玄冬時代

日常の中で思いつくことを気の向くままに書いてみました。

異次元の人達

2023-11-16 14:05:52 | つぶやき

もし、黒田バズーカ(異次元の金融緩和)を3~5年で止めていたら、経済は違うふうになった筈だ。仮に、大阪万博を中止したら、大阪は「無駄をしない」という分野で東京に勝てる大都市になるかもしれない。

オリンピックは中止できなかった。その理由は、昨年の一連の汚職がその仕組みと関連を証明してくれた。おまけに、最後の業界とのお約束が、神宮外苑の森の伐採であることも暗示してくれた。

此の圀に必要なのは、止める勇気、引き返す勇気、今、それが必要なのだ。

太平洋戦争で大きな失敗をしたのに、また同じことをしている。この圀は懲りない人が多いのだね。

ついでに、「異次元」というコピーも飽きてきた。異次元とは結局「まやかし」という意味のようだ。

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久しぶりの吉祥寺

2023-11-15 15:26:06 | 散歩

先日のこと、暑い夏が終わり、急降下の冬が目の前にあり、やっと懐かしい東京都下に行ってきました。

吉祥寺のサン・ロードの天井

 実は吉祥寺には、吉祥寺と云う寺は無いのです。

相変わらず、メンチの佐藤商店は行列。

羊羹の小笹も行列。

井の頭線の吉祥寺駅。これに乗れば昔の私の家に行けますが、今はありません。

 

 

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近現代史の裏側⑻ ― マッカーサーの警告 ―

2023-11-14 10:20:24 | 近現代史

実は、私はマッカーサーのことはよく知らない。「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」と云ったとか、降伏文書を署名したミズリー号の艦上の飾られた米国国旗がペリー来航の際の歴史的な国旗を掲げたとか、或いは、あのパイプを咥えた写真の顔から推察すると一筋縄の男ではないような気がする。

彼の気分や性格や趣味を徹底的に配慮、日本なら忖度してGHQは動いていたような気がする。

話は変わるが、近衛文麿は戦犯訴追を恐れて自死した。木戸幸一は天皇を無罪にするのは自分が無罪になることだとの理屈を振りかざして『木戸日記』を差し出して、自らの死刑を逃れた。私感だが、その二人の犠牲になったのが廣田弘毅であろう。

まさに華族の頂点である近衛公爵・木戸侯爵の二人がGHQから狙われたが、意外にも70歳を超えている皇族の梨本宮守正王まで巣鴨プリゾンに収監された。それはGHQの警告で、本命は伏見宮だったのではないか、と。

その梨本宮が釈放された日が4月13日、つまりは「天皇回想録(=天皇独白録)」の天皇のお言葉聴取の最後の日が4月8日なのである。

ここまで、関連し符合すると、『昭和天皇独白録』というモノが、どういう筋合いのモノなのかはいろんな解釈ができるというヿが見えてくる。

単に「回想録」だと云う人も居るし、東京裁判の「証言」準備資料だと云う人も居るだろう。あるいは、簡易略式な「尋問」記録だと云う人も居るかもしれない。

戦後80年たっても正式な発表はないし、この圀では、これからもないだろう、たぶん、…。

1995年刊行の文庫版『昭和天皇独白録』の巻末には、解説にかえて「座談会ー独白録を徹底研究する」が載っている。そこで秦郁彦は独白録を「東京裁判対策だ」と云うと、児島襄「弁明書だと思っていない」と返し、伊藤隆も「弁明書ではない、これは楽しく読んだ方が良い」と同意見だが、半藤一利はこの時沈黙していた。

それから20年経って、2015年刊行の本書において「東京裁判対策だ」と認めたようだ。時間が重い口を開かせる。(次週へ

 

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近現代史の裏側⑺ ― 半藤一利の「あえて」―

2023-11-13 10:15:28 | 近現代史

『昭和天皇独白録』という本のタイトルは、その意味は「独り言」(格好つければ、「モノローグ」かな)であるが、実際に天皇の独り言を五人の側近たちが聞いたものをまとめた風のタイトルだが、そう名付けたのは文芸春秋の半藤一利があらゆる方面へ配慮した苦心の作品であろう。

この記録が創られた時期は昭和21年3月~4月だという。半藤は「21年1月25日にはマッカーサーが天皇を戦犯からの指名から除外することを決めていた」とあえて触れているが、それは天皇の「御記憶の記録つまり回想録」の作成意図を「東京裁判」との関わりを薄めようとしたのであろう。

しかし、この「天皇の回想録」の最終の日は4月8日である。その日以降に、4月17日に国際検察局でA級戦犯が決定し、天皇を訴追しないことを確定している。半藤は天皇が無罪決定を1月にしたかったのであろう。

また、半藤は「五人の側近たちの質問に、真摯に、…一つ一つお答えになられたモノである。その意味からあえて独白録と冠したが、…」と書いている。「独白録」とした理由に、何故「あえて」を付けたのだろうか。半藤の真の意図を図りかねている。多分「昭和史研究家」としての自己納得の領域で、到底読者には解らない。

本筋に戻すが、伏見宮の部分を「書き落とし」とした件だが、半藤が「独白録」と冠した勇気はあったが、「天皇の回想録」の一部をあえて一研究者として抜いたとは思えない。また、それ程の度胸はあるまい。

とすれば、半藤の手元に資料が来た時から、伏見宮に係る記載が抜け落ちていたことになる。

近年、アメリカのオークションで現物を日本の医師が落札して、国に寄付したと聞いた。

是非、その現物を見て、当該の部分を確認してみたいものである。

単なる推測だが、天皇が平和主義であることの証左とならないから、抜け落ちたとすれば、天皇にとって、或いは、皇族にとって都合の悪いことが書かれていたのかもしれない。(次回へ

【参考文献:粟屋憲太郎『東京裁判への道』講談社学術文庫、『昭和天皇独白録』文芸春秋】

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近頃気に懸かるヿ

2023-11-10 14:27:57 | つぶやき

例のJ事件の最高裁の判決を報じたのは、朝日のベタ記事一つだそうだ。2003年のヿだという。それからマスコミは約20年間、何もしなかった。

その理由は未だに解らないし、これに関して、腑に落ちる発表も、懺悔もない。まさか理由が無いとは言わないだろう。

J社の記者会見のNG記者がたった6人しかいない。かつ大新聞やテレビ記者が一人もいない。全く腐っているマスコミ界だ。

近頃、朝日の南記者が辞める日に上層部宛に出したメールが文春報道された。むかし、暇で、官房長官記者会見を見ていたことがあった。その時、東京の望月記者の質問に理解を示していたのが南記者だった。

また一人、真面であろうとした記者が追われた。南記者は沖縄の新聞に行くそうである。

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