玄冬時代

日常の中で思いつくことを気の向くままに書いてみました。

日米戦争 ―むじょうけんこうふく―⒃

2022-11-02 10:33:02 | 近現代史

少し前、角川文庫で読む戦後50年シリーズで『八月十五日と私』を読んだが、読後感としては、小説家は小説を書き、劇作家は戯曲を書き、結局、回想文の限界であった。同じシリーズで『昭和二十年八月十五日 夏の日記』を読んでいる。歴史史料としては、やはり回想より日記が有用である。

まだ半分ぐらいしか読んでいないが、「第4章学童疎開と子供の目」の章を読んでいる。そこで玉音放送のあった日の日記に、「むじやうけんかう服」と10歳の子が書いていた。11歳の子が「くやしい」と。10歳の子が「きっとかたきをとる」と。11歳と7歳の子が「むじょうけんこうふく」と。

何故、10歳前後の子が「無条件降伏」と書いたのか?子供らしく「負けた」と書いていない。当日の玉音放送の日の録音記録はない。玉音放送の読み上げ原稿が残っているが、天皇の読み上げた詔書や首相の内閣告諭には「無条件降伏」とは書いていないと思う。

若し「無条件降伏」を伝えたとしたら、『ポツダム宣言の要旨』の中に、「ポツダム宣言はさる7月26日、ポツダムで決定したもので、我が国に対し無条件降伏を要求する米、英、支、ソの四国の宣言であります」との原稿が残っているだけである。

天皇の玉音放送ではなく、アナウンサーの解説の一言が子供たちの頭に入ったのであろうか?それならば凄いことだと思う。

しかし、この年の5月7日、ドイツは米・英・ソ連との間に無条件降伏に調印していた。この事が既に国内に流布されていて、戦争に負ければ、ドイツのように無条件降伏しなければならないと、国民への脅かしや刷り込みがあったのではないか、と私は思っているが、今後の研究課題ができてしまった。

恐いのは戦後生まれの我々世代も「ポツダム宣言⇒無条件降伏」と頭に残っているのだ。

実際は条件が付いた最後通牒であることを理解していない。その第6~13項まで条項の中には「…基本的人権の尊重は確立せらるべし。」まである。丸山真男はこの一句を新聞で読んで自然と顔の筋肉が緩んだ、と云う。

このポツダム宣言の最終項に「日本国政府が日本国軍隊の無条件降伏を宣言し…」と、「軍隊」の無条件降伏を求めている。このポツダム宣言を受諾したことは国際法上の条約に等しい、ことも覚えておきたい。(次回へ)

【『昭和二十年八月十五日 夏の日記』角川文庫、『八月十五日と私』角川文庫、竹山昭子『玉音放送』晩聲社より】

 

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