日米戦争の前に、日独伊三国軍事同盟が結ばれ、ドイツにはヒットラー、イタリアにムッソリーニがいたが、日本には独裁者は居たのか?
東条英機は幼年学校卒で、二代目軍人で、恩賜の刀組(陸大成績7番以内)ではない、優秀な?軍官僚ということになる。若い頃に特に優れたところは感じられない。
東条は内閣総理大臣だが、戦前は単に筆頭大臣であり、陸軍大臣を兼ねているだけである。当時は軍部支配体制と云われたが、東條の他に、参謀本部杉山総長、島田海軍大臣、永野海軍軍令部総長が居た。
日本軍は四つの頭の龍で成り立っていて、それぞれ四者は別個の組織だったとも言える。
ミッドウェイ海戦で、海軍は四隻の空母を失うが、それを二隻の損失と偽って大本営には報告していた。陸軍がそれを知らなかったし、沈没した艦船がその後の作戦書類の中に生き残っていたという。
こんなバカげた軍部幕僚の隠蔽体質と責任回避でアメリカに勝てるわけがない。
なぜ真珠湾攻撃をやったのか?これは主に陸・海軍の統帥部が決めたことだろうが、近代国家ではない、無謀で勝手で、お家の為と云いながら自分の為であったりする、昔の武士の「ハラキリ」に似ている。
グルー米国大使もこの事に気づいて本国に真剣に報告していたが、当時ルーズベルト政権はこれを重大に受け止めなかった。
石油を全面的に米国に依存していて、それを禁輸したのに、その当の石油欠乏国が攻めてくる。誰が考えても無謀で、頭が悪い、自傷的な戦争だ。
そんなことはしまいと高を括っていた米国はまんまと裏をかかれて、あの真珠湾奇襲が成功したとも言われている。
私には東条は永田鉄山の腰巾着としか見えない。永田が暗殺されて、本来なら出世コースから外れるところが、どっこい生き残った。それは永田と一、二位を争う梅津美次郎の後任で陸軍次官になったことであろう。
梅津が若い頃に欧州に派遣されていた時に一緒に働いていたのが東条なのであり、梅津が帰国した後の後任が永田なのである。結局陸軍エリート・コースの人脈の故の出世であり、そもそも格下の能力の軍官僚であった。永田と対抗した皇道派の小畑敏四郎は、東條のことを「東條の能力はせいぜい大佐どまりだ。とうてい国を治める人物ではない」と評した。(次回へ)
【参考文献:グルー『滞日十年(下)』毎日新聞社、半藤一利他『「昭和天皇実録」の謎を解く』文春新書、戸川猪佐武『東條英機と軍部独裁』講談社、須山幸雄『小畑敏四郎』芙蓉書房】