公式の終戦の日は、印刷局から官報号外として8月14日付けの「詔書」が公布された「14日」である。8月15日の午前零時に迫水書記官長から各社に「詔書」が伝達され、新聞は玉音放送の後に配達することが要請された。
各新聞社は記事を書き写真を載せ印刷をし、そして各地に配送をし、正午の玉音放送の後に新聞を配ることになった。
ということは終戦の記事はたぶん15日には書かれていないだろう。14日までに新聞各社は凡その記事を書いていて、「詔書」を足して載せたのだろう。
戦後、8月14日付けの詔書は「終戦詔書」と呼ばれるようになった。玉音放送は8月15日の天皇の詔書朗読の前段で、下村海南情報局総裁が「これよりつつしみて玉音をお送り申します」と言う内容のニュース原稿が残っている。つまりその日、その瞬間から天皇の「朗読」は「玉音」となった訳である。
放送全体のテープもしくは録音盤は残っていない。天皇の玉音録音盤も劣化して使えない。今我々が聞いているのは米国のテープを複写したものである。
この國は、「国家の記録」を粗末に扱うのが好きなようである。これは今も変わらない。
【参考・引用文献:迫水久常『大日本帝国最後の四か月』河出文庫、竹山昭子『玉音放送』晩聲社】