皇太子妃の出産に関して、天皇家の慶事でもあった筈なのに
どこか皇族方はかやの外におかれた雰囲気がある。
11月30日。アキシノノミヤの誕生日夕食会に出席していた皇太子は
さっさと先に帰宅し、その後、夜中の11時すぎになって宮内庁病院に入院。
この時、マサコはマスコミに向かってにこやかにお手ふりをした。
とにかく「誰かを見たら手をふれ」というのが父の教えであり、母の勧めだったから。
「まあちゃんは何でも顔に出るのがダメなのよね。もう少し愛想よくみせる為には
とにかく人を見たら手を振ることよ」
とはいえ、それを見たマスコミはかえって「本当に出産が近いのか?」と疑念を抱く
事になった。
午前零時。眠気を必死にこらえながらも各社が聞いた宮内庁病院医師団の会見は
「陣痛が始まっているわけではないが、分娩の兆候があるので入院した」というもの。
男性が多い記者達は「そんなものか」と思ったろうが、女性たちは
「陣痛が始まってないのに分娩?」とこれまた心にひっかかる。
それが後に「マサコ妃は本当に内親王を自然分娩されたのだろうか」とか
あるいは「マサコ妃は本当に出産したのか」という疑惑と都市伝説を生む事になる。
皇族が帝王切開してはいけないという事はない。
自然でも帝王切開でもとにかく無事に生まれればいいのであって、それをどこまでも
「理想」的に飾ろうとした事が失敗だった。
朝の7時にはユミコが病院に駆け付けた。いつでも記者会見出来るように
着替えを持っての登場だった。
8時すぎには皇太子も駆けつけ、いわゆる「立ち合い」出産を行う。
分娩室にまで足を入れたのは皇族の中でも皇太子が初めてだった。
東宮職はこの「分娩室立ち入り」には強硬に反対したのだが、皇太子は聞き入れなかった。
「僕が新しい夫像、父親像の手本にならないと。今時、立会出産は当たり前でしょう?」
「しかし、殿下は皇族でいらっしゃいます。御立場が」
「皇族だからこそ見本を見せないと。それにマサコが不安がっているので」
実際の所、マサコは不安がってなどいなかった。
しかし、側に皇太子がいれば何かと便利だったのは事実。
皇太子というレッテルは彼女にとっては錦の御旗。彼がそばにいれば大抵の事は
通った。
今回も、ユミコが朝早くから病院に駆けつけている事をよく思わない輩がかなり
いたのだが、皇太子も一緒という事で誰も批判が出来なくなったのだ。
午前11時すぎ。皇居から女官長が病院に到着。
出産を見届ける為だった。
誰もが親王の誕生を疑っていなかった。ユミコでさえ。
「何っ!女?」
受話器を持ったヒサシの手が震え、言葉が怒りを含んでいた。
その場にいた人達はみな手を止めて一斉にヒサシを見る。
「間違いないのか?本当に女なのか?」
受話器の向こうではおろおろした声がしていた。
「そうなの。姫なのよ。2103グラムの元気な女の子。まあちゃんも問題なく・・・」
「何で女なんだ!」
「知らないわよ。でも間違いなく女の子よ。可愛らしかったわ」
ヒサシは受話器を落としそうになり、思わず手に力を込めた。
一体、どれだけ金をつぎ込んで来たと思っているのだろうか。
ただの不妊治療ではない。男子を産む為に不妊治療だった。
その為に、国費を使い、機密費を使い、挙句は研究費まで・・・・・・
さすがの政府も「これ以上は」というのを、無理無理押してここまで来たのに。
なぜ女児。
「どうするの?あなた。来るの?」
はっとしてヒサシは「行くに決まってる。記者会見も予定通りやる」
そう言って、ヒサシはさっさとコートを着た。
冬の風が頬をついた。
しかし、その冷たさも感じない程ヒサシの心は熱くなっていた。
(ツツミめ・・・ツツミめ・・・)
顕微授精なら男子が生まれると言ったではないか。
なのになぜ女なんだ?
これで努力が全て水の泡だ。
また一から始めなくてはならない。
めまぐるしく頭の中で、次の一手を考えようとするヒサシだった。
「内親王様、ご誕生でございます」
その知らせを受け、天皇と皇后は笑みを浮かべて「ありがとう」と言った。
天皇・皇后からすれば男子でも女子でもどちらでも孫に違いない。
アキシノノミヤ家にも女子が生まれているのだから、ここでがっかりする筈もなく。
第一子が女子でもこれからまた産めばいいのだから。
各宮家からも祝いが伝えられる。
キク君は「本当によかったわね。一姫二太郎っていいますもの」と嬉しそうに言ったが
その言葉が激しくマサコを傷つけた事に気づかなかった。
午後4時すぎ、表御座所で「賜剣の儀」が行われる。
表御座所で「賜剣」が入った箱を受け取ったフルカワ大夫は、緊張のあまり
その箱を取り落とし、あげく、ふんずけてしまうという「事件」が起こった。
「な・・何と」
フルカワは驚きと恐れでなおもいっそう震え、しかし、東宮職員に「大夫。うろたえずに」と
声をかけられ、何事もなかったかのように剣を箱に入れて捧げ持った。
このような事は前代未聞であり、また非常に不吉な予兆でもあった。
「大夫のせいじゃないですよ」
慰めにかかった職員にフルカワは「じゃあ、誰のせいなんだ?」と聞き返す。
「それは・・・・」
「やはり私が悪いんだよ」
これは事故であり、東宮大夫の落ち度である。そう考えた方がよほど気が楽だ。
言葉には出さなくても、職員達は本当はそう思っていたのだ。
確かに皇室とは神道の家であり、起こる現象には意味があり・・・というが
今上はリベラル派だから、そのような迷信を信じるわけないし、それこそ
オワダ家に伝わったら大変な事だ。
その「賜剣」が宮内庁病院のマサコと新宮に届けられた時、そこにはヒサシと
ユミコが皇太子と共にいた。
その事に大夫はぎょっとしたが、あえて何も言わなかった。
「可愛いでしょう」
皇太子は得意満面で行った。大夫は恐縮し新宮の顔を拝む事が出来ず
儀式に集中した。
新宮を取り囲んでいるオワダ夫妻とマサコ。皇族では皇太子のみ。
その光景を見ながら大夫は「あの事件」が単なる事故ではないのかもしれないと
思い始めた。この世に生を受けて数時間しかたっていない内親王に感じる思いが
こんなものだとは、フルカワ自身思ってもいなかった。
「名前、どうする?」とマサコが聞く。
皇太子は「そうだね。二人で決めるようにって
陛下からはお許しを頂いているから」
「それならお父様に頼みましょうよ」
マサコの提案に皇太子はにっこり笑った。
「それはいいね」
そんな会話を聞きながらフルカワは背筋に冷たいものが落ちるのを感じた。
(何とも複雑なお生まれの内親王様。ノリノミヤ様が誕生された時はこんな雰囲気では
なかったのに・・・・これではまるでオワダ家の孫そのものだ)
寒々しい、皇族らしからぬ雰囲気の中で、内親王は眠っている。
皇太子の娘に生まれながら、この寒々しさは何だろう・・・・とフルカワはただ黙ってみているしか
なかった。
「賜剣の儀」ののち、オワダ夫妻は病院を出て記者会見場に向かう。
その間に宮内庁より正式に「内親王誕生」の発表があり、日本全国は
祝賀ムードに包まれた。
強調されたのは、生まれた内親王が皇太子の第一子で、マコやカコより
身位が上であること。女の子なので皇位継承権がないこと。
「今の時代、女性だからといって天皇になれないっていうのは・・・差別じゃないんですかねえ」
全てのテレビ局は「おめでとうございます」の後にこのセリフを言う。
あっという間に「もしかしたらこの内親王は女帝になるかも」という雰囲気が
作り上げられていった。
夕方7時近くになって、オワダ夫妻は金屏風の前で会見を行った。
「大変めでたい事で・・・」といいつつ、ヒサシは少しも笑っていなかった。
心の中に「こんなはずではなかった」という思いが顔に出てしまい
言葉が上手に滑っていかない。
ユミコも夫につられて笑顔が消えていた。
「大変可愛い赤ちゃまで」
おかしな「赤ちゃま発言」は週刊誌を彩る。
ヒサシは色々言葉を尽くしながらも必死に頭を切り替えようとしていた。
(いいさ・・・女でも。天皇にすればいいだけだ。総理に打診して女帝を認めさせよう。
皇室典範を改正し長子相続、男系に限らない継承を認めさせればいいのだ。
今の時代、女が天皇になったって違和感持つ庶民はいない。
みんな、喜んで応援する筈だ)
そんな風に考えている間にヒサシはやっと笑顔を出す事が出来るようになった。
自分の娘が皇后に、そして婿が天皇に。孫が皇太子になる日を夢見て
その為に生きていこう・・・・そう決心したのだった。