「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「おせっかいの虫が・・・」

2018年09月13日 | おせっかい

             

またまた中学校同窓会の幹事団結成というおせっかいの虫が、頭の中で、気持ちの中で、うごめき始めた。
前回が2015年4月開催だったので、あれから3年半が経過しようとしている。同級生の7割近くは年内に77歳を迎える。一方で小生のように1月以降の生まれにとって喜寿はまだ先の話である。でもここらでそろそろ準備を初め、全員が喜寿を迎える来年4月に「喜びの歳」喜寿同窓会が開催出来れば、節目としては最高のイベントになるのかな、などと思い立った次第である。

そして今一つ。喜寿同窓会を最後に、中学校同窓会を終わりにしたいとも思っている。
長年、一致団結して精一杯盛り上げようと努力してきた幹事団のお役御免、全面解散にしたいということ。少し寂しい気もするが、来年4月に向けた全力投球が残されているので、そんな感傷に浸っているひまはない、というのが正直な気持ちでもある。
なんだかんだ言いながらも、お節介役から解放されるのはあり難いのかな?まだ少しエネルギーが残っている感もあるが、意外に気持ちだけで身体が付いて行きにくくなったりしている部分無きにしも非ず。

拙ブログのカテゴリーに「おせっかい」の一項を設けている。内容は、小・中・高の同窓会やクラス会の開催をテーマとしている。
半分は謙遜のつもりで、幹事団を組んで世話をすることを「おせっかい」と自称して来た。
残り半分は「うまくいって当たり前。ヘマをすると避難ごうごう」こんな割の合わん仕事をよく引き受けたもんじゃねーという自虐の念もあった。

改めてお節介という言葉をひも解いてみると、「却ってこちらにとっては迷惑になる、相手方の親切心に基づく行動のこと」を総称するようで、その中味は、「ありがた迷惑」「独りよがり」「無用の親切」「余計な世話焼き」・・・・・・等々、決していいことではないように書かれている。
果たして、同窓会幹事という役回りがこの「お節介」に該当するのかどうか。中には「ありがた迷惑」という気持ちで案内状を受け取る人もいるだろうが、「待っとったよ~」と喜んでくれる人たちだって多いのではないか、などと勝手に解釈している。

つまり、お節介なのかなーと思うのは、小生自身の謙遜であって、幹事皆さんの出しゃばりでもなんでもない、それどころか「奉仕の心」の表れと受け止めたい。
つい先日受講した某福祉大学教授の「福祉とはなんぞや」の講義では、「『お節介とは』節度のある仲立であり、これからの世の中で必要欠くべからざる生活習慣ですよ」と聞かされた。

ややこしい話は置いといて、元気に喜寿を迎えた同級生が集まって「来し方・行く末」を談笑するお膳立てをする幹事役。
次にやろうとしても出来ない最後の務め。15人もいた幹事団が何人減ったのか、そんなことも気にせず、目いっぱい気張ってみよう。
火事場のバカ力ならぬ、最後の花道を飾る力が湧いてくるかもしれない。 さて何人集まるんじゃろう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「5人のお弔問」

2018年02月25日 | おせっかい

      

庭のちっちゃな梅の木が、優しいピンク色の花を次から次へとほころばせている。
まるで「見て、見て、もっとよ~く見てよね~」とおねだりするように微笑みかける。
そんな見事な梅の花を愛でることもなく、一人の男性が黄泉路の向こうへ旅立った。凶年78歳であった。

中学時代の同窓会の幹事を、長い間一緒にやってきた仲間のご主人が「進行性のがんに侵されていた」ということだった。
残された彼女は、子宝に恵まれないまま今に至っており、夫婦ともに身内も多くない。さてこの先どうなるんじゃろうか。
彼女が元気でいるならそこまでの心配もしない。

若いころの彼女はとても愛想がよくて、可愛げのある女の子という表現がピッタリ。幹事仲間はもちろん、同窓生からも男女の区別なく愛されていた。同窓会へのお誘いも上手で、幹事代表としては有り難い存在であった。
そんな彼女を複合的な病が襲った。同級生では一番早く認知症にも似た不具合が生じ始めた。
デイサービスやホームヘルパーにお世話になる日々の中で、ご主人に先立たれた彼女の哀しみは如何ばかりか。そんな彼女を残して先に逝ってしまうご主人も、さぞかし心残りであったろう。人間の運命なんて筋書きがないだけでなく、哀れを誘う部分が多いような気がしてならない。

幹事仲間4人を誘って弔問に訪れた。本来なら外に連れ出して「慰めの昼食会」でも開きたいが、今の彼女は一人で外に出ることもままならない。
女性幹事さんに買い出しをお願いして、お弁当・デザート・スイーツなど持参で、彼女が使っているコタツを囲んで弔問昼食会。
涙が止まらなかった彼女も、我々5人の仲間に思いをぶつけて、ささやかでも共に食事をしたことで、少しは気持ちを落ち着かせてくれた。
「頭の中真っ白で何にも出来ん中を、楽しいひと時を有り難う、ありがとう」と電話をもらった。

どういうわけか、カミさんと馬が合う彼女は「〇〇子さんと話がしたい、連れて来てね」と、唯一のリクエストをくれた。
それには応じよう。そして、特殊詐欺などの被害に遭わないよう「声を大にして」叫ぶのがおいらの役目か。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「朝一のスマフォ」

2017年12月07日 | おせっかい

           

朝早く固定電話が鳴った。ディスプレイには見慣れない電話番号が。
ずいぶん早い時間に誰じゃろう、まさか特殊詐欺のウソ電話??などと気を使ってしまう今の世の中。
「モシモシ、〇〇君かい、オレ東京の△△だよ、元気?」屈託のない明るい声に先ずはホッ!

「前回の同窓会の最後に、次は喜寿に会おうと言ったよね、その後どうなの?」
早い話が、喜寿同窓会の催促というか、幹事の心持を訊いておきたい旨の電話であった。
「オー、よく覚えていてくれたねー」「そりゃそうだよ、懐かしいもの」と、幹事冥利に尽きる言葉を並べる。

そっかー、近くに住んでいる者からこんな言葉はなかなか聞かれないが、故郷を遠く離れて暮らす者にとっては、3年に1度か4年に1度の同窓会を楽しみに待ってくれている仲間がいるのだ、と改めて思い知る。
ということは、これまで数回開催してきた同窓会は決して無駄ではなかった、と言うことに勇気づけられる。
そもそも同窓会なんてものは、ある意味「おせっかい」という気持ちが働いていた。だから拙ブログでも、同窓会が登場するカテゴリーは「おせっかい」という分類である。

同窓会など過去の遺物で、あまり参加したくない、声掛けもほどほどにしてほしい・・・と言う人も少なくないのは確かである。が、このように「案内状が来るのを楽しみにしてるから、がんばってよ」などという人もいることに、あながちおせっかいばかりではない、と少し肩の荷を下ろす思い。

1月生まれの小生にとっては、まだ75歳である。全員が喜寿を迎える再来年の4月以降が、本来の「喜寿同窓会」となるのだが、そうなると1年数カ月先の話になる。
ここに来て周囲の同級生の動向をみると、本人はもちろん、配偶者の不具合や何か、気の毒な話がいっぱい。
だからといって先走るのもどうかな~。いずれにしても近いうちに、元気にしている幹事に声をかけて先ずは下相談というところか。

また一つあれこれ思いめぐらすことの出来(しゅったい)ではあるが、まあせっかくの声掛けを「嬉しいこと」と受け止める方が、幹事の心構えとしてはパワーをもらったようで、やる気が出てくるということかな。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「再会」

2016年07月12日 | おせっかい

                                 
               左から二人目が、takekoさん

アメリカフロリダ半島に住む同級生のtakekoさんが、10数年ぶりに観光で日本にやってこられた。
今回は、息子さん夫婦と2人の孫に連れられて、などと言ったら叱られようが、三世代5人の観光旅行となった。
6月28日、成田に到着。東京でゆっくりして、京都・大阪・広島・宮島、そして岩国へ。
日本の良さを再発見するにふさわしい優雅な旅。

成田到着から10日が過ぎた7月8日夕刻、やっと一人になれる時間が取れて、同級生8人が集まった。
喫茶店でのコーヒーを囲んでの、勝手気ままなおしゃべり会、2時間ばかり。
空白を埋めることなどとてもできないが、お互いの消息を確認し合い、思い出話に花を咲かせた。
厳しい食事制限などを自らに課していて、外での食事は極力控えているということで、食事会とまでは至らなかった。

中学校の同窓会に出席してもらったのは1992年という。
そういえば、みんな若くて現役バリバリのころ、「人生の小休止」と銘打った50歳の同窓会であった。
本来なら、最も遠くからの出席者として「〇〇takekoさん」と紹介するはずだったのに。
ちょうどあの時は、天国からの出席者が一人いて、「2番目に遠くからの出席者、アメリカフロリダ州の武ちゃんです」
と紹介したのを思い出した。
その後2度の訪日があったとのこと。1度は、夫婦ともども食事をご一緒した記憶がある。

takekoさんと言えば、この拙ブログの愛読者のお一人で、100%近くコメントを寄せてくれる貴重な友である。
20代前半で国際結婚。間もなくアメリカに渡り、以来日本語を話すことは滅多にない英語圏での生活。
我々には想像も及ばないご苦労もあったろうし、優雅で楽しいことも数多く体験して今があるのだと思う。

50年に及ぶ日本語と縁のない生活は、記憶にある方言や田舎言葉、その雰囲気は、あの遠い昔ままを残しているtakekoさん。
話すほどに、聞くほどに、遠い遠い昔を思い起こさせてくれる、実に楽しい時間であった。
今日はもう帰途のバンクーバーに無事到着とのメールももらった。

人生終盤に、生まれ故郷の日本訪問という大きな観光旅行を無事に果たして、また一つ心豊かな日々を過ごされることであろう。
兎に角元気で過ごして、今一度、笑ってコーヒー飲める日があることを期待したいものである。
笑顔の再会、武ちゃん有難う。

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「惜しいな~」

2016年04月21日 | おせっかい

                

十数年来、この季節を楽しみしてきた仲間がいて、一日をゆっくり楽しむ恒例行事があった。
名付けて「藪の中のクラス会」。
竹藪を持つ同級生のもとに、気の置けない仲間が集まって、タケノコ掘って茹で上げる。その間、ワイワイガヤガヤの酒盛り・BBQに打ち興じる。
上手に鳴くウグイスの声がかき消されるほどの賑やかさ。

始めた時は男ばかりのたった3人であった。
1人増え2人増え、最高は男性5人、女性5人、合計10人の大所帯にふくらんで、数年続いた。
女性群は前日からスーパーに買い出しに行き、お昼ごはんやBBQの準備に追われていた。

あれから14年の歳月。ピークの頃から言うと、逆に1人減り、2人減り始めた。
今年に至っては、最初に始めた当時の男3人と女性が1人。なんとか4人残ったという寂しさを味わうしまつ。
別段誰が悪いわけでもない。強いて言うなら悪いのは歳月という時の流れか。
それぞれに歳を取ったということなのだろう。本人の病はもとより、連れ合いの看護が必要になった人もいる。

そう考えると、実質15回目の薮の中のクラス会を迎えられた我々3人は、元気をもらっている親や、お天道様に感謝すべきなのだろう。
来たくても来れない体調不良を抱えるのは、本人も家族も辛いことだろうと、容易に想像できる。
特に今年は、その日がなんと最高のタケノコ日和。うららかな青空に、藪を通り抜けるそよ風の気持ちいいこと。
しかも「美味いものは小人数」という。シシ肉のBBQをたらふくご馳走になった。
一方で、「仕事は大人数」と言われるように、掘る・皮を剥く・茹でるの一連の実労働は、人数が少ない分、手間もかかるし負担も大きかった。

それでも、来られない仲間の気持ちを思うと、まだまだこの歳でこれほどの楽しみをキャンセルとは「惜しいよの~」と思ってしまう。
なんだかんだ言ってもやはり、人並みな元気と体力を維持できていることは感謝以外の何物でもないような。

さて来年は・・・?いったい何人が集まれるのだろう。そういう自分こそ気を付けなければ。
「あいつも来れなくなったの? 惜しいな~」 などと言われんように・・・。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「感謝を込めて」

2015年04月27日 | おせっかい

            

ひとつ終わった! 何はともあれようやく終わった!!
今日をもって、残り半分の肩の荷を卸すことができた。つまり背負い込んでいた肩の荷をすっかり卸したことになる。
息が詰まりそうな、ほどでもなかったが、それに近いプレッシャーはあった。 大きく大きく深呼吸。

A-4版12枚の原稿をA-3版6枚にコピーして二つ折り。それをホッチキス止め。製本テープで仕上げ体裁を整えた。
あの日あの時あの笑顔があふれる、同窓会記念アルバムがここに仕上がった。明日はいよいよ発送である。
封筒には当然ながら「出席御礼」と題した感謝の言葉を添えて。

『 「桜満開の季節に開催」との願いを込めて4月8日に設定した、古希と喜寿の中間の「同窓会2015」に、多くの出席を頂いて感謝を・・・ ・・・
 前回の古稀同窓会開催から丸3年の月日が流れました。長かったような、あっという間であったような複雑な思いの3年間。
 人それぞれに色んな変化が訪れる年代であることを、改めて実感させられる側面も多々ありました。 中略
 遠く関東・関西方面から、四国や島根県などから多くの出席をいただいたことに感謝する反面、地元に住む仲間がもっと多く迎えて欲しいところ
 ではありますが、それなりのご事情があることを申し添えておきます。出席者は幹事予想を下回る同窓会となりましたが、人数に関係なく、また
 過ぎにし58年をものともせず、思い出話に花を咲かせ、現在の生き方に自信を深め、談笑に興じる5時間を共に過ごせたことを喜んでいます。
 中略  遅くなりましたが、当日の様子を切り取った記念写真を「同窓会2015記念アルバム」として編集作成しました。
 はち切れんばかりの昔を思い起こし、如何に美男美女を再現させるか、編集にいささか時間を要しました。?
 願わくば永久保存の一冊として本棚の一隅を与えて頂ければ幸いに存じます。 中略
 さて次は・・・ ・・・ もう少し先の話にしましょう。先ずは肩の荷を卸して。 後略 』

ちょっと生意気なようだが、こんな感謝の気持ちを込めて、明日発送する。
どんな反応が返ってくるのやら。な~んにもないかもしれん。便りなきは佳き報せ、と受け止めるとしようか。

それにしても結束の固い幹事団ではある。今日も10人集まった。
みんな暇を持て余しているんじゃない?などと口が裂けてものたまうな! それを言っちゃおしまいよ!!
I君・T君・も一人T君、Kさん・Tさん・Yさん、そしてY君、よくぞがんばりましたな~。皆さんお疲れ様でした~~。

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「肩の荷が半分・・・」

2015年04月24日 | おせっかい

                

2週間もかけてようやく肩の荷を半分おろした思いの深呼吸。
中学校同窓会で大騒ぎしたのは4月の8日。早くしなければ効果が半減する・・・と焦る気持ちを抑えながら、どうせ作るんならいいものを。
そんな欲張りから、来る日も来る日も写真アルバム作りにいそしんだ。

同窓会当日の集合写真・スナップ写真を、表紙も加えてАー4版12ページのアルバムに仕上げて出席者に送る。
数枚のバラバラスナップ写真を送っても、すぐに引き出しの肥やしになるだけだろう。それならいっそ永久保存の一冊に仕上げようと試みてから5冊目を数える同窓会アルバム。
何でそこまでやるのか。そこまでの需要があるのか。ふと自分に問いかけることもある。

それでも、自分で作りながら、その大変さと闘うときのある種の快感、そして受け取った仲間から感謝の言葉が聞かれたりすると、「やっぱりこれはオレの仕事かな~」などと自分で納得してしまう。
今回はカメラマンが特別念入りにみんなの表情を追ってくれた。その数なんと540枚。似たようなものは削除しても300枚は残った。
その中からさらにセレクトし、できるだけ偏らないよう、万遍なく多くの顔を取り上げる。
それだけならいい。会場の照明の加減で、全体的に黄色味が強かったり、赤味が強かったりする。

馴れない腕でパソコンと首っ引き。一枚ごとに色の修正、それにトリミング。
「これならよくなったろう」とプリントしてみる。「なんじゃこりゃ」人前に出せる代物ではない。
特にアタシの場合、すぐ近くにプロの写真家がいる。彼の目に止まった時の評価を多少頭に描きながら、「さらにいいものを」目指してはみる。
所詮彼の目に叶う出来栄えには至らないが、酷評を避けるために、肩が凝っても、ブログを休んででもついがんばってみる。

ようやく、コピーできる原稿が仕上がった。ということにしたい。
これ以上遅くなると、待ってくれている出席者の期待が薄れ、嘲笑に変わってしまいそうである。
表表紙と裏表紙の出来栄えはなかなかのものだ。と、せめてそこだけでも自画自賛しないとやってられないよねー。

週明けにコピー・製本してやっとこさ発送にこぎ着ける。そこでやっともう半分の肩の荷が下りる。その時お役御免が待っている。
先ず先ずの評価を期待して、取り敢えず、半分落着。終わったらゆっくりと花水木の花見にでも出かけたいものだ。

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「カンパーイ!!」

2015年04月09日 | おせっかい

              

昭和32年卒業 「中学校同窓会2015」。 満面の笑顔で再会を約して別れた。
177人の案内状発送で、参加者54人。「少ない」というべきか「多い」というべきか、はたまた「まあまあだね」という言うべきか。
意見は分かれると思うが、出席率ジャスト3割。総勢54人の楽しい同窓会ができた。ホ~~っと深呼吸。一仕事終えた安ど感が心地いい。

さら~っと歓迎の挨拶に続いて、「カンパ~イ」。資料を作り幹事さんを集め、何度か開いてきた幹事会が報われる瞬間。
中には「あの人誰じゃやったかいねー」と聞いてくる者がいるほど変化した仲間もいる。
「あんたはほんとに俺たちの同級生?」と尋ねたくなる今風の女性もいる。「やっぱりこの顔に会えるのが楽しみ」という人も間違いなくいる。
そんなこんな顔を寄せ合って、お互いの消息を確かめ合い、思い出話に花を咲かせる光景があちこちで広がる。
その、なんとも言いようのない眺めこそが同窓会の醍醐味であり、幹事冥利に尽きるひと時である。

「もう一度だけ同窓会をやらせてください。それは4年後の喜寿で、それを終えたら幹事団を解散します」と、開会挨拶に一言付け加えたら、閉会の挨拶の中で「4年は待てない、せめて2年先、いや毎年でもいいから頼むよ」と、遠来の友が言う。拍手がわく。
「人の気も知らないで・・・」という恨み節も唱えたくなるが、それほどに今回の内容に満足してくれたということか・・・と勝手に喜ぶ。
そして、また新たなエネルギーが湧いてきたら考えてみるよ・・・と曖昧に答えておいた。

あれこれ思いを巡らせて、前回まで催してきた、各人の趣味の作品を展示する「趣味のコーナー」を今回は見合わせた。
今まであったものを廃止するのに勇気は要ったが、それは作品展という側面を外したことで、物を眺める時間が省けたことにより、個人的な会話がさらに多くなったという利点を生み出したようにも見えた。

兎に角感謝の言葉を多くもらった。間違いなくみんなの笑顔が弾けていた。
これまでにない参加者の減少で、幹事としては盛り上がりの度合いを少なからず心配したが、「人数ではではないよ」「雰囲気作りが一番よ」と教えられた思いで、「やはりそうか・・・」などと妙に納得した部分もある。

交通費にホテル代、何より大層な時間を使って関東・関西方面から、四国方面から参加してくれる仲間には感謝の言葉もない。
その割に地元にいて「元気でボランティアに励んでいます」というなら、欠席ではなく「出席」の方に丸をしてもらいたいのだが・・・。

兎に角おわった。喜んでもらったということで、幹事一同も喜ぶことにしよう。次はアルバム作りという大役が待っている。
これを作り上げ発送した時が、本当に今回の終わりである。もう一息。

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「いよいよあした・・・」

2015年04月07日 | おせっかい

                      

「世の中は三日見ぬ間の桜かな」。ほんの短い桜花の命。
そんな短い絶好の花見シーズンに無情の雨は嫌われ者である。
にもかかわらず、降ったり吹いたり寒さを連れてきたり・・・。天候に恵まれなかった今年の花見。

会社OB会によるお花見も、錦帯橋近くの公園のど真ん中にある体育館貸切で、室内花見となってしまった。
せっかくの花見なのに、壁や天井に囲まれていては大きな声でしゃべろうにも、つい遠慮してしまう無粋な雰囲気となってしまう。
などと言いながら、実は結構面白おかしく騒いだグループもある。どのグループとは敢えて言わないが・・・。

そんな無粋な雨も風も、明日だけは小休止してくれないか、異常低温はなんとか我慢するから雨だけは降らさないで・・・と神頼み。
明日は、ほかでもないが昨年8月末から準備を始めた中学校同窓会当日なのである。
関東方面から遠来の仲間もいる。連絡船に乗って四国からやってくる仲間もいる。
もちろん、本格的な同窓会なわけだから、お花見のような青天ではないし、宴会そのものは雨風完全シャットアウトではあるのだが。

計画的に同窓会を開こう、と幹事団を組んだのが平成4年。あれから7回目の同窓会となる今回。
会員も幹事も年を取ったせいか、これまで感じたことのない色んなアクシデントに見舞われたような。
それだけに、何が何でも成功裏に終わらせたい、という願望が強くなる。願望は強いのだが「我」は強くせんようにオサエテ・・・。

昨日の幹事会ですべての準備は完了した。明日提げていくバッグも膨らむほど資料の準備も万端整えた。
出席予定者が一人も欠けることなく来てくれるのを待つだけである。
どなたかがうまいことをおっしゃった。、「人知らずとも まごころ尽くせ」 を貫いて今日まで段取りをしてきたのだ。と言ってもいいのかな?
明日の一日を満面の笑顔で過ごせるよう、できるならお天道さまにも微笑んでもらいたものである。

いよいよ明日。早く眠りに付きたいが、はてさて・・・。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「締切前夜」

2015年03月24日 | おせっかい

                 
                  返信はがきのファイル。欠席の方が分厚くて…  

桜咲く時季を狙って計画した「中学校同期会2015」。返信はがき締切がいよいよ明日に迫った。
昭和32年3月15日というから、1957年つまり今から丸58年前に卒業式を迎えた中学校生活。
その58年間が長かったのか短かったのか、人それぞれに大きな違いがあるのだろう。

早くに故郷を離れた友は、こういった同窓会などを懐かしんでくれるむきがあるようだ。
そこには、ご無沙汰した故郷に対する哀惜の情や、元気なうちに多くの同級生と会ってみたいという回顧の情が働くのだろうか。
一方で、たった1年余りの単身赴任生活以外地元を離れたことのない私をはじめ、地元定着の多くの友は、必ずしも故郷に対してさほど大きな感情を持ってはいないような気がする。何の苦労をしなくても、周りにいる多くの同級生にいつでも会える、という気安さがあるのだろう。同窓会などに対する思いは割と淡白な傾向にあるような。

それと、何といっても中学校卒業から58年。みんな歳を取ったということか。体調不良を訴える人の多いこと多いこと。
中には「元気です、ボランティア活動をしています」と書いて、欠席という人も少なくない。地元にいて元気でボランティア活動などできるのなら同窓会にも出席して、人の話に耳を傾ける傾聴というボランティアもあるよ、といいたくなるところをグッと抑えて・・・。

前置きが長くなったが、早い話、今回の同窓会開催が間違いだったのか、と自問自答したくなるほどの低調ぶりである、ということ。
確かに、出席の常連と当て込んでいた数人が、病気などで欠席止む無しとなったことなど、目算が大きく狂った要因はある。
しかしその要因は我々の手で取り除けるのか。それは無理な話。病を押して出席をなど本末転倒も甚だしい。

それによーく考えてみれば、今回案内状を出した数から行けば、今日までの集計でジャスト3割の出席率である。
ということは、プロ野球の世界で言えば3割バッターは年俸アップの対象となり得る。つまり合格点ということだ。
自らに課した目標が高すぎたことをコロッと忘れていたようだ。

と、気を取り直して、人数の多寡に惑わされず、ひとり一人を歓迎し、目いっぱいの楽しいひと時を過ごせるよう頭を働かせる方が大切なようだ。
ついついグチの一つもこぼしたくなる弱い男の独り言か… ということでお聞き流しを。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

横幅を広げる

一行の文字数を増やしたい