(一時期乗っていた単気筒650ccのスズキ『サページ』です)
掘るまいか?
昨年の秋、悪魔のような地震に襲われた山里「山古志」。そこに住民の手掘りで有名になった「中山隧道」がある。
地震の少し前に映画化され映画の「掘るまいか」は、近頃「山古志」の復興支援にと各地で上映されているようだ。
しかし、地元の人達に「掘るまいか」なんて言葉があるとは私には思えない。
とまれ雪深い山古志村の中でも特に、交通の便が悪い小松倉地区の人達は冬のさなかに病人などが出ると、
雪崩の危険もかえりみず、命懸けで中山峠を徒歩で越えたと言う。
そんな不便さに耐えかねた村人達は、人力のみで長い歳月をかけ隧道の掘削に挑み、とうとう信念を貫き完成させたと言う。
少し前は映画化もされていなくて、今ほど有名では無かった。
また少し自動車で遠回りをすれば目的地に行ける時代になって、通る人も少なくなっていた。
自然に恵まれ、そしてオートバイ好きを惹きつける、快適なカーブと勾配の連続を求め私も、
休日にはよく通ったものだった。タンデムの後座席には、まだ幼かった二人の娘たちが交互に乗った。
その頃は250CCの、単気筒のオートバイに乗っていた。単気筒エンジンは独特の軽快な排気音を響かせる。
事前にコースなど調べない気ままなツーリングが普通だった。
そして、話には聞いていたが、見たことも通ったことも無い「中山隧道」がある日、目の前に現れた。
素掘りで自動車のすれ違いなど、途中では絶対出来ない幅のトンネルに少しためらった。
(ちなみに普通車は通行可能だが、トンネルが狭く中ではドアは絶対開けられない、開かないと言うことである。)
エンジンを止め、ヘルメットを脱いだ。耳を澄まして反対側からの進入車の無いことを確かめ、トンネルに入った。
「タン、タン、タン」軽快な音はトンネルの壁に反響する。滴り落ちる地下水にタイヤを取られぬようゆっくりと進む。
裸電球とオートバイのライトに照らされた壁面には、先人の苦労の跡である、ツルハシの削り跡が筋になり重なって見える。
トンネルは排水のための勾配のせいでもあるが、両側から掘り進んだ際の測量の精度か曲がってもいて、
中程に着くまでは出口の明かりさえ見えない。
ようやく隧道を抜け、明るい外に出て一息いれた。その時娘は私に言った。
「タイムトンネルのようだったね。」と。
本当に大切な役目を終えつつあった隧道は昔から今へと時代をつなぐタイムトンネルだったのかも知れない。
地震の前に新しい隧道が完成したが、手掘りの「中山隧道」は保存されている。総延長878メートル。
着工から完成まで16年の歳月を要したと言う隧道は何事に負けぬ粘り強い「山古志」の人々の魂の象徴でもあるのです。
(中越地震の次の年に書いた文ですから11年前のものです。)