日本国内にあっては、南海トラフ地震や首都直下地震などの発生が今後心配される中、関東大震災からちょうど100年に当たった今年、防災や減災についてのさまざまな啓発活動が行われていたことを心強く感じました。
他方で、今年も国内のさまざまな所で地震や大雨、台風などによる自然災害が起こり、残念なことでした。亡くなられた方々とそのご遺族に心から哀悼の意を表しますとともに、被害に遭われた方々にお見舞いをお伝えいたします。
このように、心の痛むことも多い昨今ですが、同時に、若い人々を含め、社会のいろいろなところで、助けを必要としている人々やより良い世の中のためにさまざまな活動を地道に続けている方もたくさんおられ、頼もしく思うとともに、そのような方々の善意や創意工夫に感心し、励まされることが度々あります。
昨年から私たちの地方への訪問が再開されましたが、6月に全国植樹祭に出席するために訪れた岩手県の陸前高田市や大船渡市、釜石市では、被災地の皆さんが、幾多の困難を抱えながらもたゆみない努力を続けてこられた姿に心を打たれました。
被災地が今後、真の復興を遂げていくことを心から願うとともに、引き続き被災地に心を寄せていきたいという思いを新たにいたしました。
皇后にとって「被災地」は東北以外にはないんだなと思いました。
9月には、全国豊かな海づくり大会のために北海道を、そして10月には、特別国民体育大会のために鹿児島県、国民文化祭及び全国障害者芸術・文化祭のために石川県を訪れ、それぞれの地域の特色に触れ、この国の自然・風土や歴史・文化の豊かさを改めて感じることができました。
また、行く先々で、多くの方に温かく迎えていただいたこともうれしく、それぞれの場所でいろいろな方のお話を直接伺えたことも有り難いことでした。
6月には、天皇陛下とご一緒に、令和になって初めて国賓としてインドネシアを訪問いたしました。
久々の海外への親善訪問で、滞在期間も国内で地方を訪問する時よりも長かったこともあり、当初は不安もありましたが、多くの方に温かく迎えていただき、お陰様で、貴重な経験に満ちた思い出に残る初めてのインドネシア滞在となりました。
大統領ご夫妻には、ボゴール宮殿において歓迎行事や午さん会を催していただいたほか、大統領には、ご自身の運転されるカートで植物園をご案内いただき、また、ご夫人にはインドネシアの伝統文化をご紹介いただくなど、温かいおもてなしを頂き、楽しいひとときをご一緒させていただいたことが有り難く、とても良い思い出になりました。
また、若い人々を含め、インドネシアの人々との現地での交流を通じて、インドネシアの人々の心の温かさや優しさ、そして、日本の人々や文化に対して抱いてくれている敬いや親しみの気持ちを肌で感じ、日本とインドネシアの間で長年にわたって培われてきた友好の輪の広がりを実感することができました。
いやいや、インドネシアでかなり大失敗をやらかしている事を忘れてはいけない。
国賓だったのに格下げされて、午餐会になり、陛下はへんな場所ばかり見学し、皇后は半分はホテルに籠ってましたよね。その事実は変わりませんから。
あなたにとっては「たのしいひととき」だったかもしれませんが、あちらからすれば「面倒な客」以外になかった。
会見だって天皇と大統領のみで皇后はろうけつ染め体験したり、あちら伝統の生地をまとったり、まるで子供のおもてなしのよう。
さらに大統領が飼っているアロワナに「あなたがエサを?」とため口で言い、結果的に「差し上げましょう」と言われる始末でした。
なんら国益のないインドネシア訪問でした。
また、国内においては遅刻は勿論(そう言えば、復活した園遊会には触れないのね)
ドタ出ばかり繰り返し、気が付けば鑑賞が公務になってました。
幸いにして、今年は新型コロナウイルス感染症の感染拡大の落ち着きを受けて、4年ぶりに栃木県の御料牧場や那須御用邸で静養する機会にも恵まれました。
豊かな自然の中で、ゆっくりと心安らぐ日々を過ごすことができたことはうれしいことでした。
国民との間をプランターで仕切るという暴挙。そしてそのプランターにけつまづいたこと。さらに貰ってはいけないプレゼントを気軽に受け取ってしまったこと。陛下が公務で帰京、その後、トンボ返りをさせるという無茶をやってのけたこと。
本当に好き勝手しているなという印象でした。
今年は、私たちにとりまして、結婚30年の節目の年でもありました。
この30年の間のことを思い起こしますと、上皇上皇后両陛下の温かいお導きの下で、天皇陛下に常に優しくお支えいただき、また、ほかにも多くの方々に助けられ、見守っていただきながら、今日の日を迎えることができましたことに心から感謝しております。
今年は、記念の展覧会なども思いがけず開催していただき、多くの方にお祝いいただいたことはうれしく、有り難いことでした
え?雅子さんは「人権侵害を受けていた」んじゃなかった?
この30年の月日の中で、2年前に愛子が無事に成年を迎えることができました時には安堵すると同時に、たくさんの方にお祝いいただいたことを心から有り難く思いました。
お陰様で、愛子はこの4月から大学4年生に進級し、対面での授業を受けるために大学に通い始めましたが、先生方やお友達とも一緒にとても楽しそうに学生生活を送っています。今は卒業論文の提出が間近に迫って忙しそうにしていますが、残りの大学生活を有意義に送ってもらえればと思っています。
まだあどけないところも残る愛子ではありますが、いろいろな時に私たちを助けてくれるようにもなってきたと感じます。
「あどけない」という言葉を22歳の娘に使う事・・・カミングアウトですか?
20歳を迎えた娘にティアラ等一式をそろえる事もせず、国民に責任転嫁しました。
「あどけない」愛子さんは人前に出せない状態なのでは?
今回、還暦という節目の誕生日を迎えることに信じられないような気持ちがいたしますが、この機会に、これまでの60年の人生を改めて振り返り、この世に生を受けてから私を慈しみ育ててくれた両親をはじめ、家族や友人、先生方、そして今までお世話になった全ての方に深く感謝いたします。
また、日ごろより国民の皆様から寄せていただいている温かいお気持ちに対し、改めまして心からの御礼をお伝えしたいと思います。
これからまた新たな気持ちで一歩を踏み出し、努力を重ねながら、この先の人生を歩んでいくことができればと思っております。
来る年が、我が国、そして世界の人々にとって、明るい希望を持って進んでいくことのできるより良い年となることを願いつつ、国民の皆様の幸せを祈りながら、できる限りの務めを果たすことができますよう努力してまいりたいと思います。
60年の歩みを振り返ったら、何が出てくるんでしょうね。
正直、歳をとるに従って人相が悪くなっていく雅子さんは、上皇后とよく似ています。
柔和、優しさ、気品がなくて、上から目線、権力志向、自分が一番というのが顔に現れていますよね。
でも気の毒な女性でもあります。
普通なら、孫がいてもおかしくない年齢であるにも関わらず、まだ22歳の娘の付き添いをしなくてはならない身の上です。
実際問題「私達が死んだらこの娘はどうやっていきていくのか」と思っているでしょう。
天皇にまで祀り上げれば、回りが何とかしてくれるとても思っているのか、あるいは自分達より若い「介護者」探しで婿を探しているのかわかりませんけど。
娘というのは成長するに従って母の味方になっていくし、服とか化粧品などを母に教えてくれたり「こうした方がいいよ」なんて話で盛り上がったりする存在です。
紀子様の最近の服装は佳子様の影響を大きく受けている気がしますし、佳子様もまた母をリスペクトしています。
だけど雅子さんと愛子さんの間には、何のリスペクトもなく、両親が一方的に娘に与えるばかり。そして何とか娘が「普通」なんだと世間に主張して終わりたい。それだけなんですね。
「普通」ならまだしも「超優秀」とか言い出すから、ひっこみがつかなくなって、もはや公式の場には出せなくなった。
園遊会も午餐会も、伊勢神宮への参拝すら一人では出来ないお嬢様です。
かといって両親がのこのこついていくわけにもいかず、ジレンマに陥っているのでは。
どんなに権力を誇示して見せても、夫はもう心はここにあらずという感じですし、娘も少しも労わってくれないでしょう。
そういう風に育てた報いと言えば簡単ですけど、それでも体面を保ち続けようと一生懸命にマスコミに「ご優秀」伝説を書かせる。非常に悲しい母ですね。
雅子さんの人相がみるみる内に悪相になって行ってるのは、常に頭の片隅で「どうやったら誤魔化せるか」「どうやったら損をしないか」と考えているせいではないでしょうか。
今時還暦ごときでは老人とは呼べませんが、ハイヒールで歩く時のよたよた感に、「ああ、この人、ちっとも体を大事にしていないな」という事がわかります。
いずれ早晩、両陛下ともにボケちゃうかもしれませんね。
その時がある意味、一番幸せなのかもしれません。
前から思ってるのですが
雅子さんの手なんか変じゃないですか?
立ち姿の時の指の長さが気になったので コメント失礼します
特に今回の写真はなるさんまで手の長さが左右違いますよね
愛子さんのことも早くにカミングアウトして障害者教育などに心を砕いていれば母子共々虚飾の歩みをしなくてもよかったのに。つくづく残念な人です。
死ぬまで今回のようなツッコミどころ満載の文書とイコール雅子とバレた医師団の暖かく見守れ文書を出し続けるんでしょうね。