一週間、いや10日ほど前だったかな。
孫の子守を仰せつかり、軽トラで散歩。久しぶりに花卉公園を訪れました。
地域のボス的存在を長年務めた県会議員の筆による石碑がある。
いくつもの石碑があるがこの「農地創造」が歴史を物語る言葉でしょう。
大規模な予算の投入による栗の栽培団地への挑戦の歴史です。
それまでの畑の周囲を切り拓き、130町歩もの広い農地が誕生した。
国のパイロット事業と言う言葉を聞いたから、多大な予算投入が行われてのでしょう。
ただ、雪深い土地であり、そのほかにも土壌が栗に合わなかったらしい。
6万7千本も植えた栗の木が、ほとんど枯れてしまったのでした。
当時、役員として尽力した地元民の名前が刻まれている。
ほとんどの方が物故者となり、あの世へと旅立っておられます。
孫は石碑の文字を手でなぞったり、周辺に飛び移ったりと元気いっぱい。
子守のおかげで、久しぶりに訪れた花卉公園でした。歴史に触れて感慨ひとしおです。
栗の大規模栽培は失敗に終わりました。誰も責められることも無く静かに幕を閉じた。
しかし、この広大な面積になった農地は、その後の花卉栽培に大活躍することになったのです。