玄冬時代

日常の中で思いつくことを気の向くままに書いてみました。

ずるい小説家

2023-11-09 14:11:38 | ぼやき

日大のアメフト事件の記者会見では、見るからに太々しい沢田副学長の顔が印象的だった。

林理事長は記者に質問されて、即座に「一切ございません」と言い切った。人々はお飾りで情報が上がらなかったから、と同情したものだ。

第三者委員会の発表では、林理事長はその時点で事実を知っていたそうである。

これでは話は全く違う。小説家は抑々が嘘が上手いヒトだと思うが、現実世界で嘘を言うのは良くない。これじゃ二人とも狡い、信用できない。

日大の関係者や学生はたいへん多い。みんな肩身が狭いだろう。前も悪いが、今度も悪い、何処かの国の内閣並みだ。

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古本を買いました。

2023-11-08 19:21:08 | 散歩

去年の交通事故以来、無理をしなくなり、行動範囲が狭まりました。とはいうものの、歩くこと、見ること、食べること、大事だと思います。

先日、横浜の古本屋に行きました。

この著者の論文は難しいのは知っているが、つい「日比谷焼き討ち事件」が目次にあったので買ってしまった。値段は275円、安いと思いました。

彼の論考は周到な典拠が並び、結論に行くまで疲れるが、想像していたよりも当該の事件は広範囲で、この圀の大きな民衆の抵抗運動であったと知った。鵜呑みにはしないが、大いに参考になった。

こんな素人的な本があったと、つい買ってしまった。著者名は中村武彦、記憶はないがネットで調べたら、右翼系の大物のようだ。中身は幕末の攘夷の志士の話だから楽しみしている。値段は550円。

帰りにラーメンを食べた。650円。昔のイメージがあったが、味が違った。

 

 

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近現代史の裏側⑹ ―伏見宮軍令部総長―

2023-11-07 11:45:49 | 近現代史

『昭和天皇独白録』では伏見宮の行動としては別の記載がある。

日米戦争前の、1941年10月初旬、既に総長を辞めた伏見宮が天皇に拝謁した時のことを「独白録」では、「近衛・杉山・豊田・及川・東條・永野の6人を呼んで戦争可否論をさせ、和戦両論が半々ならば、戦争論を決定してくれとのことであった。私はこれには大蔵大臣を参加せしむべきだと云って、不賛成を表明した。」と書かれていた。

これについては、木戸日記にも、10月10日の件に、「午前十時武官長より伏見宮拝謁の際の御意見云々につき話しを聞く。10時20分~11時20分拝謁す。過日伏見宮とご会見の際、対米問題に付き殿下は極めて急進論をご進言ありし趣にて、痛く御失望被遊様拝したり。」とあることからも、伏見宮の言ったことは事実なのであろう。

とすれば、伏見宮博恭(ひろやす)王は戦争肯定派であることがこの言葉の中から読み取ることができる。昭和天皇の伏見宮への慎重な言い回しも、これで納得できるところである。(次週へ)

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近現代史の裏側⑸ ―皇族の二人の総長―

2023-11-06 09:33:04 | 近現代史

閑院宮は陸軍の政治的軍人ら操られていたのではないか。

畑陸相に辞任をさせるのに与して、米内内閣を潰しに利用されたのではないか。

「畑俊六日記」によれば、閑院宮戴仁総長の捺印のある「陸軍大臣への要望」の文書をつきつけられた。「総長宮殿下の捺印あるものなり。…当然進退を明かにせざるべからざることとなれり」とのことである。【大江志乃夫『御前会議』中公新書ヨリ】

『昭和天皇独白録』では、皇族の両総長の交迭は、一つは「ロボット」になった傾向という理由は、閑院宮を指しているのであろう。そして、伏見宮は病気になられたので、その機会に替わっていただいた。―と記されている。

随分と気の廻された表現である。どうも昭和天皇にとって伏見宮は扱いづらいに人物なのだろう。

「海軍の要求を容れて、伏見宮に軍令部総長―――」と切れてしまっている。

海軍の要求とは、加藤寛治大将と東郷平八郎元帥が熱心に主張し実現したそうである。【野村実『天皇・伏見宮と日本海軍』文芸春秋ヨリ】(次回へ)

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質実生活へ一歩

2023-11-03 13:26:29 | 食べ物

ネットで鶏肉のミンチから中華そばのスープを作る方法を見た。我々年寄りには○○系ラーメンとかラーメン二郎なんかは食い切れないし、結局は昔の東京ラーメンが好きなのである。

そこで自分なりにアレンジして、湯に浮いた鳥ミンチを濾して、スープとミンチに分けた。スープには東京ラーメンの煮干し系のイメージで蕎麦用出汁醬油を入れてみた。それに酒と良質の胡麻油を垂らした。薄いが東京ラーメン的なスープになった。麵は市販の生麵を使いました。

一寸貧相だが、味は薄いが血圧にいい。スープが少ないのは、失敗を恐れて少量にしたためで次回は大丈夫。

そして、濾紙に残った鳥ミンチはフライパンに醤油、砂糖、胡麻油、酒を入れて味付け、傍にあった鰹節を入れて作ってみた。

実はこれが結構うまかったと自賛している。また、次回は大胆に作ってみよう。

質素も楽しみながら、…。買えない、食べれないの貧乏はつらいなあ。こういう心配はキシダさんには無いのだろう。

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