アサヒ新聞は戦争の総括をしたと2008年に『新聞と戦争』を刊行した。
8月15日に「涙でファインダーが曇り、アサヒのカメラマンは宮城前で泣き伏す光景を取れなかった」という趣旨のことを書いている。そして、つまり16日「敗戦初日の新聞としては完全に負けだ」とも書いてある。
しかし、2005年出版の『八月十五日の神話』(佐藤卓己)によれば、8月14日に二重橋前で或るカメラマンに「土下座をしてほしい」と頼まれ、写真を撮られた人がいることを書いてある。その時、カメラマンが泣いていたそうである。
アサヒは事前にこの本を読めたはずだ。
8月15日正午の玉音放送の後にこの國の民草は宮城に向かって詫びたのであろうか。
『八月十五日の神話』によれば、朝日以外の8月16日に載った毎日や読売の写真は敗戦前の写真が転用された可能性を含めて検証の必要性を示唆している。
要するに、玉音放送の後に皇居前で人々が土下座した写真が実際に撮れたのだろうか?普通に考えれば、15日に写真を撮らなければ16日の記事に間に合わない筈である。
ということは、玉音放送の時に宮城の前にはラジオがあったのか?あるいは、各自で聴いた人々が宮城前に自然に集まって来たというヿなのか?そんなにモノヿは上手く行くのだろうか。
『八月十五日の神話』の著者は「私たちに必要なのは…。記録写真を持つことができない敗者だったという事実に耐えることではあるまいか」と言った。
【参考文献:佐藤卓己『八月十五日の神話』ちくま新書2005年、『新聞と戦争』朝日新聞出版2008年初版】