石破さんがですね、4日のインターネット情報番組で女性天皇・女系天皇の選択肢を外すべきではないと言ったそうです。
「「悠仁さまの後は一体どうなるのか。(男系男子の皇位継承ができなくなる可能性を)考えるのが我々の仕事ではないか」
政治家はこれだから・・・と言ってはおしまいだけど、結局は自分の専門じゃないから軽くみているんだろうと思います。
彼のような人物は奇跡を信じないし、天皇が天照大神の子孫と言っても「嘘」と断じるだろうと。
本当に石破氏が「女性天皇と女系天皇の違い」がわかっていたらこんな事は言えない筈。
・石破氏が考えている女性天皇 → 愛子内親王(男系女子)
・石破氏が考えている女系天皇 → 愛子内親王の子(女系男子もしくは女子)
なんですね。
しかし、すでに皇位は悠仁親王までは決まっているのです。
悠仁親王以後の女性天皇は、悠仁天皇の娘。そして女系天皇は内親王が即位して結婚して生まれた男子あるいは女子。この頃、石破氏はこの世にいないでしょう。
だから、彼の頭の中にいるのは「愛子内親王・愛子女帝」と思うわけです。
なぜ悠仁親王の「あと」を今から心配するのか。
悠仁親王はもうすぐ18歳。まだ結婚していません。
結婚してお子様が生まれないという確証があるんですか?
逆に、愛子女帝が誰かと結婚して子供を産む事が本当に出来ると考えているのですか?
だとしたら、あまりにも「皇室の現状」を知らなすぎるご発言としか言えません。
2000年にわたり、ただ一人の天皇も「女系」を認めた事はありません。勿論、蘇我氏も藤原氏も鎌倉幕府も室町幕府も戦国時代も徳川時代もです。
時の政権で「女系」を認めたものはないという事です。
皇室では、徳川時代になると財政難と恐らくは水銀毒のせいで極端に少子化に動きました。
天皇に複数の親王が生まれても「親王宣下を受けられるのは東宮に決まった男子のみで、あとはみな出家させられ還俗は認められなかったのです。
それゆえに、光格天皇のあたりから男系男子が減り始め、孝明天皇の時には、世継ぎは明治天皇一人。桂宮家も女性を宮家当主にして男系男子の誕生を待つことになります。
明治天皇に生まれた男子は5人。
そのうち、大正天皇だけが何とか生き延びたわけです。
当時は母乳に含まれる白粉成分の事がよく知られていなくて、日本だけではなく、清朝も李氏朝鮮も男子が生まれず、生まれても早死にする事が多かったのです。
西洋医学嫌いの明治天皇が初めてベルツを通して西洋医学の力で親王を生きながらえさせ、九条節子という丈夫でご立派な妃を持ち(これも運命のなせる業)4人の親王が生まれたわけです。
つまり、悠仁親王が男子を持てない確率なんて全然わからないんです。
そもそも、紀子様の「第三子ご懐妊」が奇跡で、それを目の前で見て来た筈の政治家であれば、皇室には思いがけない時に風が吹く事をよく知っている筈です。
政治家であれば「悠仁親王のあと」を考えるのではなく、「悠仁親王の近未来」を考えるべきです。すなわち
次世代の天皇として敬愛申し上げること
後々の天皇としてよりよき環境を作ること
お妃選びを今から入念に行い、男子出生の道を探ること
この3つです。
そもそも徳仁親王の短絡的思考で小和田雅子氏を妻にした事が、男子出産の根を奪ったわけですから。
愛子内親王は、もう無理な事はさせずに降嫁するならするで出来るだけ早くそうすべく政府が動くべき。何でもかんでも皇族に任せきりで、「そのあと」を考えるなんて、そんな資格があるわけないと思います。
皇嗣両殿下も、今は大学進学の方が大事でしょうけど、両殿下のように大学でよき伴侶にめぐり会える時代でもありません。
学問・公務・世継ぎの3つを同時に進行していかなければならない義務がおありです。
内親王の時のように「本人の意思を尊重」ばかりはしていられない現状である事を認識すべきです。
そういう意味では眞子様の結婚は、親王の結婚を考えるにあたっての大きな材料の一つになった筈です。
つまり民法でいう所の「両性の合意」だけではダメであること。
タフで可愛らしくて社交的で悠仁親王を心から敬愛するお妃を今すぐに見つけにGO!(BY北川景子)
ですよね。