宮崎県の皆さん、鹿児島県、熊本県の皆さん、大丈夫ですか?
津波注意報が出て驚かれたでしょう。
宮崎といえば天孫降臨の地です。なぜ今、この地なのかと考えた時、やっぱりと思わずにいられません。
リアル「光る君へ」だけど、一条天皇はずっとずっとましだよ。
令和になったら、妻につられて祭祀も中途半端なら夏は公務ほぼなしだしね。
いわゆる「穢れ」に触れてしまったからじゃないの?って言われてもしょうがない。
南海トラフの危険性が出ていると言う事は、日本全体が危ないのではと思うでしょう。
とはいえ、気象庁は先走りすぎているような気もします。
万が一の時に「私達はちゃんと危険って言ったから」っていいたいのかなと。
そうはいってもデマに惑わされがちで極端な日本人ですから。
そうまでして秋篠宮家を侮辱したいかと。
悠仁親王殿下、成年式前に園遊会等「宮中行事以外」参列の可能性 発表に感じた違和感
元宮内庁職員で皇室ジャーナリストと言われている山下晋司氏の違和感
悠仁殿下が成年となり、大勲位菊花大綬章を得るのは来年の3月以降
皇室には学業優先の考え方があり、平日に行われる儀式等には出席しない
宮内庁発表「園遊会等宮中行事以外に参加される可能性」に違和感
園遊会は宮中行事ではないのか。その定義はなんだ。宮内庁に問い合わせても「決まった定義はない」
ではなぜ宮内庁長官は「宮中行事ではない」と言い切ったのか。
これらの中で山下氏が言いたかったのは「秋篠宮夫妻が悠仁殿下を皇位継承者としてアピールしたいだけじゃないの?」って事だと私は解釈しました。
「新年祝賀の儀などには出席しないけれど、園遊会などには参加する」
いわゆる「大勲位菊花大綬章」をつける義務があるものには、成年式を迎えるまでは出席しないけれども、園遊会などには出ると言う事です。
「宮中行事とは」の定義があいまいなのは、元宮内庁職員の彼が最もよく知っている筈なので、それにいちゃもんをつける事自体、悠仁殿下に対する不敬であり「誹謗中傷」です。
新年祝賀の儀他元日の行事・祭祀
宮中晩さん会
現実的にはこれしか思い浮かばない。
昔風にいうと天皇が黄櫨染の袍を着て出席するものは「宮中行事」ではないかと。
では、
講書始の儀
歌会始めの儀
園遊会
はどうかというと、狭い意味では「私的な行事」「内輪の行事」だと思います。
というのも、全部明治以降に始められた儀式で、必ず皇族が全員揃わないといけないというものでもない。
講書始は、昭憲皇太后が勉強好きで明治の宮廷を支える為に沢山進講を受けた事が始まりでしょうし、歌会始めは江戸時代なら宮中行事ですけど、近代は一般人も出席する。
園遊会は「観菊」会が戦後になって名称を変えたものです。
皇族・華族方の華やかな社交界におけるしきたりと思えばいいのではないかと。
そして「皇族は学業優先」ゆえに大学時代は公務しないとか言ってますけど、上皇はエリザベス女王の即位式という完全なる公務に出ているし、眞子様も、成年式を終えたらすぐに公務をされていて、完全に学業優先だったのは佳子様の方。
お姉さまが一手に抱えていたからでしょうけど。
じゃあ、いうけど、愛子内親王は「学業優先」の元に大学時代は無論の事、成年式を迎えた後も公務や祭祀には赴かず、卒業してもほとんど出てこない。
しかも皇族なのに「仕事優先」とか言って、宮中よりそっちが大事のようです。
かといって日赤にもそんなに通っている風はなく、そっちの方が違和感。
コロナ以後、まともに宮中晩さん会は行われないし、貧弱な昼食会や失礼な茶会があるばかり。このままでは本当に皇室が国民から嫌われてしまうし、存在意義がなくなってしまうでしょう。
総文祭のような悠仁殿下と同年代が活躍する行事などへの出席は、その世代に刺さる筈なんですよね。
今は佳子様のけなげなお働きと美貌に頼っている状態だけど、皇嗣両殿下も歳をとっていくし、出来るだけ早く悠仁殿下に受け継がせたい思いがあるのではないかと思います。
本来はそうでないといけない筈です。
もっとも愛子内親王は半年後には23歳になりますけど、未だに「総裁職」はないし、どこからも呼ばれません。
「公務は受け身」というけど、両親に受け継がせる財はないのです。
ちなみに日赤総裁は紀子様と悠仁親王妃に受け継がれます。
ある意味、女性だから許されるこのていたらく。でも男系男子はそうはいかない。
むしろ遠慮していると思います。
誕生日を過ぎたら正式な儀式はまだでも、本当は新年祝賀の儀などに出席して欲しいとお思いの筈。その頃は受験も片付いているでしょうけど。
でも、そうはいかないから、3月までは・・・になっているのです。
歳をとってから生まれたお子というのは本当に可愛い。可愛いけれど上の子達のように先々まで生きてるわけではない。だからこそ、早く経験をさせたいと思うのは当然の事ではないですか?
宮内庁が「宮中行事の定義はない」と言ったのは、昭和の頃のような本物の華族や皇族出身者がいなくなり、小和田家由来の外務省官僚で埋められてしまったからでは?