玄冬時代

日常の中で思いつくことを気の向くままに書いてみました。

自民党は宣伝上手

2021-09-23 11:25:05 | あれこれ

自民党総裁選は厭も応もなくテレビやネットで目に入ってくる。たぶん自民党は衆院選前の莫大な宣伝経費が節約できただろう。

些か食傷気味だが、ネットで誰かが言っていた。「自民党がどれほど右翼化したのか、よく分かる絶好の機会だ」確かにそういう見方もある。

そこに興味を持って、このバカげた総裁選挙を見てやろう。

高市はアベの傀儡だが、今まで掛け声ばかりで踏み込まなかった憲法改正に、敢然と、しかも9条に直接踏み込むだろう。

高市が総裁になれば、アベ・スガ・サナエの相似形政権となり、この国は闇の国家だ。

岸田が成ると、今の状態が継続され、この国の年金等の福祉問題もただ先延ばしで、高齢者には有難いかも?

野田は、できれば立民の党首になって欲しい。枝野より見栄えもいいし、発信力もある!!

河野は小泉の再来となるかは難しい。もしかして、C・シュミットの言う「決定的な政治状況」を生み出すかもしれない。

そろそろ原発と黒田バズーカを国民全体で真剣に議論する時期になっている。

河野は陰でこっそりと悪事をすることは得意でなさそうだ。それだけを期待している。

これを病葉というのかな、…。季語は夏。「晩夏」ということかな。これをという年齢になってしまった。

 

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清々しい朝

2021-09-22 11:29:39 | ブツブツ

この国は相変わらず政治家を忖度した官僚が支配層に収まり、財界をバックにした既得権企業が良い思いをする。

これでは若い人にとって、不平等でつまらない社会が続くことになる。

有態に言えば、今の野党にはこの国の腐った官僚を真面な方向に導く力量も能力もない。与党の自民党にあると言っているのではない。

官僚が与党の方が騙し易いと思っていて、与党も騙されても自らの政治権力を振るえればそれで良しとする運命共同体、あるいは、越後屋と代官のようなもたれ合いの仲なのである。

天下り既得権を守る官僚が既成の世襲政治家の多い自民党を選んでいる間は、これからもいろんな形で野党への理不尽な攻撃や迫害は続くだろう。時には、線路を超えた程度の軽犯罪を騒ぎ立てて、与党の各種枚挙できない程の犯罪容疑は一顧だにしない。

所詮、司法も、警察も、既成の官僚制の一部なのだ。ここにこそ、この國の根深い前近代性、反民主的な温床があるのかもしれない。

ともかくも、先が見通せないコロナ禍において、次善の策として自民党の反・脱アベ・スガ路線に期待するしかない。

ここらで、安倍さんにお縄を掛けないと、この国の人権的な公平性が担保されないし、この国の新たな一歩が始まらない。

田中角栄はやることもやったが逮捕もされた。安倍晋三はお友達や縁故者には何かやったのかもしれないが、後世に残ることを何かやったのだろうか。

一歩でも北の拉致家族が進んだのか?国の借金を増やし、年金積立を横流しして株価を上げた以外に何かやったのか?国会で118回以上何百回も噓を付いたが、庶民にはアベノマスクをくれただけだ!

彼が、どれでも良いから、何か関係する一つの悪事で捕まったら、この国に清々しい朝が来るのではないか。

コロナ退散!政治の浄化!

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恥ずかしいの基準

2021-09-21 11:20:58 | ブツブツ

世の中は危険だったオリ・パラをすっかり忘れ、束の間のコロナ小休止の休息に現を抜かしている。

メディアは自民党総裁選挙を毎日、しかもニュースやワイドショーのほとんどの時間を使って報道する。誰もさほどの興味は持っていないのに、狂ったように流し続ける。

さしづめメディアは自民党を応援でもしているのだろうか。

そんなことより、気づいたら、努力してもあまり報われない世の中になった。反面、悪いことをしても捕まらない人々が目に付くようになった。

毎日、性犯罪や軽犯罪も容疑者という人物の顔がテレビやネットに映る。反面、偉い人は顔を隠したり、訴追をされなかったりすることに気が付くようになった。

こうした公平ではない社会を造り変えることは難しい。しかし事柄や事態を一寸変えることはまだ比較的に容易であろう。

自らの手を汚さずに官僚忖度によって国家の財産を安売りしたり、国家の財政を官僚の作ったスキームの中でお友達に補助したり、自分の選挙区の住民だけ国家の公的行事に格安に招待したり、そんな人物が最高権力者で就任期間が一番長かったというのは、この国にとって恥ずかしいことと思う

ところが、そう思わない人もいるようだ。この基準の差が自由なのか、分断なのか?兎角、分からん社会になった。

もう稲刈りの時期になった。上と下では実り具合?種類が違うような気がする?これも分からん。

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木戸幸一の日記 -その5-

2021-09-20 11:30:27 | 近現代史

寺崎の「御用掛日記」に戻ると、次の行に「木戸日記ハ人ニ見ラレル事ヲ予想シテ書イタモノニ非ズ」と木戸への擁護が続き、更に「今日ハ下手ナ剣客ガ上手ノ剣客(天皇)ニ立チ向ッテル気ガシタ」と寺崎の感想が続く。

何故、天皇が上手だったのか?

実はこの二行の寺崎の感想部分は、私はずっとその真意を捉えることができなかった。

近頃、粟屋憲太郎の云う寺崎英成という人物の捉え方をすると、やっとその真意が読み取れるような気がした。

粟屋に言わせると、寺崎の人物像は柳田邦男の『マリコ』で美化されたイメージが造られているが、実は戦前のアメリカ大使館勤務の頃から既に二重スパイであった、と断定している。

戦後、寺崎は宮内省の御用掛になると、松平康昌ら側近の意向を受けて天皇問題についての占領軍側の確度の高い情報を入手するには、その見返りとして、日本側からの情報提供が必要だった。

その意味で寺崎は格好の人物だった、ということである。つまり、双方に薄々認知されていた二重スパイであった

この考え方に沿えば、天皇は「重光は無罪にしてほしい。木戸の日記は原田の日記より信用しない方が良い」ということを、二重スパイである寺崎に(業と)聞かせた。

天皇は意識して、寺崎の口からIPS(国際検察局)へ報告させることを、自然な会話の中に仕組んだのであろう。

寺崎はいつの間にか、その術中にはまってしまい、初めは「日記は人に見せるものではない」と内心思ったが、そのうちに、これは天皇の依頼事項だと了解した。

そのことを途中で気が付いたから「天皇の上手の剣客ぶり」に降参したのであろう。

以上、確たる出典・根拠はないが、私はそう捉えている。まあ、そのうちに同じ考えの論考に出遭えると思っている。

ここで、一旦「木戸日記」から離れることにしたい。いずれ木戸の日記の「嘘」に触れたい。

では、また、・・・。

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木戸幸一の日記 -その4-

2021-09-17 11:35:01 | 近現代史

寺崎の『御用掛日記』はほとんどが1,2行で、単語の羅列の場合もあり、まるで暗号か備忘録のメモのような場合もある。

ここで扱う1948年1月28日の件は全体で11行だから長い方である。

原田と木戸の日記の比較の前に、天皇の発言として、「重光ハ無罪トシナケレバナラヌト云イシ由」の1行がある。つまり、この日の拝謁では、天皇は東京裁判のことに触れているのである。

とすると、次の行の「原田日記ハ個々ノ事実ニ誤リアレド、全体ノ流レハ正シ、木戸ハソノ反対ナリ」ということは、どういう意味があるのか?そして「全体の流れ」とはどういう意味なのか?そもそも、日記というものに「全体の流れ」があるのか?

天皇によると、日記は全体の流れに沿って書くものらしい。ここで、仮に、「全体の流れ=国家の流れ」としてみよう。とすると、「木戸日記」は「個々の事実は誤りはないが、国家の流れとしては正しくない」ということになる。なぜ、そんなことを天皇は言うのだろうか?この言葉が解るのは天皇だけとして、実は、昭和天皇の漠然とした「木戸日記」の否定かもしれない。

何故、そう思うかというと、この二人の会話の時期には、東京裁判の真っただ中でもある。この二人の会話から約2週間後の1948年2月11日に木戸被告に対して英国のコミンズ・カー検事の最終論告が行われている。

その論告がどのような内容だったか、東京裁判期の「木戸日記」には「2月11日、今日は紀元節・・・検事の最終論告が始められ、まずキーナン、引き続きコミンズ・カー…」と簡単に書いてあるだけである。

ところが、息子孝彦のあとがきでは、「まことに緻密且つ有能なコミンズ・カーに交代し、同氏の強硬な異議を受け、…」と書いてあった。

近衛公上奏の時に侍立を交替させられた藤田侍従長の回想に、コミンズ・カーの最終論告の一部が出て来る。そこにはこうある。

「木戸の天皇に対する真実の態度は如何なものありましたろうか。彼は大いなる忠義を公言しているが、…原田の記録(原田日記)を承認するならば、木戸は内心天皇を秘かに軽蔑の眼をもって見ていたのが真実である。…」とあった。

こんな酷いことを木戸は言われたのである。彼の日記は何の反応もない。彼の性格の一端が出ている。

昭和天皇が寺崎御用掛に「原田日記」と「木戸日記」を寸評したら、僅か2週間後に東京裁判の最終論告に「原田日記」が出て来るのである。これは、一体どうしたことなのだろうか? 次回に、また。…。

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