畑に吹く風

 春の雪消えから、初雪が降るまで夫婦二人で自然豊かな山の畑へと通います。

「古事記」から思う事

2016-02-25 04:31:18 | 暮らし

 「古事記」を読んでいますが、何しろ登場人物が多い。
ましてや、神々の名前、天皇の名前家系と読みの難しい事甚だしく、従って疲れる事も甚だしい。



 そうそう、古事記にこの辺りの地名の記述が有ると聞いたことが有ったっけ。
この「ホムチワケ」の記述がそれに当たるのかな。



 「高志の国まで行って、和那美の水門(みなと)に網を張って・・・・・」
うーん、我が家の下手に「和南津」と言う地名が有り、そこが高志の国和那美ではないかと言う・・・・。

 残念ながら訳者の池澤直樹氏は該当する場所は無いとしている。
でも、ロマンとして高志の国和那美が「山古志和南津」と考えるのもロマンではないか。



 この向こうの小高い丘を越えたところが和南津の集落。
写真の右側が魚野川の左岸右岸がもっとも接近していて狭い所です。



 スベルべが操作員を務める「下島排水樋門」ですが、これが現代の『和那美の水門』というのは如何でしょう。
昔、この辺りまで海だったという説が有り、事実海水に住む貝の化石層が近くに有ります。

 和那美の津、転じて「和南津」なんてこじつけは笑われるだけかなー。
そして、実はこの辺りが先の「中越地震の激震ゾーン」なのです。

 ここが、昔の海岸線だとすると地層の違いから「激震ゾーン」になった説明もつく。
こんな仮説はスベルべが考えるだけの事かも知れないが、また機会を見て語りましょう。
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初めて見た「広神ダム」!

2016-02-24 04:11:50 | 風景

 どうですか、この風景?
ダムの堤本体の向こうに「八海山」が浮かぶように見えています。

 ここは、「広神ダム」です。
もう20数年前から名前だけは聞いていましたが、実際に見たのは最近の事。



 ダム管理事務所の傍に大きな説明用立て看板が有りました。
それによると、満水時にはダム本体のかなり上部まで水が満たす筈。



 ダムの本体に比して、周囲の山々は低い。
名高くて、しかも近い奥只見ダムにせよ、黒部ダムにせよ周囲は高い山に囲まれている。



 きっと、このダム建設に伴い高い所に移設された国道だろう。
まだ新しいトンネルの入り口には、水芭蕉と「ザゼン草」の立派なレリーフが見える。



 全体図です。
うーん、向こうの「兎畑公園」が気になります。

        (続く)

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我が家の宝『萬覚帳』

2016-02-23 05:40:13 | 暮らし

 猫の写真をアップしていたら、同じカテゴリーのファイルに我が家の宝を見つけ出した。
膨大なアルバムの中は幾つものファイルに分けられていてその中の「スベルべ家」と言うファイルです。

 昭和4年に54歳で亡くなった祖父が残した備忘録とでも行ったら良い綴りです。
スベルべが生まれる18年前に亡くなり、この「萬覚帳」は明治30年辺りからの書き込みでしょうか。



 子孫であるスベルべとは違って几帳面だったらしく自身の祝言も記録しています。


 とうに付き合いの途絶えた親類縁者の名前が多く、時代の流れを感じさせられる。
そうか、そうだなー、あの村にも親類が有ったって聞いたことが有るなー。



 御近所、友達関係が主の書き込みですね。


 竜光は分かるけれども、根小屋、小千谷はどう言う親類なのだろう。
もう本当に謎の世界です。そりゃそうですね、亡父でさえ知らない親戚が有ったとか聞きましたから。

 亡父の晩年の言葉に、父に代わって年始の挨拶に行ったことは覚えているが、
その家が、何処の家で、どういう関係の親類だったかは全く分からないとの事だった。



 ほら、地芝居の花、御祝儀の控えですよ。
祖父はなんと地芝居の座長を務めていたのだったとか。地芝居でなく、自芝居と言うのは自負だったのだろうか。



 水田、畑の収穫なども細かく記載されている。
いやー、子孫、孫のスベルべとは随分違う几帳面さ(笑)。



 薩摩芋拾八俵なんて有りますね。
祖父が作り、父が作り、そしてスベルべが作り続けるさつま芋って我ながら凄いなー。


 書いていて気が付いたけれども、明治36年辺りからの記録かな。
細々とした字名、小字名などが有って、懐かしいと言うか新発見の様なものも多い。

 我が家の家計を語る場合に「筋金入りの水呑み百姓」です。なんて言う。
正に、土に生きた祖先の土の香りがする記録ですね。


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我が家の『猫』三代

2016-02-22 15:16:16 | 暮らし

 2月22日はにゃんにゃんにゃんで猫の日だとか。
最近は猫ブームだって言うけれどもどうした事かいな。

 今はマックスが去り、そのもっと前にオジが家出をしてしまい我が家にペットは今居ない。
まだ、モノクロの時代の写真で何時の事かなー。炬燵の上であおむけで爆睡する「オジ」です。



 これも向きが違うだけで同じ「オジ」ですね。
何代か続いて、与板の乾物屋「松屋」さんから婿入りしてきた。

 ちなみに我が家で買う猫は雄猫に決まっていて、名前も必ず「オジ」だった。
「松屋」さんから貰った子猫は箱に入れて、バスと汽車を乗り継いできた。

 バスの運転手は子猫の声にも黙っていて料金は取らなかった。
駅に行くと鳴き声に気付かれて、子供の運賃を取られたっけなー。



 このシロクロプチの「オジ」は、近所に居た捨て猫を飼ったように思う。
如雨露の中に手を入れて、水を手に付けて飲む利口ものだった。

 スベルべが戯れに近くの川に釣りに誘ったらさー大変。
釣りの支度をすると目敏く見つけて着いてくるわ、釣った魚は横取りさえする。

 「こら、オジ!魚釣りに来たんだぞ、猫釣りに来たんじゃないぞ」なんて叱ったっけ。
そう言えば、前出の「松屋オジ」は絶対に川魚は食べなかった。鮎だって跨いじゃう(笑)。

 その代わり、海の魚と言えば煮干しだって大喜び。
白いご飯に「花鰹」を掛けるのが定番ご飯。「オジ、今日もカツライスか」なんてからかっていたっけ。



 最後の「オジ」が中年を迎えた頃、犬の「チロ」が来た。
無邪気に近付く「チロ」に「オジ」の奴は猫パンチ一閃。鼻の頭から血を出してしまった「チロ」でした。

 一回だけだったけれども犬の「チョビ」と猫の「オジ」が赤ちゃん同士で揃った事が有った。
一日中、絡み合って、転げまわって遊び、「オジ」の身体は「チョビ」のツバで汚れ、そこに砂が付いて・・・・。

 疲れると、そんな汚れた姿で抱き合うように寝ていました。
そんな風に、犬と猫とを叶う事ならば子供の時から育てたいと思うけれども自分の歳を考えるとやはり叶わぬ夢。
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『古事記』に挑戦

2016-02-22 04:24:08 | 暮らし

 友人から昨年の秋に一冊の本を借りました。
時間がかかっても良いから読み終えたら返す。と、言う約束です。



 何だか、いわゆる馬の合うその友人は、元中学校教師。しかも、国語の先生でした。
そして、付き合いが深まったのは互いに共通する趣味、オートバイが有ったからかも知れません。



 古事記を纏めた「太安万侶」も偉いけれども、この本を現代語訳した「池澤夏樹」さんも中々の方。
「帯」には、池澤夏樹=個人編集   「斬新な訳と画期的な注釈」なんて有ります。



 こんな、親しみやすい感じで始まります。
でもね、読むに従って難しくなる。いえ、分かり難くなる。



 「太安万侶」への便り、なんて形式の序です。


 いかんせん、神々の名前、出現数が多過ぎる。
やや、硬化し始めたスベルべの脳には中々スムーズには沁み込まない。

 二日間でそう、五分の一程度の読み進み度でしかない。
でも、今日からまた気合を入れて読みましょう。
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