玄冬時代

日常の中で思いつくことを気の向くままに書いてみました。

公文書の作為的な廃棄

2022-11-25 15:31:29 | 時事

ちかごろ、「神戸の少年A」「オウム真理教の解散命令」に関する記録資料が廃棄されていたというニュースが流れている。裁判所が特別に重要だと認定しない限り、永久保存にはならない、との説明だ。

全くふざけた話だ。裁判所の責任逃れの役人の仕業だとすぐ解る。冤罪が多いとか、再審請求が多いとかで、わざと資料を廃棄してしまうのか。この分だと佐川氏らが行った公文書改竄事件も、追及が止まれば、即廃棄される。

それでいて、国民が公文書の資料公開請求をすれば真黒の海苔弁で出てくる。

ふと思い当たることがある。そう言えば、この国がアメリカに負けた時に、ポツダム宣言受諾を決定した閣議の後で、もう日本国中の軍・戦争関係の資料を燃やしたという。霞が関の空が真黒になった。

そのおかげをもって、戦争犯罪裁判つまり「東京裁判」の資料が集まらず、A級戦犯は27人しか審査できず、岸信介、笹川良一、児玉誉士夫ら、その後の日本に大きな影響を遺した人間たちが命拾いしている。

その成功体験が、今をして、日本の官僚の公文書法の趣旨を逆用した、自らの保身の為の証拠隠滅衝動があるのか?

ただ卑劣な気がする。証拠さえ無くしてしまえば、後から役所の行為の責任を問うことが困難になる。単に身勝手な裁判官や検察官の保身術としか見えない。

法の番人たちの官吏にしてこの有様。これじゃ何を信頼すればいいんだろう。

そう言えば、モリ、カケ、サクラでも簡単に公文書を廃棄して逃れていた。その時にしたり顔で「法治国家です」と嘯いた人物が、この国では総理になれる。それを追求しないメディアは必ず廃れる。この国はおかしい。

私の趣味は立ち食いソバです。コロナでさすがに飽きましたが。

コメント
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