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ヴィゴ・モーテンセン アラゴルン

アラゴルン役のヴィゴ・モーテンセンのサイン。名前をみると北欧系だが、フィルモグラフィーをみると、デンマーク系のアメリカ人とのこと。他の作品では「刑事ジョンブック目撃者」にアーミッシュの農夫役ででていたらしい。はっきり記憶にないが、そういえばいたような気がする。剣を振りかざした彼が、幽霊の軍団を引き連れて、敵に襲い掛かる場面は、ロードオブザリング3部作で最もスカッとする場面であり、クライマックスだ。彼のサインは、どちらかと言えば手抜きに近いが、非常に特徴的・個性的だ。そのせいで、手抜きでもいやみが感じられず好感のもてるサインの1つである。
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天国は星空の下 篠田真由美

理論社の「ミステリーYA!」シリ-ズには大いに期待しているし、前に紹介した「カカオ80%の夏」のような新しい作品を読むことができて、その期待に十分応えてくれているとは思うのだが、ややその路線に気になるところがある。それは、若い読者の読書離れを食い止めるためというのは良いのだが、そのために、安易に従来のミステリーとライトノベルの中間的なジャンルというコンセプトにとどまっている作品が混在してしまっていることだ。もっと実験的な作品の紹介の場となることを期待しているのだが、若者が主人公で、学園内で事件が起きて、やや醒めた主人公と2・3人の友達、それに天才的な才能を持つやや謎めいた仲間、こんなライトノベル的な設定の作品が散見されるのが気になるのだ。本書もストーリーは面白いのだが、地の文がどうも「大人が書いた若者言葉」で、主人公の設定も「大人がイメージするところの若者」という感じがしてならない。文章やキャラクターがライトノベル的だがそこまで徹底しておらず、中途半端な印象だ。そこのところが、大変面白かった「カカオ80%の夏」との違いではないか。例を挙げるならば、本書では「一矢報いる」「百聞は一見にしかず」「袋のねずみ」「終わりよければ全てよし」といった慣用句が結構出てくるが、私の知る限り、こうした慣用句やことわざの類を若者が使うことはまずない。それは、もともとそうした言葉を知らないという事情もあるのだが、それ以上にそうした言葉を使うことを恥ずかしいと思っているからのようだ。よく話の中で老婆がでてきて「……じゃ」といった表現を連発するような作品が今でもあるが、実際にそんな語尾をつけて話す人を聞いたことはない。これこそ、ステレオタイプというか、作者の勝手な思い込みのようで、それだけで読んでいて興ざめになる。この作品は、ストーリーも魅力的だし、いくつかの謎が未解決のまま終わっているので、シリーズ化されることは確実だが、私自身は、このままでは主人公がどうも嘘くさくて次も読もうというエネルギーが沸いてこないというのが実感だ。(「天国は星空の下」篠田真由美、理論社)
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