玄冬時代

日常の中で思いつくことを気の向くままに書いてみました。

政治の不毛地帯

2023-04-20 14:10:25 | 政治

ハンナ・アレントは政治の定義で、「政治とは権力(power)をめぐるものだ」と云ったとか。

今のこの圀の政党政治の惨状は酷い。コロナのワクチン接種事業の委託を受けた旅行業者が水増し請求をしていたとか。旅行業界は自民党の二階派に親しいとか。質問権行使ばかりで、いつまでたっても統一教会の解散命令が出ない。これは自民党の安倍派が止めているのか?結局自民党は権力を使うために派閥権力闘争に明け暮れているのではないか。

また、アレントは「政治が少なければ自由は多い」と云ったとか。

アベ・スガ・キシダは権力を使い過ぎて、人々の自由は少なくなっていないだろうか。

和歌山事件の彼は「安部の国葬を閣議決定したこと」を問題にしている。明らかに、国会を軽視したキシダの横暴さが明白に出ている。

現憲法の前文に、主権者である国民は「国会における代表者を通じて行動する」ことになっている。その国民主権の代理者である国会を無視し、キシダは首相の権力(暴力)で国葬を勝手に決めたのである。その明白な民主主義への背理のことを何も言わない専門家というヒト?そして、言わない自由を行使するメディア。利益配分の権力(官僚指導)ばかり使って、本来の国民の代表者の政治をしない自民党と自公議員、野党の多くの議員も。

その結果は、一部の企業利益に貢献し、国民所得は減って、段々人々の自由は少なくなる。アレントが定義しない政治へ流れることは、これは「政治をしていない」ということではないか。この圀は政治の不毛地帯だ。

【引用文献:バーナード・クリック『現代政治学入門』、佐々木毅『政治学講義』】

 

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個人の尊厳と憤怒

2023-04-19 14:49:17 | つぶやき

歴史は繰り返してほしくないが、井上日召に率いられた「血盟団事件」から海軍将校らの「五・一五事件」への連鎖は、今回の連鎖と底流の政治不信は同じだろうが、憤怒の理由が違うのではないかと思う。

今回の連鎖は、安倍元総理から岸田総理の間に宮台教授の襲撃を入れると、行動者の共通項は、学校に行けない、就職できない、社会から孤立する、等ではないか。

彼らは最小の「個人の尊厳」を求めるが、政治や教育が全く理解を示していない。その憤怒の行動と見えるが。

この先、政治・政党への不信が更に増大し、既得層や上級層への攻撃行動が多発するかもしれない。実に嫌な想像をしてしまうが、…。

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あれから四年

2023-04-18 16:14:07 | 雑感

早いもので統一地方選が始まった。任期中の4年間のうちほぼ3年間がコロナだった。その為か、又は、単に4年老いて見方が変わったのか?どの立候補者の顔を見てもピンとこない。みんな入社試験の履歴書のように選挙ポスターが見えてしまう。

直近9箇月間に自民党の実力政治屋が2回も襲撃を受けた。ということは、自民党政治が(民主)政治の態を為していないと看る。

今度の和歌山の事件も警備の失敗かも知れないが、官憲は奈良の時の「…と思い込み」と言った軽率な発言を控えたようだ。だが一切情報を流さないので、テレビが使う専門家??やコメンテーターの声がうるさい。

ミウラ氏がいない隙にフルイチ氏がしゃしゃり出て、ハシモトとの政権ヨイショが卑しい。

昭和世代は隅っこで沈思するしかない。若いヒトばかりか、年寄りも充分生きづらい世になった。

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今更、再開発

2023-04-17 16:51:09 | あれこれ

よく訪問するブログで「再開発のこと」が触れられていた。その元となったネット動画では高円寺や下北沢が例になっていた。

高円寺は何度か行ったことがあるが、今更、道路や駅広の整備でもあるまい、十分効果的に都市化されているので、無駄な再開発との住民たちの主張に賛同する。

下北沢は子供の頃から知っている街で、昔の闇市のような商店や飲み屋があって、それが一掃されて小綺麗な街になったのだが、それで誰が得をしたのだろうか。多分小田急と京王井の頭線ぐらいだな。下北沢のちょっと怪しい危険な雰囲気で役者や学生が棲む芝居小屋のある街が単に小綺麗で上品な世田谷の高級な町に変わるのが残念だ。

此処、小田急江ノ島線の界隈では、長後の街は開発が遅れた結果、狭隘道路と駅前広場の不備が災いして、かつて大山参詣の長後宿の面影をすっかり失ってしまい、今やシャッター商店街となってしまった。

再開発は時機を間違えると有害な都市変化となり、結果は建設業者の糊口を啜る程度の経済効果しか生まない。

昔東京に住んでいた者としては、明治神宮の樹木が伐採されるというのは本当にやるせない。この再開発も、結果は貪欲なゼネコンの空腹を一時的に満たすモノであり、そこに暗躍する金で動く政治家どもの縁故政治がうとましい。当然だが、縁故政治を蔓延らしたのはアベ・スガ政権の自・公議員たちだ。そういう有害な政治家こそ自決か退場を願いたいものだ。

長後街道、道が狭くて車も通らない静かな商店街となりました。

 

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少子化でもいいじゃないか

2023-04-16 20:07:09 | つぶやき

出生率を上げて人口が維持されても、子供が生きることが楽しく、又は夢をもって生きられないのならば、あまり意味がないのではないか。

街で夫婦が一生懸命に子供の世話をしている姿を見ると、「大変だなあ」とつい思ってしまう。

仮に、今から自分が20歳に戻って生き直したら、たぶん結婚もしない、子供も持たないかもしれない。

何故って、今のこの國、つまんない国だよ。

テレビ見れば判る。つまんない番組、安全なコメンテーター、都合が悪いことは総じて「遺憾」「懸念」で済ます。

何故「よくない」「まずい」「心配だ」「恐れがある」とハッキリ言わないのだろうか。

戦前は7000万人位だった。台湾と朝鮮を合わせて「一億火の玉」とか云っていたのだから。

時代に合った適正規模の人口というのがあるんじゃないでしょうか。

多分、民族の絶滅はないだろう。危なくなれば、ラクビーのように国籍混合にしてもいいけれど。

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