「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「さびしいよ~~」

2015年02月28日 | おせっかい

                          

かれこれ半年前から準備してきた中学校学年同窓会。
今一度住所の洗い直しから始めて、人づてに新たな住所を探し当てた仲間も何人かいる。
幾つかの会場候補と値段の折衝。必要経費の試算ほか諸々を、三度の幹事会で検討を重ね、練り上げたつもりの案内状作成。

単なる往復はがきでは、案内を受け取った側も少し味気ないだろうという配慮から、ならばA-4版に案内状をしたためようと決めた。
返信用の葉書を同封すれば、1人134円の経費が掛かる。それでも、案内状を見て参加意欲を起こしてくれると有難い・・・などといろんな思惑を込めて。164通の案内状を発送したのが一昨日の2月26日。

たった3日後の今日、郵便受けに早速3枚の返信はがきが届いていた。期待に胸が躍る。

ざ~~んねん!3枚とも欠席。案内状を受けるが早いか返信を投函してくれたのに違いない。返信をくれないよりは有難い話ではある。
そうはいっても、出席というなら、案内状が届くのを待っていたように返信をくれる気持ちはよーく分かる。その逆で、欠席ならばせめて1週間くらい考えた振りをするくらいの思い遣りがあってもいいのではないか?と、素人幹事みたいな甘いことを考えてしまう。

幹事をやるからにはこんな辛酸は舐めつくしているはず。何をいまさら甘いことを・・・と自分を叱っている。
が、今日の場合はもう一つガックリ。幹事の仲間に申し訳ないな~という現実が届けられたのである。
3枚届いた欠席はがき。そのうちの2枚に、発信者の住所もなければ名前もない。まさに名無しのゴンベー。
2枚のうち1枚は、欠席に丸がしてあるだけ。もう1枚は住所欄に「変更なし」と記され、近況伝言欄に「残念、診察日のため」と書いてある。

ア~~ア、涙が出てきそう。 いや、こういうときは、あきれてものも言えない、涙も出ない・・・というのが本音かもしれないな~。
ただこれもここだけの話にして、しばらくは幹事仲間には言わないでおこう。淋しい思いをするのは、返信受け取り者だけでいい。

そして次にこの胸に迫りくるのは大いなる反省である。「発送前に何故通し番号を打つくらいの配慮をしなかったのか」と。
住民基本台帳ネットワークにも似た、全員の通し番号を、返信はがきに付けておけば、こんな憂目にはあわずに済んだのかも。
やはりここは幹事の至らなさ、配慮不足によるものだ、と結論付けることにしよう。 

たとえ、人生終盤を迎えて年に不足の無い大人でも、「必要事項を記入の上、返信はがきを必ずご投函ください」という文言が見落とされることはあるということだ。
同窓会の案内が来たら、出席か欠席か、少しは考えた振りをして、必ず返信は出しましょうや、ご同輩。住所氏名は忘れず書いて。
そして残り少ない同窓会、できれば出席に丸をして・・・。 

明日から始まる弥生の空に、今一度気持ちを立て直し、希望を持って返信はがきを待つとしよう。

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「魔の25日」

2015年02月26日 | おせっかい

               
                      案内状発送の大切な幹事会

色んなことが重なって、2月25日という日は多忙を極めるというか、朝から夜まで時間に追われる一日となった。
自分で決めて自分に課したノルマみたいなものではあるが、どれもこれもみんな外とのつながりや、人との関わりの中で、やらなきゃならんと思うことばかりではある。やらなきゃやらずに済む、などという甘い話はない。

ただ、25日に集中するということはあらかじめ分かっていたことだから、もう少し早めの段取りの良い準備ができたのではないか、という反省も少しはある。それもほんの少しだ。何故なら、前日までの結果によって資料を作成するという厳しい現実もあったということ。
それは何?などと君のたもうことなかれ。まさに色々。
ただ自分で勝手に忙しくしているだけじゃないか・・・。そんなご指摘もある意味当たっているのかも。いやいや今回に限っては当たっていないかも。

中学時代の同窓会をやろうと発案したのが昨年秋。実施が4月だから、この時季に案内状発送という段取りになる。
「同窓会2015」と銘打ってスタートした幹事会。10年前とはえらい違いで、みんな年を取ったな~と実感させられる作業の遅さとミステーク。
いやいや、他人ごとではない。自らもその仲間だ、と思い直して時間をかけてもいいから性格を期そう、とハッパを。

なんだかんだ言いながら、水面下の水かきに精出したお蔭で予定通り、全てが一通り終わった。ということにしよう。
地元の福祉協議会機関紙の目玉記事として特集する「特殊詐欺にご用心」も、警察署生活安全企画課でじっくり話も聞いてきた。
そちらも織り込んでなんとかゲラ刷り原稿も仕上げた。ホッ!
この一瞬の満足を得るために、あれこれ肩の凝る思いもしてきたのだ。今夜のイッパイは格別に利いた。

明日はまた一つ、朝の早い時間にこなすお役目が待っている。
原稿を読み返すうちにコックリさんが容赦なく襲う。明日が終わったら、本当に一息かな、まだまだ次がありそうだ。
一つ山越しゃホンダラッタホイホイ・・・ 

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「寒さの峠」

2015年01月21日 | おせっかい

                          

いよいよ大寒を迎え、寒さも峠にさしかかった、と思いたい。
まだまだこれから寒さは続くのだろうが、大寒の次に来る節気は立春・節分である。ということは、春近しを予感させる季節となる。
寒さに縮こまってなどいられようか。あまり縮こまっているような暇はない日々ではあるが・・・。

春爛漫の4月、同窓会開催に向かって、大きな一歩を踏み出した。
というと少し大げさに聞こえるが、切り盛りする身になってみると、結構厄介な仕事の一つではある。

前回、古稀70歳で開いた中学校学年同窓会では、次は喜寿77歳で会おうねと分かれたのである。
が、実際には古稀から喜寿までの7年間は、人生終盤の大きな曲がり角であることを見せつけられている。 
というのが、古稀同窓会から3年もたたないうちに、身近な同級生が3人も永遠の旅立ちをした。
他にも、旅立ち予備軍が数人いるような。旅支度はしていないまでも、人工透析や、各種カンとの闘いを余儀なくされている仲間も少なくない。

そこで、古希と喜寿の中間に同窓会を開こうや・・・という切実な声に押されて腰を上げた。正直に言えば上げさせられたというのが本音である。その2回目の準備委員会が今日であった、という次第。
幹事が15人いた前回に比べ、あれこれ事情があって、今日集まってきたのはわずか9人。
この現実を見るだけで、みんな年を取ったのだな~と身に詰まされる。

準備した議題に沿って話を進めるのだが、一瞬のスキをついて盛り上がるのは病院通いの話である。
白内障はどうだ、緑内障はこんな症状で・・・。誰それは大腸がんを切除して、あいつは人工透析を前に食事療法で大変だ・・・と。
その盛り上がりをなんとか準備委員会に引き戻したりしながら、我が身の健康の有難味を噛みしめたりする。

“ 人が減り 精鋭などと いう会社 ”という川柳を見つけたが、まさに、人が減り 精鋭などと 言う幹事。
少人数であろうとなんだろうと、やるしかない。年賀状に4月開催を予告し、恩師を始め、今年はかなり余分に同級生に発信した。
思惑通りの参加は期待できないと思うが、ただただ愚直に、寒さに負けず、案内状作成や、宛名シールを作るのだ。さあこれから!

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「予告編」

2014年10月27日 | おせっかい

                  

関西地方では、この秋一番の冷え込みとかで、「木枯らし1号」が吹き荒れたという。
もうそんな季節か・・・ などと呑気なことも言っている場合ではない。

田舎の夜は早くて、玄関に鍵をかけ外灯も消した8時過ぎ、ピンポ~ン!
「郵便局です」というインターホンに慌てて印鑑持って玄関に出たのは、かれこれ10日も前になるだろうか。
配達物でも、贈り物が届いたわけでもない。顔なじみになった郵便配達員さんが、恐縮そうにパンフレットを差し出す。
例によって、年賀状の予約申込用紙である。「今年も是非よろしく・・・」と、丁重にお辞儀をして帰って行った。

ということは、今年も早、年賀状の準備をする時季になっているのだ。木枯らし1号も決して早すぎるわけではないということか。
さて今年したためる年賀状はどのようなスタイルで臨むか・・・などと、郵便配達員さんの熱心さに乗せられて、早くも賀状のデザインに気持ちが傾き始めている。

というのも、またまたおせっかい虫が頭をもたげはじめた。中学校同窓会をやろうやぁという話が本格化してきた、ということ。
70歳、古希を記念した同窓会を盛大?にやったのが2年半前。その時は「次は喜寿77歳で元気に再開しよう」と言って別れた。
ところが、たったこの2年半の間に3人の仲間が相次いで黄泉路の彼方へ旅立った。

「77までは待てん。早くやろうやぁ」と、何人かからせっつかれるようになった。
「やはり来たか」という思いもあったし、喜寿までは待てないよな~と自分でも納得して近々幹事会を招集することにした。
その前に、クラス代表数人で下話をして、「来年5月までには開こう」と大筋で合意している。
どうせやるのなら、早くから準備をして、一人でも多くに声をかけるのが幹事の役目、と決め込んで。
そして、これから準備する年賀状には、格好の「同窓会案内予告編」のお役目を託したいと思っている。

恩師に、そして同窓の仲間に、幹事のみんなが協力して、1枚でも多くの年賀状を出そうよ、ということになる。
決して、日本郵便の回し者でもなんでもないが、兎に角同窓会に一人でも多くの参加を願う、幹事の心意気を示したい。
同窓会案内予告の年賀状などというと、口の悪い友は「根回し」・「小細工」などとのたまうが、われ関せず。
来年5月を目指すなら、案内状は2月末に発送。その前の年賀状。やはり格好の予告編に違いない。

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「ご近所、されど外国」

2013年10月23日 | おせっかい


                     

またまた中学校時代の仲間が11人集まった。
このたびは、飲むでもない、歌うでもない、どちらかと言えば硬派の集まりであった。顔ぶれは変わらないのに、不思議な話ではある。
飲んだのは、錦帯橋空港での待ち合わせ時間調整のコーヒーくらいなもの。食べたのは海上自衛隊員と同じ釜の飯、実費370円のお昼定食である。防衛省発行の領収証書が手許に残された。

何をしたのか??
岩国自衛隊父兄会会長という肩書を持った男が同級生の仲間にいる。そんな彼の肝煎りで海上自衛隊岩国航空基地隊の見学に行こうという話をまとめた。
人数を募り、住所・氏名・生年月日・身分証明の内容など、苦労して日本語とローマ字に書き分け、先方規定の狭い限られた書面にしたためて、あらかじめ提出しておいた。

当日は、自衛隊チャーターのマイクロバスで、集合場所の錦帯橋空港までの送り迎えなど、実に懇切丁寧。
バスには、偉いお方が1名付きっ切りで、説明やお世話を頂く。
時間の関係で基地内の行動は先ず昼食の検分から。地元岩国出身の21歳など若い隊員男女4人を同席させ、おしゃべりをしながらの昼食。これも実にありがたかった。隊員の実の声を少しではあるが聞かせてもらった。

次いで、東郷平八郎直筆の書簡や、山本五十六を囲む記念写真。さらには「ニイタカヤマノボレ」の暗号電文の控えなど、貴重な資料が保管されている資料館見学。
そしていよいよ現在運用されている航空機の見学。大きな声では言えないが、装備や飛行距離、速度など世界に1機しかない掃海ヘリなどを触らせもらい、内部をのぞかせてもらった。

救難飛行艇は、沖縄から北海道まで、あらゆる場所を守備範囲に入れて、日夜国民の安全を見守っているとのことであった。
それがどうした?だからどうなの? 別に何がどうということではないが、我が国を守る最先端のほんの一部ではあるが、身を以て体験するチャンスを得たということ。そして、何かしら背筋が伸びる緊張感に襲われた。

ところが、自衛隊基地は言わずと知れた米軍岩国基地内にある。そこは外国である。
わが町、塀を一枚隔てた隣村であってもそこは日本ではない。日本人が、ましてや我々一般人が勝手に出入りできる場所ではない。事前の許可や、身分をすべて証明できるものを所持し、エスコーターというお迎えか知人の存在が要る。やれややこしやややこしや・・・。

沖縄の無念さを改めて識る思いと、この存在をがまんすることが、我が国の安全と平和を維持するという現実を直視するしかない。基地は返せ、アメリカは帰れ、軍隊を持つな、丸腰で平和を唱えろ、本当にできるのかな。

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「涼を求めて Ⅲ」

2013年08月09日 | おせっかい

               
涼を求めてあれこれやってみる。ドライブがてら足を延ばしてもみる。
色々やってはみるが、詰まる所お腹の底から涼を得られた・・・と思えるのはやはりこれに尽きるようである。
気の合う者が集まって、ジョッキ片手に大きな声で「カンパ~~イ!」と叫ぶあの瞬間。
喉を通り抜ける生ビールの味。汗をかいて火照ったお腹を冷たいものが駆け巡る。五臓六腑に沁み透るともいう。
そして笑顔はじける友の笑顔。得も言われぬ幸せ感と清涼感を同時に味わう、ビアパーティ。

この夏予定されていた4回のこういったパーティも全て修了した。後は、勝手に思いついた時出かけるのかな?
いやそれほどアルコール依存もしていない。やっぱり何人かを、たとえ嫌がられても誘って行くのだろう。

最後4回目のパーティは、例によって中学校仲間のミニ同窓会であった。
声をかけ始めたころには25人も26人もOKの返事を寄越した。
ところが、段々その日が近づくにつれて、1人減り、また1人減り・・・当日のドタキャン電話を合わせて6人もキャンセルが出た。
これは前代未聞の出来事である。

その理由のほとんどが「急に体調が悪くなった・・・」という。
無理もない、この連日の猛暑酷暑、よほど元気か、仲間と会えるのを楽しみにしているか、どちらかに絞られる。
しかし、このような人数の変動は、幹事にとっては大変な労力を要するんよね~。
幸い会場が懐石料理などではないビアガーデンという人数的に余裕のある場所だからいいようなものの・・・。
まあ幹事としても、季節がら、そういったアクシデントを読んで、会場設定をしているのではある。

元気に集まった20人からは「次の本番同窓会はいつやるの?」などと気の早い話をする。
「待て待て、この暑い中でそんな話はよそうや」などと言いながらカラオケマイクに暑さをぶつける。

などと考えてみると、やっぱり、手っ取り早い最高の“涼”は、駅前のビアパーティという安近短に落ち着くのか。
これで、誰かが手を挙げて幹事役を引き受けてくれたら、それっこそ最高の“涼”になるのだろうが。

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「点滴の一滴」

2013年01月25日 | おせっかい

          

ブログを書くに当たって先ずは内容を吟味する。次にタイトルを考える。
内容の吟味より前にタイトルが決まっていることもある。そういった場合比較的スムースにペンが進む。書き上げる手間も割りとはぶけるように思う。

今夜の場合、タイトルの選定に手間がかかった。
「友の病」どうもイマイチ。「暇人」ちょっと失礼かな。「病室のクラス会」なんか不謹慎な後ろめたさがある。「天敵」怖さを感じさせるものがある。そうだ同じテンテキでもこちらの「点滴」は、まさに彼の治療そのものだ。その中でおもろい話を取り上げるなら「点滴の一滴」としよう。うまくまとまった。自画自賛。

緊急入院した同級生を見舞いに行く。「話ができるんじゃろうか」「どう言って慰めようか」「エエイ!ままよ、いつもの漫才でもやってみるか」心配がいつの間にか開き直りに変わり病室へ。案ずるよりなんとやら、大笑いしながら馬鹿話が出来るではないか。大いに安心。早速いつもの仲間何人かに電話して、連れだって改めて見舞いに行った。

いくら何でも病室で声高な話もならず、三階踊り場の面談用ソファーへ移動。
「みんなに心配かけたくなかったのに、こいつはおしゃべりじゃから・・・」と人の顔を見る。「こうやってみんなが心配してくれることを感謝して早くよくなれ」とハッパをかける。
そんな話し声は、一階まで筒抜けであったと、知人が教えてくれた。

そんな彼の「暇つぶし」ではない、自称リハビリで撮影したのがこの写真である。
『言っておきますがアタシの腕ではありません。プロの写真技術のパクリです』
かくの如く、今、自分の体内に入らんとする点滴の一滴を、あの4cmくらい落下する瞬間で捉え、見事に一滴を停止させ浮き上がらせているのである。

器械による強制落下なので、一滴垂れる間合いが早かったり遅かったり極めて不規則となる。それらを計算ずくでシャッターを切る腕前。「アーター本当に病気か・・・」と聞いてみたくなる。そこは自他共に認めるプロフェッショナル。マジに入院中のリハビリに格好の標的を見つけた思いだったのだろう。

「お陰で無事退院したよ」と連絡をもらった。やっぱり友は元気でいてくれないと。

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「クラス会こぼれ話」

2012年06月22日 | おせっかい

心底笑い、はしゃぎ、歌い、これぞ命の洗濯になった高校クラス会。
本来なら、全員が古稀70歳を迎えた直後の4月に行う予定で話を切り出した。仲間の数人から賛同を得てその気になって早速恩師に打診した。

「兎に角参加したい、みんなの顔を見たい」というのが最初の返事を頂いた。
ただし、男にしかない病気の療養中で、色々な方法で治療しているが完治ではない。それを完治させるための最後の治療が4月半ばから6月初めまでかかるとのことであった。
ヨシッ!予定変更、開催を4月から6月に伸ばすことに衆議一決。その旨を伝えると、病み上がりもあって「介護人(奥様)と共に岩国へ行く」と正式な返事を頂いた。そんなわけで2か月の延期はあったが、恩師ご夫妻揃って参加のもとに、それはそれは和やかな大人のクラス会となった。

恩師に違いはないのだが我々とは7歳しか違わない、むしろ兄貴感覚のハンサムボーイ!今でいうチョーイケメン。憧れたであろうあの時の少女だった、今おばさんたちが、臆面もなく冷やかしながらキャッキャ騒ぐ。そんな様子を見ているだけで、やはり男のデリカシーとオバサンパワーの差を見せつけられる。が、決して醜いなどではなく微笑ましい限り。

新潟から飛行機・新幹線を乗り継いで来られるという。折からの台風4号が気にかかる。何度携帯鳴らしても通じない。後で聞いたら、早めに新潟空国に行き、交渉の結果早い便に乗せてもらってことなきを得た、そして新幹線も台風の影響なしに順調に岩国に降り立ったということで大いに安心。そして当日、朝からカラッと晴れて青空が。この時はチラッと思ったねー「これぞ幹事のやる気へのご褒美か・・・」などと。

最後に特筆すべきは、あのいい加減男が、と言ってもお酒が入ると締りがなくなるだけで、しらふの時はそれはそれは真面目な現役の稼ぎ頭。誰もが気軽に寄ってくる。アーチストでありプロを感じさせるオトコ。 しもうた!ちょっと言い過ぎた!!
そんな男がクラス会の当日「明日は早くから撮影の仕事があるから、電車のあるうちに連れて帰ってくれ」と言う。今までに何度だまされてきたことか。まあそんな話は後日に回して、兎に角最終電車で真っ直ぐ帰ったのである。翌日は間違いなく雨が降ると思った。やっぱり降った。でも仕事はバッチリこなしていた。一安心。
当日は商売道具の高級カメラを持参して、鍛えに鍛えたプロの腕で集合写真やスナップをいっぱい撮ってくれた。お陰で豪華なアルバムが作れる。感謝。

「いよいよこれでお開き、また会いましょう」と言った直後、その昔の可愛げのあるツッパリ君が「オイ、これで今日はほんまに終わりか?もう一軒は行かんのか?」と歌い足りなさで迫って来た時の迫力は、やはりその昔の可愛い突っ張り兄ちゃんそのままであった。

事前の準備、当日のホスト役、事後処理に数日。やっぱり幹事って大変だな~ でも誰かがやらんにゃ始まらんしな~・・・。それになんかしら捨てがたい味わいがあるんよね~

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「かれこれ10年」

2012年06月21日 | おせっかい

          
             かれこれ10年。若く見えても古稀は古稀

『古稀70歳を元気で迎えた仲間が共に祝杯を挙げよう』と銘打った高校のクラス会。
新潟在住の恩師が、奥様ともども参加されて大いに盛り上がった。
男25人、女25人。50人の一クラスが一人の担任で3年間受け持っていただくという、当時も今も珍しい現象のクラスであった。

きわめて問題の少ないおとなしいクラスで評判だった、と思っている。
ここにきて、50人居たクラスが一人減り二人減り、消息不明者を合わせると、案内状発送は32人しかいない。そのうちの17人の出席といえば、53%もの高い出席率となる。

幹事の想いとしては、もう少し努力が足りなかったかなと思わないことはないが、恩師ご夫妻を入れて総勢19人。話が一つにまとまるのも容易なほどよい人数。と自画自賛!
盛り上がったねー。何にもしなくても笑い声は響く、ビールは飛ぶように売れる。

物静かで、どちらかというと地味な男が、本気で自分史でも書いたら、誰も真似の出来ない波乱万丈の生き方をしてきていたり、落ち着きのないよくしゃべる男が、仕事で世界各国を回ってきた実績をひけらかしたり、秀才だった彼が、ドライブインのオーナーシェフとしてがんばっていたり・・・。
たったこれだけの人数でさえ、一人ひとりの生き様を絵に描いたら、さてどんな多くの絵が掛けるのだろうと思わせる豊かな、それぞれの人生に思い至る。

もちろん男だけでなく女性にも壮絶な生き方を、笑顔の下に忍ばせている人も見える。それでいいのだ、いやそれがあるからクラス会や同期会の幹事はやめられんのだ。
それにしても、先生というのは羨ましい職業であると改めて思う。
誰からも、どんなワルガキからも、摺りよって頭の一つもなでてもらいたい仕草をする。ただ先生という職業の頭の構造は、我々凡人のものとはワケが違うことがわかる。

あの記憶力。50数年前の一人ひとりの特徴や考え方、性格まで全てがインプットされていること。「お前はあーだったよな」「こいつはもともと文才があったよなー」「彼は職人タイプだったなー」「彼女は間違いなくいいお嫁さんになると思ったよ」などなど。その一人ひとりに当たりがあって外れがない。

そんな仲間が全員揃って繰り出す二次会。歌う歌がまたその男ならではの選曲をするのが面白い。どうかすると延々朝まででも続きそう。実年齢よりはるかに若い!
何が辛いといっても、完璧にその気になってまだまだ歌い足りない顔をする友に、「そろそろお開きに・・・」と水を差す幹事の辛いこと。これさえなければいくら幹事をやっても構わない・・・とまでは思わないが、あの時は辛いのだ。

中学校の大人数もあれはあれで「ヨッシャーッ!」と満足する。高校クラス会はまた違った大人感覚の味がする。これがいい。やっぱりいつまでたっても幹事バカから離れられそうもない。前回のクラス会からかれこれ10年。あのころとあまり変わった気がしない。またいつの日か・・・。「アンタもスキね~・・・」だけは言わないでね。

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「ひと区切り」

2012年04月26日 | おせっかい

  
    同窓会翌日、遠来の先生と共に桜咲く錦帯橋散策         アルバム作成

一つ大きな仕事が終わった。中学校古稀同窓会目出度く無事完結!!
5人の先生方には、短いながらも直筆の礼状を便せんにしたため、アルバム送付の封筒に同封。同窓生にはAー4版1枚にびっしりパソコン礼状を添え、今日午後発送した。

経費節減を旨とし、配達料金を抑えるために幹事が手分けして出来る限り手渡しするのが35通。宅急便を頼るのが40通。歩いて10分のコンビニまで、重さをこらえ抱きかかえるように大切に運んだ。手に、胸にかかる重量は、実際の重量よりかなり重く感じる。

コンビニのお姉さんが心得顔で「ご苦労様です」と言いながら手際よく処理を始める。まるで同窓会アルバム発送を見透かしたかの如き慰めの一言。
抱えて来た腕の張りも、大変だったアルバム作成のプロセスもいっぺんに忘れさせる雰囲気が流れる。思わず笑顔がこぼれる。「何か分りますか?」「大切な預かりものですね」言葉を交わしながら、控え書に各人の名前を記入する。「確かにお預かりしました、早速発送します」気持ちよい応対に、焼き立てカレーパンをついお仁義に買ってしまう。

行きは重かった手提げ袋に帰りはカレーパン2個。袋も軽いが気持ちは宙に浮くほど軽い。思わずニヤリ!肩も背中もかーるい。憑きものが落ちたとはこんな思いか、と勝手な想像をしながら黄砂舞う初夏の日差しの中家に着く。

2・3日してアルバムが届いた仲間から、ちらりほらりと反応がもたらされる。その頃に本当の区切りがやってくるのだろうが、兎に角発送を終えたことで先ずは一区切り。
昨日のアルバム製本作業にも幹事団13人が集まってくる。確かに余裕の時間が十分にある連中の集まりではあるが、それにしてもいいメンバーに恵まれた。

次回はいつ・・・?そんな野暮は聞きっこな~しよ~。先ずは余韻をじっくり味わうことから全てが始まる。仲間のみんな有難う。幹事代表ご苦労さん、ということに。
アルバムの表紙を飾った桜咲く錦帯橋を今一度ご覧あれ。 

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