畑に吹く風

 春の雪消えから、初雪が降るまで夫婦二人で自然豊かな山の畑へと通います。

精一杯働いた一日

2012-05-20 04:49:30 | 暮らし

 昨日は朝一にブログをアップしてから、水稲の苗出しに立ち会い。
義務ではないのだけれど、農家組合長としての責任感からの仕事です。
マックスを軽トラに乗せ、五時半からの苗渡しに行ったけれども担当が来なくて電話を入れ催促。


 ましてや手伝う必要も無いのだけれども、困った人を見ると手出しする性格。
結局皆さんの苗をトラックに積み込む手伝いを最後まで手伝ってしまった。


 そして、朝食後は手伝いに来てくれた友達と「ナメコ」「平茸」を打ち込んだ胡桃の木を運搬。
それだけでは済まなく、胡桃の大木を運搬した後は、杉の大木を伐採し始末に困っている人から、
その大木を焼き芋の燃料として譲り受けて運搬。これがまた生木状態で重い事、重い事。


 午後からは気になっていた伸び過ぎ気味の「ズッキーニ」の苗を畝を作り、マルチシートを張って定植。
三時になり、今度は夫婦二人でそのま山の畑に行って、ジャガイモの土寄せ。
さすがに疲れて五時には止めました。

 でも、その後も帰宅して宅急便の荷物出し、軽トラの燃料補給と行動し、
結局家に入り、夕食が始まったのは七時少し前になっていました。


 さて、今日も一日快晴の天気予報です。
雨さえ降らなかったら百姓に休日は有りません。土曜日曜も無いのですよ。
今日は向こうに見える畑の緑色の部分をトラクターで耕しましょう。

 スベルべママは伸び始めた「コンニャク」の芽を気にしているから、それも植えましょう。
そして、ジャガイモの土寄せもまだ手を付けたばかりだからそれもしなくてはならない。

 「同じ仕事、同じ姿勢の偏った動きでは疲れる」と色々な仕事を組み合わせるのだけれど、
やはり、仕事の絶対量が多くて、一日十二時間近くも働くと疲れますね。

 年金主体の生活、暮らしとなってあくせくと働く必要も無いのだけれど、
やはり、根本に美味しい野菜を作って皆さんに食べて頂き、喜んでいただきたい。
なんて気持ちからか、又は貧乏性とでも言うのか、今日もスベルべ夫婦は一日働きます。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

種蒔き佳境に

2012-05-19 04:55:01 | 

 昨日は朝から一日雨で畑仕事は出来なかった。
そこで、ビニールハウスに入りせっせと種蒔き。

 春巻きの種子類も気温地温ともに上昇し、すべてが播き時期を迎えています。
さつま芋植えなどと重なると忙しすぎるので待っていたカボチャの「雪化粧」も播きました。
そうそうハーブの仲間もついでに、えいやーっとばかりに播いています。


 そうそう、「イタリアンタンポポ」のレッドとグリーンも、
そして、高温にならないと播かない「モロヘイヤ」も播きます。


 そして、トマト、茄子などが大きなポリポットに移植され、
空いた、電熱マットの上に種を播いた連結ポットを並べます。


 先日手伝いに来て下さった先輩に播いて頂いた、ズッキーニの「ブラックトスカ」と、
生食用カボチャの「コリンキー」の間にイタリアズッキーニの「ステラ」のポットを置きます。


 これも先輩に播いて頂いた赤シソ「芳香香り裏シソ」です。


 さて、一足早く播いた「ブラックトスカ」と「栗坊」が植えて頂戴と言わんばかり。


 「フェンネル」「ルバーブ」のポリポットもきっと中は根で溢れんばかりでしょう。
これも今すぐにでも定植してやらなければ恨まれてしまいそう。


 トマトやトマト、もう少しポットで我慢しておくれ。
今日からはしばらく好天続きになりそうだから、植え付け用のフカフカのベッドを準備するからな。
忙しさにも関わらず、気持ちだけは高揚すると言う晩春の日々が続きます。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

先輩お世話になりました

2012-05-18 06:56:20 | 自然

 この日曜日から昨日の木曜日まで、四泊五日で先輩に畑仕事を手伝って頂きました。
そしてその間、この五日間だけでも畑の周りの自然は大激変。

 まだ、咲き始めだった藤の花も昨日のお帰りになられる頃には満開状態。
これは私の山の畑と細い道を隔てたられた藪のカタクリのお花畑。
ここもお出で頂いたばかりは満開だったカタクリが大分萎れ始めています。


 先輩には主としてジャガイモ植えを手伝って頂きました。
でも、たった五日間と言えども、その中で家を不在にする亭主よりも便利とばかりに、
我がスベルべママは他人の亭主をここぞとばかりに便利に手伝いさせてしまったようです。

 ゆっくりと周囲を見回す余裕も与えずに働いて頂くので、
先輩の自然観察、写真撮影なんて休憩時間の行動になっちゃっていました。


 山の畑の行き帰りに、先輩を道路脇のお花畑に案内します。
でも、あの素晴らしいカタクリのお花畑は終りに近づき、今は「オオバキスミレ」のお花畑に。


 そのお花畑に降りる道路の斜面には小さな「エゾエンゴサク」がひっそりと咲いていました。
他にもまだ色々な花が咲いているのだけれども多忙に付き省略(笑)。


 比較的早い時期に咲く「キクザキイチゲ」も可愛い花を見せてくれました。
使うだけ使って、休憩タイムも満足に与えない使用者側に代わり、花が先輩の癒しとなってくれた。のかな?(笑)。

 今回遠慮もせずに手伝いに使ってしまった先輩は、実は高校の五年先輩。
昔の軍隊でも無いけれど、普通は一年違っても先輩と言ったら桁違いの偉い存在。
ましてや、五年も先輩と言ったならば、雲の上の人、神様のような存在ですよ。

 その神様のような先輩はお人柄も神様のようで、何時もニコニコと私たち夫婦を見守って下さいます。
昨年の水害の後始末にも応援に駆け付けて下さり、その時もブログにアップしたような記憶が・・・。

 五学年も違うと当然接点はゼロに等しいほど少ないわけですけれど、
先輩とはサラリーマンの現役時代に専門雑誌の編集長と投稿者と言う関係で偶然知り合いました。
ふとしたきっかけで、山菜の話を連載させていただき、その後も手伝いをさせていただいたのです。

 ま、ちょっとした便利屋的な原稿を引き受けさせていただいても居ました。
雑誌の記事と記事との隙間の穴埋めなどの原稿を書かせて頂いていたのです。
内容はともかくとしても、原稿を何文字分なんて指定されるとそれに応じて適当な文章を提供していました。

 お互いに工業高校の卒業生には似つかわしくないような仕事をしていたことになるのかな。
でも、文章能力って別に工業系理数系であっても別物だとも思いますけれどもね。

 五日間、存分に便利に使わせていただき本当に助かりました。
晩酌を伴う、夕食時には高校の校歌や、応援歌まで二人で口ずさみましたよ。
もっとも、正確に歌詞を覚えておられる頭脳明晰な先輩に比し、校歌さえ間違ってしまうような、
不肖、鬼っ子のグータラ低空飛行卒業生のスベルべで、同窓会を破門されても仕方ない何て思いましたが。

 今朝にはメールが届き、校歌を初めいくつもの応援歌の楽譜が添付されてきました。
ずいぶん時代がかった凄い歌詞も有りますよ。でも、この楽譜も採譜は先輩がされたそうです。
文武両道でも無いけれども、音楽の能力も秀でたものをお持ちです。
そういえば、今回はある弦楽器も持参されつまびいていらっしゃいました。

 いや、校歌も改めて歌詞を見ると壮大な歌詞で戦争直後だったら歌えなかったかもなんて思えるもの。
いやー、校歌、応援歌抜きでも懐かしくも有難いお手伝いでした。
人間持つべきものは良き先輩ですねー。先輩にはご迷惑かも知れないけれど(笑)。
今回はジャガイモを山ほど植えて頂きましたから、次はそのジャガイモの収穫を、
ご夫婦で手伝いに来て頂くようにお願いすることにしますよ。ね、先輩。
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

遅い復興に腹立つ心

2012-05-17 05:32:47 | 暮らし

 昨日の朝はマックスと魚野川の堤防方面に朝の散歩。
堤防近くの水田は田植えならぬ、水害からの復興作業の真っ最中。


 測量して設置した木製の目印を基に水田に堆積した土砂を撤去しているのです。
手前の手付かずの水田のように一見何事も無いように見えるけれど、実は泥が堆積している。


 山は緑が濃くなり、農作業も最盛期。
田植えも始まろうかと言うこの時期の復興作業は遅く、腹立たしい限り。


 土砂を搬出するダンプカーの荷台の文字「岩手」に驚きましたが、
岩手からの支援では無くて、単に「岩手県」に在籍するレンタカーでした。


 本当に一見、何事も無い水田風景に見えるのだけれど実は、
水田を区分する「畔(あぜ)」を埋め尽くすような厄介な泥が堆積しているのです。


 工事の内容を示す立看板が有りました。
工期はなんと九月二日ですよ。もっとも着工期日の三月十五日もまだ深い雪の下でしたけれども。

 いずれにせよ腹が立つようなのんびりとした復興作業ですね。
国・県の主導する災害復興なんてこんなものなんでしょうね。

 昨年の東北大震災、津波の際には本当に深い悲しみに落ち込まされました。
でも、これで国の官僚機構、政治体制が変わるのではないかと淡い期待の心も抱いた。
しかし、ご存知の通り、何も変わる事は無かったですね。

 東北地域の復興は遅々として進まず、これが日本の現状かと暗澹たる気持ちにさせられる。
我が地域の昨年の水害による被害の復興も全く同じでしたね。
水田の復興もともかく、肝心の堤防欠落部分の工事計画も遅々として進んでいませんね。

 少し前に堤防の基本設計が出来上がったと説明会が開かれたけれども、
ついぞ、工期については明言を避けていました。

「えー、現地測量をして設計をし、積算をして予算を作り、霞が関で査定を受けます。
それでヨシッと言うことになると、国会の予算審議を経て工事の実施と言うことになります」
えいっ、もう本当に腹だたしい説明。

 「それでは雪解け水、梅雨時期の増水、台風による大雨、その都度不安な気持ちで待てと言うの」
と、国交省の役人にかみついたのは一匹オオカミのようなスベルべ一人でしたけれどもね。
私の剣幕に「水位が上がったら皆さんに注意を促すパトライトを設置します」なんて逃げていました。

 水位が上がったら、その水位に反応して注意を促すパトカーの屋根のような警報灯を設置するそうです。
でも、説明会ののちずいぶん日数が経過したけれども、設置する様子は見えませんね。
まさか、霞が関で査定しているのでも無いでしょうがそれにしても何時もの事ながら腹立たしい限り。
昨日十五日から現地測量に入るとの連絡は入ったけれども、作業する人たちの姿は見えませんでした。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山を見ると思い出す

2012-05-16 04:25:09 | 登山

 山の畑から周囲を見渡すと数多くの越後の山々が見える。
あまりにも綺麗なので、トラクターを運転しながらポケットからカメラを取り出して写した。

 でも、そんな態勢で綺麗な写真が撮れるわけも無く、アップしたら手ぶれのためか全てピンボケ。
あらためて、新調した「NIKON N1」で撮影して紹介しましょう。
先日テストした新しいカメラの越後駒ケ岳の写真を再掲で失礼。


 二十数年前に家族で、その「越後駒ケ岳」に登った際の一枚。
八月の末、台風の通過後に親子四人に当時68~9歳だった妻の母を加えた五人だった。
五人で山頂直下の「駒の小屋」に一泊し、のんびりと山を楽しんだのでした。


 山の畑から見ると越後駒ケ岳の左肩に「荒沢岳」が見えます。
これは、家族四人で登った際の一枚。

 「荒沢岳」はなだらかな山頂からは考えられないほど途中が険しく危険な山。
私たちが登った日にちと、それほど違わない日に有名な女性漫画家の父君が遭難死しています。


 これも先日アップした「巻機山」の再掲です。
この山にも十回を越える登山をしています。

 「ヌクビ沢」コースを家族四人で犬の「チロ」を連れて登ると言う、
今考えるとずいぶん無謀な沢登りも敢行しました。
翌日、同じコースで東京の登山者が転落遭難死してぞっとした記憶が有ります。


 きっと三十数年前の一枚だと思います。
十月十日の体育の日に今は入山禁止になっている「米子沢」を詰めた際の風景です。

 このフリークライミングに最適な「米子沢」も遭難者が続出して今は入山禁止になっています。
左側が二十歳代の私の姿ですね。

 後日改めて新しいカメラで収支の山々を撮影し、登った記録と重ねて、
紹介することにしましょう。本日はこれにて失礼。



コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする