ふぶきの部屋

皇室問題を中心に、政治から宝塚まで。
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雑談

2013-10-06 12:31:26 | つれづれ日記

  うちの市では昨日と今日がお祭りなのですが、雨の為、人が少ないみたい。

パレードも中止になっちゃったし

私と旦那とヨンジュナも少しだけ歩き、紙芝居を見ました。

実は私、紙芝居を生で見るのは初めてなんです。

関東の方々は「小さい頃は紙芝居と駄菓子でさーーりんご飴が好きだった」とか

いうお話をされるのですが、仙台にはそんなものなかったです

この間もママ友と「小さい時に売りに来てたものでどんな思い出がある?」って話に

なったんですが、愛知出身の人は「わらび餅売り」だといい、私は「えーー!」と驚き、

下町っ子は断然「紙芝居と駄菓子」といい、じゃあ、仙台の私は?と聞かれ

山形からさくらんぼ売りに来てた」とか・・・・ 「山形から山菜とおみ漬け」って言っても

通じず。

私は5歳まで市内の中心地、2番町で育ったんですよ。

そこは裏が丸善、隣が銀行という環境でしたが紙芝居なんて来た事なかったです。

その後、新興住宅地である八木山に引っ越したけど、たった1軒の駄菓子屋へ行くのに

山を越えなくてはならず

別に野球カードやメンコに興味がなかったので、行かなくなり。

当然紙芝居もなし。

理由はわかりませんが、坂道が多くて自転車に適さないからでは?

そんなわけで昨日、「60年前の紙芝居をお見せしましょう。黄金バットです」と

いう事で初めての紙芝居体験

いやーー紙芝居ってこんな風にメリハリつけるんだーーとか、色々勉強になりましたし

アニメでしか知らない黄金バットがこんなお話だったとはっ

ヨンジュナも楽しんだようです。

ちなみに・・・・中心地に住んでいた時、夜、よく売りに来てたのは「おだんご」で。

母には絶対に買っちゃダメと言われていました。

それから早朝には氷売りが来てて、毎朝、氷を切り出す音がうるさかったのを覚えています。

八木山に引っ越してからの山形からの山菜やさくらんぼ売りは非常に楽しみでしたね。

でも、旦那の両親に言わせれば「山菜は買うものじゃなく採るもの」だそうです。

今じゃ1シーズン1パックがせいぜいのさくらんぼ。

昔は箱で買ってて独り占めしてたのになあ。

桜塚やっくんが事故死って・・・・・もうびっくりしちゃって。

まだ若いのに。

「エンタの神様」で彼のだけは面白かったなあ。

こんな風に人生を駆け抜けて行く人って本当にいるんだと思うと。

お笑い目指して努力して、いわゆる「売れっ子芸人」の階段を一足飛びに

駆け上がり、あっという間にスキャンダルで落ち込んで

試行錯誤の最中に一瞬で事故死って。はかなすぎるというか魔が通ったというか。

ご冥福をお祈りしますが、若い人の死はたまらなく悲しいですね。

金曜日にやってた池上さんの番組を録画して見ました。

いわゆる「神道」「靖国神社」についてだったんですが。

「国家神道」が軍国主義を産んだと言われるんだけど、印象としては「おおらか」な気が。

普通、国家で1つの宗教を信じるなら異教は認めない筈でしょう?

でもキリスト教も仏教も許したうえで「神道も」という考え方だったのなら、世界的に見て

随分とおおらか。

大自然の全てのものに「神」が宿るという考え方は、いわゆる「教義」ではないので

宗教って言えるのかな

 

伊勢神宮の式年遷宮の解説も細かくしてくれて、全てが「昔通りのしきたり」に従っている

事は本当に素晴らしいと思いますが、皇室における伝統や皇位継承の在り方も

それと同じなんですよね。

何千年も一つの事を続けている事が素晴らしいのであって、「発展がない」というのとは

違う。

世の中がどんなに変わっても「根本」は変わってはいけないのです。

根本が変わったら人はもうその人でなくなるからですよね

そんな話をママ友にしたら「どうだっていいわ、そんなもん。女帝を認めないなんて

とにかく古臭い!同じことを続ける事に何の意義がある?」と言われてしまったのですが。

彼らは一様に「自分が生まれて来た事」に意義を見出さないのですね。

今、自分がいるのは人類が誕生してから延々とDNAが継承されてきたからで、誰かが

「自分の子孫を滅びさせよう」と考えたら生まれていなかったという事。

そしたら「生まれてこなくても別にかまわなかったし、今、子供がいるからなんだけど

その先まで続けて欲しいとは思わないから。ぶっちゃけ、私達のDNAなんて継承され

ない方が環境の為かも」って。

日本人の半分はそう思っているのかもしれないと。

何言っても無駄なのはわかってるけど、せめて「女帝」と「女系」の違い位は・・・・

「神道」が軍国主義じゃない事くらいは・・・と思ってしまうんですけど。

 

靖国神社に関しては、大村益次郎の設立の意義はよしとして、なぜ中韓が

問題視するようになったかという事に関しては単に

A級戦犯を合祀したから」で終わっていたのが納得できませんでした。

極東裁判でA級だのB級だのとつけられた戦犯の人達。

サンフランシスコ条約の締結と共に「釈放」の署名を集め、巣鴨プリズンは消えました。

それがまるで日本の「抜き打ち」のように話してた事が気になるんですよね。

そもそも「A級戦犯」を合祀したんだよーー問題じゃないの?って真っ先に報道したのは

朝日新聞じゃなかったっけ?で、日本が問題視したから中韓もそれに乗ったって事よ。

「A級戦犯」って、いあゆる「日本を戦争に駆り立てた罪」になるんでしょうけど、

ヒトラーとかその側近とは立場もやった事も違うと思う。

いうなれば、戊辰戦争で切腹した茅野権兵衛みたいなものだったんじゃないかと

誰かが明確な目的を持って戦争を起こしたのではなく、やむに已まれず、気が付いたら

戦争に突入していた・・・のが本当の姿であり、誰に責任があるというような話ではない。

なのに、わざわざ富田メモを引き合いにだして

「昭和天皇は靖国に行かなくなった」と。確かに今上も行ってないですね。

昭和天皇が「天皇家」の保身をはかって参拝をやめたという事なのか、個人的に

戦犯の人達を許せないと思っていたのか、それは謎ですが。

 

でもおしまいは

神社の考え方は、亡くなれば全て神。罪もなくなるという考え方は日本独特で

外国には理解されないからかもしれない」と結んでいましたが。

確かに中国も韓国も、「1000年経っても罪は罪。許されない。子々孫々」という考え方

よね。それが「恨」に繋がって、常に「仕返し」を考えて生きてるわけだから。

中国も韓国も宗教もなければ国民を統合する何物もない。

永遠に救われない人達だから可哀想と言っちゃえばそれで終わりなんだけど。

伊勢で神様の為に米を作り、木を育て、それが1000年も変わらず行われている事の

素晴らしさや、靖国のようにどのような人であれ「国の為」に亡くなった人を祀る

という大らかさは日本人ならではだなあと思いました。

 

 

 

コメント (18)
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