水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

アンコン

2007年10月17日 | 日々のあれこれ
午前授業終了後すぐに上尾へ。アンコンの抽選会だった。できれば後半がいいなと思っていたら、うまく19日をひいた。アンコンのメンバー諸君、わかったかな。19日月曜日が本番です。その前日の日曜日は、星野ウィンドさんとの合同練習もはいります。11月はいそがしいので、みんな覚悟しておいてほしい。抽選会後、川越市内中学校に学校パンフを届ける仕事。後半は呂律がおかしくなった。
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文七元結

2007年10月16日 | 日々のあれこれ
試験問題がほぼできあがり、同じチームの先生に検討委を依頼すると、その結果待ちの間に仕事の空白が生まれる。もちろんやることはいろいろあるのだが、さしあたって明日までにという性質の仕事がないと、急に(みせかけの)余裕が生まれる。昨日は積極的にその見せかけのゆとりを利用し、三遊亭遊雀師匠の会に出かけた。「文七元結」を聴きたかったからだ。落語のなかで大ネタ中の大ネタで、ある程度以上の力のある方が演れば、必ずほろっとさせられる話。それなりに演奏すればそれなりの賞は必ずついてくる曲、みたいな感じ。好きなネタで、円生のテープはかなり何回も聴いた。生では小朝師匠、志らく師匠お二方のを聴いたことがある。遊雀師匠の人情話ははじめてだったが期待どおりだった。ただ一つ残念なのは、隣のお客さんの鼻息が気になって集中しきれなかった点。けっして寝息ではないのだが、なぜか気になって … 。まだまだ未熟だ。
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ドライブ感

2007年10月15日 | 日々のあれこれ
『悪果』とは別タイプだが、角田光代『八日目の蝉』も、物語が読み手をぐいぐいひっぱっていく作品だった。またしても読みふけってしまった。こういう感覚をドライブ感というのだろうか。音楽の世界でもよく使われ、なんとなくわかるけど、定義しにくい言葉だ。不倫相手の赤ちゃんを盗み出した主人公の逃走。なぜかその犯人である主人公に感情移入させられてしまう。旋律が、伴奏がどんどん前にすすんでいき、聴いている人はひっぱられていくように入り込まされていく感覚。こんな演奏ができるといい。
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悪果

2007年10月13日 | 日々のあれこれ
 学生時代、試験前ほど本が読めた。それは逃避でしかないこともわかっていても、早急にやらなければならないことをさしおいて罪悪感を抱きながらする読書ほど集中できて楽しいものはない。昨日の夕方、試験問題づくりの合間に、ちょっとだけ読み進めようとした黒川博行『悪果』は、途中で本を措く能わず、校舎を閉めねばならない時間まで読んでしまった。おもしろかった。
 主人公は、大阪は今里署のマル暴担当刑事、堀内。彼が自分の立場を利用してシノギ(小遣い稼ぎ)をするその手法の描写は極めてリアルだ。堀内は、賭場の摘発から得た情報をもとに、ある人物をゆすり金を奪おうとし、その過程で予想外の出来事に巻き込まれていく。
 「警察官は三とおりある。ごますりの点取り虫と、まじめだけのボンクラと、ほんまもんの捜査ができる本物の刑事や。おれは本物のマル暴担やぞ」と言う彼は、そんな自分が多少の悪に手を染めるのは当然という価値観で生きている。捜査上知り得た情報で小遣いを得る、暴力団とのもちつもたれつの関係、警察内部の隠蔽体質など、たとえば相撲協会と警察の癒着ぶりが明らかになった最近のニュースから見ても、まさしく実態だろうと思う。しかし、警察には警察の論理があるのだ。
 物語の途中から、堀内の生き方がいつか破綻するであろうことが予想され、いつどんな形でそれが訪れるのはらはらしつつ、破綻しなければいいなと思いながらもそれを期待しながら読み進むことになる。主人公自身も、破綻の予感をもちながら、無理にそれを無意識に押し込んで生き続けている。
 それにしても破綻する人としない人の差はどこにあるのだろう。
 自分たちの世界でしか通用しない常識を、つい普遍的なものと勘違いしてしまう愚は、われわれ教師もよく冒す。「教師は世間知らずだ、外の世界を知らない」という批判は前々からあるけど、「外の世界」に該当するはずの人たちも、いかに自分たち独自の価値観でしか動いていないかは、昨今の様々な事件であきらかになっている。しょせん、人は、自分のまわりの狭い世界しか知らないのだ。
 気がついたら教え子にやらしいことをしてた教師も、慢性的に消費期限を不正表示しまった経営者も、年金をネコババしてしまった役人も、その人なりの価値観に基づいての行動であり、最初の過ちは小さなものであったはずだ。破綻するかしないかぎりぎりのラインでふみとどまりながら生きることはたぶん楽しい。許されぬ恋愛関係などはその最たるものかもしらない。このまま進んだら本当に破綻する、と思い始めた瞬間、それでも足を踏み入れてしまった瞬間に得られる麻薬的快感。
 ああ、このまま試験をつくらずに本の世界にどっぷり漬り続けていられたらと思うのも同じ感覚だろうか。
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ふつー

2007年10月12日 | 日々のあれこれ
「あぶない」「危険だ」という意味で「ヤバい」を用いるのが大人で、肯定の意味で、というか高く評価するという意味で「ヤバい」を使えるのがナウいヤングである。「これヤバクね?」「ヤベっまじヤベ、ありえねー」は「すばらしい、こんなすばらしいものに私はかつて出会ったことはない、えも言われぬすばらしさである」という意味であることを、ヤングと常に接している私は理解できる。
授業中にした質問に「ふつーです」と答えられて、これの解釈もわかった。「元気?」「ふつー」。「がんばってる?」「ふつう」。「ふつー」というのは、「あなたとは積極的にコミュニケーションするつもりはありません」だったのである。日本語は難しいものだ。今大流行の「別に」「特にないです」も同じだろうか。
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白拍子

2007年10月11日 | 日々のあれこれ
この先取り組む予定のアルメニアンダンスの譜面を配り、みんなで音源をきいた。
8分の5というリズムがでてくるが、このアルメニアンダンスほど心地よい変拍子というのは他にないのではないか。かわむら君でなくとも好きになる部員が続出することが予想される。変拍子と言えば白拍子し、白拍子といえば「草燃える」の静御前(友里千賀子)だろうなあ。
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習志野高校

2007年10月10日 | 日々のあれこれ
習志野高校の演奏会にずいぶん前に一度行ったことがある。ハンドベル、合唱、アンサンブル、マーチング、ダンス … 。ホールを使って可能なあらゆるエンターテインメントが3時間近く繰り広げられていた。演奏以外のいろいろな企画をやる学校は多いが、そのすべてがきわめてハイレベルであるという点では、習志野高校が一番ではないだろうか。ていうか、そうであってほしい。これ以上の学校が他にいくつもあったら、どうしていいかわからないから。先日部員に習志野の定演にいってみたらどうだと勧めてみたが、今年のチケットは発売二日で完売になったという。津田沼文化会館三日間公演のすべてのチケットが完売である。すごいなあ。うちの二部のお芝居はずいぶん面白くなったと思うが、だからこそもう少したくさんのお客さんにみてほしい。全国大会に出てなくても、川越高校さんや星野さんのようにホールいっぱいのお客さんを集めるバンドはある。なんとかできないだろうか。
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アンサンブル

2007年10月09日 | 日々のあれこれ
バリオホールで行われたアンサンブルクリニックは、埼玉栄高校さんのアンサンブルチームがモデルとなってレッスンを受け、それを見せてもらうと企画だった。最初に通しの演奏をする。やっぱうまい。もうこれで完成でいのではないかと思うに、先生が一つ注意するたびにみちがえるように音が変わっていく。ぎゃくにいうと、これくらい吹ける状態で専門家にみてもらったら、こんなに音楽的になるのかということでもある。先生は生徒のレベルでしか教えられない。私たちも同じだ。もちろんどんな生徒に対しても一生懸命教えるのはたしかだが、相手のレベルでしか教えられない。5の相手なら6か7ぐらいまで。9なら10、何を学ぶべきかわかってない相手なら、まずその姿勢について。もちろん、教える側がひっぱっていかねばならないこともあるだろうが、3か4で十分と考えている相手に、一生懸命10を教えようとしても、からまわりするだろう。でもなあ。それは3ぐらいのレベルしかなくて、同じ高校生で200ぐらいのことをやっているんだよと気づかせてはあげたい。

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仕事

2007年10月08日 | 日々のあれこれ
土曜の夜、おとうたんのためのヴァイドショー講座で、話題のエリカちゃんの舞台挨拶をみたけど、あれはないな。みんなが凍り付くのはわかる。しかしあの状態で人前に立つというか、立たせることになった事情がよくわからない。まわりに大人はいくらでもいると思うのだが。ふつうタレントさんがあの状態なら、仮病つかってでもステージ出させないのがジャーマネさんとか回りの大人の仕事じゃないだろうか。芸能人というのは、基本的には異形・異能の存在だ。だからこそ芸能人たりうるのであり、一般人とは一線を画すのである。ただたんにルックスがいいとか、歌がうまいだけの存在ではない(それでいいならおれだって…)。むしろルックスや歌はそれほどでなくてもいい。一般人にはない何かをもっている選ばれし人々のみ銀幕のスターになれるのだ。そんな方々に一般人に求められる社会性と同じものを求めてはいけない。しかし、そういう特別な才能をもつ人たちを丸腰で世の風にあてないようにするための仕事をする人々も必要だ。ま、こんなに話題になったということでも、彼女の才の一端はわかると言うことも出来るけれど。
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技量

2007年10月07日 | 日々のあれこれ
全員の前でB♭のスケールを一人ずつ吹いてもらうという企画は、シンプルだが効果があるのではないだろうか。この数秒でその演奏者の技量は完全に明らかになる。というか、登場から音が鳴り始める瞬間ぐらいの時点でほぼ明らかになっている。コンクールで言えば、審査員レベルの先生方は、メンバーが入場し指揮者がかまえた瞬間にはある程度の予測をもっているだろう。そしてその予測は最初の数秒でほぼ外れることなく演奏は続いていくのではないだろうか。研究授業の時に、授業者が教壇に立つ。お辞儀をして第一声で「えー … 」と声が出たとたん、たぶんこの先生の授業はこのへんのレベルだろうなあという予測はでき、ほぼそれははずれない。偉そうかもしれないけど、授業についてはそれくらいわかるようになった。もっと言えば授業なら、この先生はここをこう変えるとぐんとよくなるのにという解決方法もけっこうわかるようになってきた。ほとんどの人は言っても変えないけど。演奏は、上手い下手はわかるようになった。どうすれば上手くさせられるのかはまだわからない。明日は、尚美学園で行われるアンサンブル指導の講習会に出かけてみようと思っている。
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