亡くなった両親は、遊び心も持ち、山菜採りは二人揃っていくことも。
これは、私も同行してのキノコ採りで、山での昼食の光景です。
父母と姉たちと夫婦喧嘩と
私とは年齢がかなり違った姉たちが三人いる。(実は私のすぐ上にもう一人姉がいたが、終戦の年の混乱の中、一歳の誕生日を待たずに早逝している)
私の記憶がはっきりする年齢、小学校から中学校へかけての年頃だったかと思う。一人の姉のみでは無かったと思うが「結婚するなら父ちゃんみたいな人とする」なんて言っていた記憶がある。
私が娘二人を持つ身となり、その言葉をかみしめる。残念ながら我が娘たちは私にそんな嬉しい言葉など掛けてはくれなかったから。酔態を見せたり、夫婦喧嘩をたびたび見せていたのでは無理も無い事なのだろうが。反面教師とはなり得ても、人生の師、ましてや父と似たような伴侶など選ぼうとは思わないのも無理からぬところではある。
明治生まれの父と大正生まれの母の両親。二人の夫婦生活を思い出してみるに、いまだ不思議で仕方ないことがある。子供の前で一度も夫婦喧嘩をしたことが無かった。いや、見えない所でもけんかなどしたことが無かったことは間違いないだろう。父母と一緒に寝ても、何時までも夫婦で会話を交わしていたことが忘れられない。
他人には厳しくて一面も見せていた父だが、母、ましてや子供たちである姉たちに、厳しい言葉など投げかけるはずもない。いや、四人女の子が続いた末に生まれた長男である私など、可愛くないはずもない。父だけではなく、母も随分可愛がられていた。
(続く)