心配とか脅威とか怖れを「懸念」という先走りの感情表現で種々の危機感を一緒くたに綯い交ぜにし、誤魔化している政府やマスコミ・メディアの現状を見ると、ふと、これが現代版の「伏せ字」ではないかと思うようになりました。
更に事実があるのに、「報道しない自由」を掲げて報道しない、そして無かったことにしようとしている。その悪弊がこれまで明らかにされなかったジャニーズの性被害であるし、これから無きモノにしょうとしているキハラ事件なのかも知れません。
官邸や警察はテレビや新聞のニュースの空白を埋めるために、態々マスコミに大麻事件や汚職事件を餌として与えているようにも見えます。
「官邸」という二文字が、タモリの云った「新しい戦前」の「官憲」や「内務省」を連想してしまいます。