
「平ヶ岳」とオートバイの青春
酒を飲んだり、賭けごとをしたりと、怠惰な生活を送り、体力も落ちていた頃、友人に山行に誘われた。
今のように楽なコースも開かれていない頃で、秘境とさえいわれていた頃の「平ヶ岳」である。
しかも、オートバイで行き、麓の「鷹の巣」で一泊し、早朝出発の日帰り登山をして、
その日のうちに帰宅すると言う強行軍。
朝はまた薄暗いうちに出発し、あのダラダラと長い事でも知られる、尾根道に取り着いた。
同行の友人はその頃せっせと山に登り、国内の山では物足らず、ヨーロッパアルプスにまで遠征した健脚の持ち主だった。
鼻歌を歌いながら、変わらぬペースの足取りで登る友人に着いて行く事は容易ならざることだった。
ようやく、山頂近くの「卵岩」に到着し、ややなだらかになった道を登り山頂に立つことが出来た。
しかし、下りもまた苦難が待っていた。なんと雷雲が発生し、雷鳴が鳴り響き始めてしまった。
激しい雷鳴は谷を登って来るようにさえ感じられ、尾根道から避難し、しばらく藪の中で過ごした。
予定よりも遅れて下山し、休む間もなくオートバイに登山道具を縛り付けて帰途につく。
しかし、帰り道の途中には未舗装砂利道の難路「枝折峠」が待っている。
オフロードタイプの友人はともかく、ハンドルが低くて短いロードスポーツタイプの私には、
砂利道は疲労困憊した身体でもあり、想像を絶する恐ろしい下りコースとなった。
峠を越え、下りにかかったカーブでとうとう激しく転倒。
敷き均されていた鋭い豆砕石は皮の手袋を破り、右手の手のひらに食い込んだ。
峠を下り終え、暗くなった大湯温泉で軽い夕食をと言う話になり、食堂に入った。
脱ごうとした手袋は血で手に張り着き中々脱げない。
見ていた、食堂の老夫人が「まー可哀そうにー」と言いながら、救急箱を持ってきて応急処置をして下さった。
その後、夕闇の舗装道路を走って帰ったのだが、壊れた前照灯が丁度対向車の運転席を照らすことになり、
行き違いのたびに怪我をした右手でライトを押さえながら走ったのだった。