
昨日母校から郵便物が送られてきた。
今年が創立110周年にあたり、記念行事を開催するための寄付の要請だった。
しかし、その中に畑積まれていた資料を見て驚愕。
たちまち、目がしらが熱くなり、字が霞んで見えなくなってしまった。
「蛍の願い」と称した資料に載っていたのが、特攻隊の悲劇として知られる、
「宮川三郎」さんが、我が母校の先輩だったのです。

「宮川先輩」は特攻隊員として、知覧基地を飛び立ち沖縄に向かい消息を絶っています。
でも、お世話になった「富屋食堂」にお母さんとの約束通り、「蛍」になって帰ってきたのです。

終戦間近の昭和二十年の悲劇です。
若い命を特攻隊員として散らした多くの飛行兵たちの悲しい話です。

宮川先輩の話はそれで終息せずに、富屋食堂のお母さん「鳥浜トメ」さんの死まで続きます。
平成四年にトメお母さんが89歳の天寿を全うされ、その葬儀の夜、弔問客が途絶えた夜半に、
なんと、四月だと言うのに一匹の蛍が現れ、棺の上を横切るかのように飛んだと言うのです・・・・。
サブちゃんがお婆さんを迎えに来たのだと孫たちは語り合った。
こんな悲劇が60余念前に実際にあったなどと知る人も少なくなっているのではなかろうか。
私も話は知っていても、その「宮川三郎」さんが先輩だなんて、全く知らなかった。
宮川先輩、ありがとうございます。
色々と災難も有ったけれどもそれでも幸せなのは、先輩のお陰だと感謝いたします。