に及んだのがノックさんでなく、たとえば小栗旬くんだったら、とがめられないどころか80万円払ってでもしてもらいたいと思う女性はいる。いい男になりたいものだと思う。