昨日、ネットのアーク・タイムスを見ていたら、尾形(元朝日)、青木(元共同)、望月(現東京)がほぼ異口同音に「近頃の記者は権力に立ち向かう気概がない」ことを嘆いていた。
青木はキハラ事件関連で「警視庁の各課には大手新聞社は何人か記者を配置しているのに、先日の元現場捜査官の警察庁長官の『事件性はない』への真っ向う否定発言に対しての警察内部の反応や動きすら全く書かない」と嘆いていた。
こちらから見ると、三人はネットの発言すら何かを恐れて遠回しな言い方だ。恐れているのは内情をよく知る自分達ではないか。
警察を敵に回すということは、国家暴力をまともに受ける危険があると重々身に染みているからだろう。
実際に取材していないからと、「国家警察の暴力」を明確に言わない青木たちは、一見フリーな振りをしているが、そこらの記者と同じに、御身大切な気弱なジャーナリストではないだろうか。
個人の逃げ腰の態度から「新しい戦前」がまたも蘇るのではないか。