玄冬時代

日常の中で思いつくことを気の向くままに書いてみました。

岩波新書「巻末挨拶」―5-

2021-10-22 11:20:25 | 

2006年4月、「岩波新書新赤版1000点に際して」との題名で挨拶が変わる。

そこには、「ひとつの時代が終わったと言われて久しい。」と言って、あらゆるモノと一緒にして、岩波書店は「戦争責任」から全く逃避してしまう。

ちなみに、その後はどんなことがあっただろうか。

リーマン・ショック(08年)・東日本大震災(11年)・安倍政権成立(12年)・特定秘密保護法(13年)・集団的自衛権(14年)・安保関連法案成立(16年)と続いていく。

それ以降は、モリ・カケ・サクラで政治が汚染化、陳腐化された。

そこでは確かな政治動向が生まれず、残るのは残骸やごみばかり、アベノミクス・アベノマスクという悪夢の自民党政権が9年も続いている。

岩波新書の挨拶は次はいつ変えるのだろうか?老後の楽しみにしている。

それとも新刊を買ってないので、気が付かないうちに変わったのかな?ちょっと自信がない、…。

セイタカアワダチソウとススキは共生できるのだろうか?これは老後に解るかしら…。

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岩波新書「巻末挨拶」―4-

2021-10-21 11:20:54 | 

1988年1月、「岩波新書創刊五十年 新版の発足に際して」と題して、挨拶が変えられた。

件の戦争認識は、「日本軍部は日中戦争の全面化を強行」「戦争は惨憺たる内外の犠牲を伴って終わり」とあり、依然として、戦争の首謀者(=責任?)は「軍部」、そして、敗戦とは言わず、終戦とも言わず、「内外の犠牲」という処に落ち着かせた。

苦心の跡は感じるが、最初に出会った時の奇妙な時代の静止感がある。つまり1988年になっても、戦後40年以上経っても、「軍部」という曖昧な主体で戦争責任からは実際は逃避している。それから、かつて1970年には『敗戦』言ったのに、何故だか敗戦と言わない。

ある種の閉塞やゆがみを感じてしまうのだ。

1989年1月には昭和天皇が崩御された!さあ、どうなるのかと言うと、岩波新書はここから沈黙してしまうのだ。

その後は世界は大きく激動したのである。ベルリンの壁(89年)・バブル崩壊(90年)・ソ連崩壊(91年)・阪神大震災(95年)・国旗・国歌法(99年)・同時多発テロ(2001年)・イラク戦争(2003年)と、…。

この国は新自由主義に向かってグローバリズムの中に巻き込まれていった。

また、続きは次回に。

湘南地方のススキはちょっと元気がない。

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岩波新書「巻末挨拶」―3-

2021-10-20 11:30:29 | 

1970年3月、「岩波新書について」というまっとうな題名で始まる。

そして、「新書の赤版百冊は日中戦争から太平洋戦争たけなわまで及ぶ。休刊後1949年赤から青版に改め再出発した。…『戦争は惨憺たる敗戦をもって終わり…』」という下りが出て来る。

ところが、それから7年後に、巻末挨拶は変更された。

1977年5月、「岩波新書新版の発足に際して」と題して、急に青版から黄版に装丁の色が変わったのが、挨拶変更の理由としている。

そこには「日本軍部は中国大陸に侵攻」「一九四五年八月戦争は終わった。日本の民衆が、敗戦による厳しい現実を見据え…、」との文章に目が行った。

1970年安保の時には『敗戦』を認め、僅か7年後には「終戦」と「敗戦」を両語併記とし、俄かに戦争の主体は「軍部」と言い出した。

この僅か7年に何があったのだろうか。

70年安保・万博(70年)・沖縄返還(72年)・日中国交正常化(72年)・天皇の「戦争責任での「言葉のあや」発言」(75年)

このあたりから、急に戦争責任の軍部に押し付け、中国大陸侵攻の是認といった政治的な配慮が窺える

その挨拶変更の理由として本の装丁の色まで買えるとは、まだ出版業が隆盛していたのだろう。それから10年後にまた装丁の色を赤に戻した。

ここで紙幅の都合で、次回へ

セイタカアワダチソウは外来種なので強い。30年前ぐらいに目についてきた。ススキが駆除されるかと心配したら、何処かの学者が必ず”共生”すると言ったが?

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岩波新書「巻末挨拶」―2-

2021-10-19 11:20:26 | 

私の調べた範囲では、①1938・11(刊行挨拶)②1949・3(再刊挨拶)③1970・3④1977・5⑤1988・1⑥2006・4、というように「巻末挨拶」は5回変わっていた。決して定期的ではなく、不定期に変更している。

私が一番興味があるのは、「先の戦争をどう捉えているか」ということである。

①の刊行の時は言うまでもなく戦争賛歌であった。王道楽土・国体明徴・八紘一宇の言葉が躍っていた。日中戦争勃発後の世上を考えれば、こう書かざるを得なかったというのが窺える。

②の再刊挨拶に「偏狭にして神秘的な国粋思想の圧制に抵抗し」「いまだかってない崩滅を経験し、…」「平和にして自立的な民主主義日本建設の道はまことにけわしい。」というかんじであった。

これが書かれた年が、1949年と云うならば、その下地には、既に東京裁判は終わり、未だ米軍占領下にあり、天皇の人間宣言も行われ、新憲法も制定されたということが明確に伝わってきた書きぶりであった。

それから、約20年を経て、1970年に書き換えられるのだが、ふと何故1960年前後に書き換えられなかったのか、という疑念が生まれてきた。

ここで紙幅の都合で、次回へ

岩波新書の1938(昭和13)年の「刊行挨拶」は家には無くて、図書館から借りて来ました。

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岩波新書について -1-

2021-10-18 11:37:24 | 

私は不眠症で寝る前は必ず本を読む癖がある。時に興奮して余計に眠れないことがあるが、それ程の名著に遭遇することは稀だ。

だいたい読むのは新書か文庫本が多い。それは持ちやすいからで、途中で眠って顔に落としても痛くない軽さだからである。

言葉の由来を書いた岩波新書を読んでいたが、読めども読めども期待した内容ではなかった。一応最後まで読んで、腹立ち紛れに奥付きの上の著者紹介を読んで、「やっぱり、東大か!」と思った。もっとも岩波書店は東大の学者の本が圧倒的多いのだ。

ふと、もう一枚めくってみたら、そこに小さな活字で「巻末の挨拶」があった。それを何気なく読んだ。最初の一行が気になった。

日本軍部は日中戦争の全面化を強行し、国際社会の指弾を招いた。」と、そして数行過ぎて「戦争は惨憺たる犠牲を伴って終わり」と先の戦争を括っていた。

書かれた年が1988年1月だった。

文章全体が奇妙な感じがした。日本を代表する書店の「戦争に関わる認識」として、何故かしっくりしないものを感じた。

1989年1月には昭和天皇の崩御があった。そう考えると眠れなくなる。書棚に行って、あらゆる岩波新書を漁った。そこで分かったことは、岩波新書の「巻末挨拶」は刊行以来、その時々の時代認識を踏まえて書き換えられていることが判った、…。

今年は、何故だか猫じゃらしが密生している。気候の変動???

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