「中の岳」で学んだこと(その2終り)
もちろん、先の登山者に言われた、一緒の下山を勧めたけれども、首を縦に振ることは無かった。
私たちは濡れた身体や物を拭くようにと乾いたタオルを渡し、昼食を終え下山を始めた。
娘達はその最中に「父ちゃんは冷たい」なんて言う。
でも、「良いか、父ちゃんは救助のサインをあの人に出したんだぞ、
それでも聞かないと言うことは仕方ないこと。
山とはそういうもので全てが自己責任の行動なんだぞ」なんだぞと聞かせた。
その後も娘達はその登山者が心配でたまらなかった様子で何日も、
熱心に新聞の記事に遭難が載らないかと見ていたものだった。
私たちが登った日は雨上がりで、暑くは有ってもそれなりに爽やかな日だった。
しかし、前日まで県内に降り続いた雨は越後線の一部を流してしまうほどの大雨で、
その半遭難者は「八海山」から縦走を始め、中の岳との中間地点でその大雨に遭遇し、
身動きが出来なくなっていたらしい。
中途半端な知識や体力で、挑戦する登山は遭難事故と腹合わせとつくづく思わされた「中の岳」登山でもあった。
(終り)