「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「知らぬが仏」

2008年12月02日 | つれづれ噺
昨日夕方、旧知の友のお父さんが亡くなったとの連絡が入り、取り急ぎ数名でお通夜に出かけることにした。 クルマで40分ばかり走った山あいの小さな集落。 クルマから降りると冷気が顔を刺す。身震い一つ。

誰言うともなく夜空を見上げた、星がきれい。初冬の澄み切った空、木々に囲まれた山あい。まさに降ってきそうな見事な星空。 その時点では、夜空でトップスリーの輝きを放つ星が織りなす天体ショーが繰り広げられているとは誰も知らない。 ただただその美しい煌めきに感動しただけ。
「知らぬが仏」とはこのことか…。

我が家に帰ってみると、テレビが大げさな報道をしている。「金星と木星が接近して、三日月とともに見事な三角形を造っている。これほど鮮明に見えるのは数十年に一度…」だという。実は有り難い光景に出くわしていたのである。

一方葬式の方は、携帯電灯で足下を照らしながら友の家に着いた。ひょっと見たら「御神燈」と書かれた大きな提灯が吊してある。
ここは神道ではないか。お香典と書いた黒水引にお数珠まで手にしていた。あわててお数珠は引っ込めた。 お香典の方は、御榊料との書き換えもならず、お帳場を通さず、直接友に手渡して帰ることにして、大きな恥をかかずに済んだ。

あまりにも急な電話で葬儀準備をしたために、仏式と思い込んで出かけたのだ。ここでもまた「知らぬが仏」と相成った。オットット、こちらは神道だから死者は仏になるのではない。天に召されて神様となるとのことだった。玉串奉奠・音を出さない柏手を打って昇天を祈った。
いくら知らないこととはいえ、神式葬儀の場で「知らぬが仏」を連発してはバチが当たりそう。早々に退散した。

思わぬところで二つ続いた「知らぬが仏」 年齢相応な分別をキラリ光らされるよう、もうちょっと前後左右に目配り・気配りしなくっちゃいけないねー…。

昨日取り損なった、天体ショーの写真を今日午後6時に撮ったら、月と星の上下位置関係が昨日の正反対になっていた。 これもついでに「知らぬが仏」でご勘弁願おう。

    ( 写真: 三日月が一番上、左下が金星、右下が木星 2008.12.2.18:現在 )
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

横幅を広げる

一行の文字数を増やしたい