12月、師走に入り貴重な晴れ。晴れたら仕事は山ほどあります。
朝は、気温の上昇を待って山の畑に行き、残った大根の収穫。雪の中から掘り出す。
途中で、大豆を乾燥のために広げることを忘れて焦った。
でも、山から帰ると、大豆は広げてありました。午後は昼休みもそこそこに大豆の脱穀。
山裾に近い我が家は、今の季節は午後二時ころには日陰に入ってしまう。
大豆を乾燥、脱穀するのにはお日様の力に頼るしかありませんから焦ります。
文化財級の木槌で叩き、爆ぜた殻と大豆を選り分ける。
これも民俗博物館展示物級の竹製「篩(ふるい)」です。竹の目が大豆の大きさなのです。
古い民具の様な道具の展覧会のようですみません。竹製の「箕」も活躍。
大豆を入れて、ザック、ザックと手で揺すり上げるとゴミが分別される。
南米だったか、ヒマラヤ地方だったか器用に空中に投げ上げて選別していました。
大豆はその方式には粒が大きすぎるかな。放り投げてしまいかねません。
まだ、むしろ一枚分の大豆が乾かないで残ってしまいました。
天候がよく、枝付きのままで乾燥出来たら、脱穀機の出番ですが、なかなかそうはならない。
わずかな貴重品の晩生の大豆を手に入れるための辛苦。これだってSDGsじゃないかな。
だって、上手くいったら種大豆にさえなりますよ。持続可能な目標って難しいことじゃないと思う。
「持続可能な開発目標」?食物残渣を減らす取り組みだって、その考えの枠組みに入る。
なんて、ニュースの一端に触れ「勿体ない精神だ」なんてつぶやいた馬鹿なジーさんでした。