最近、岸田首相は「政治家は各自で説明責任を盡して欲しい」という言葉が多い。
些か耳にタコができてきた。歯が浮いてくる言葉である。
背後には「アカウンタビリィティ」という、これもカタカナ英語?で意味の解らん経営の概念らしきものがあるのだろう。
庶民の側からすれば、簡単に『何の誰べえと云う、政治家としての、責任を説明して欲しい』のである。
つまり「責任をとってやめるか、辞めない場合は、その責任をどうかんがえているか」を聞きたいだけである。
その場合、日本語では「責任説明」というべきではないか。
どうも「説明責任」とは、つまり記者に向かって何かしらアーとかウーとか言葉さえ発すればよい責任=義務のように聞こえてしまう。
もっとも、それすらしない衆議院議長が居るのだから、この國の国会は極めて民主主義を標榜するうえでヘンテコな形になっているということになる。
確かこの議長の選挙には対立候補に同名の女性が忽然と出てきた不思議な選挙区でもあるが、次回はきっと落選するだろう。
単に洒落た壁だけど。先日久しぶりに行った吉祥寺の街で。