畑に吹く風

 春の雪消えから、初雪が降るまで夫婦二人で自然豊かな山の畑へと通います。

大雪警報の途中経過

2021-12-26 06:03:38 | 自然

 今朝までに山沿いでは70㎝と降雪が予想されていた。

一度、3時に起床して消雪用ポンプのスイッチを入れてからしばらく眠る。

 次に目覚めたのは4時半過ぎで、すぐに着替えて表に出ます。

除雪機、タイヤドーザーの照明が見えていました。

 

 我が家から駅方向を見ます。

一晩の降雪としては20㎝程度で、予報よりも少なくて済みました。

 

 今日は駅の除雪は休みの日です。

前日、パートナーから電話で、万一の場合は我が家の前に通勤用自動車をと、頼まれていた。

 

 そのためにも我が家の前をきれいに除雪していたのだが、道路除雪が間に合いました。

道路の除雪が遅れると、駅前広場まで自動車で乗り入れるのが難しくなるのですよ。

 

 一通りの除雪を終えて、タイヤドーザーは帰ります。

今、ロータリー除雪車のエンジン音が聞こえてきました。

 タイヤドーザーで片側に寄せた雪をロータリーで飛ばして道路除雪は終わります。

以上、実況中継風の我が家の周辺の降雪状況でした。寒波は28日まで続くと言います。

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警報級の寒波が来るとか

2021-12-25 05:34:45 | 暮らし

 数年に一度クラスの強い寒波の襲来が迫っているという。

昨年と同じような、関越道が埋まるような雪でしょうか。昨日は嵐の前の静けさで小春日和。

 

 まだ、先日降った雪が残っていて、根雪にはなるでしょう。

26日夕方までに、山沿いでは最大90㎝の雪が積もると予報されています。

 

 語り伝えられるほどの大雪、56豪雪ではあの白い建物もほぼ雪に埋もれました。

そして、その右手の山の上からは、大量の雪が全総雪崩となって落ち、線路を埋めていました。

 

 電車が何事もなく、長岡に向かう平穏な風景。

昨年、最も雪が降った際には線路に積もった雪がホームの高さになり、ホームの端が分からず苦労しました。

 

 さて、嵐の前に腹拵え。でもありませんが、従妹からプレゼントが届きました。

銀座千疋屋のフルーツケーキです。二人で静かに食べるクリスマスでした。さー、雪よ来い!

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簡単な鍋で夕食を

2021-12-24 04:45:12 | 食べ物

 体調が悪かった家内もようやく回復傾向。二人で久しぶりに買い物でした。

元気な時は食事も任せられたけれど、食欲のない時はスベルベが担当していました。

 夕べも面倒なメニューは頭に浮かばず、簡単に鍋にすることに。

野菜だけは、まだ我が家産がたくさん残っていますからね。有難いことです。

 

 他の鍋の材料は、マダラ、鶏の手羽先、牡蠣と統一のない闇鍋風。

他にも余りものの厚揚げ、練り物、シメジと入れ続けます。牡蠣は最後ですね。

 

 牡蠣を残すのみでほぼ材料のすべてが入りました。

鍋が沸騰してきて、カメラのレンズが曇ってきています。

 

 あ、椎茸も入っていましたよ。そして、野菜はたっぷり入れたつもりが・・・。

計算違いと言うか、スベルベの経験不足で、出来上がるにつれ野菜の量は激減です。

 白菜など、鍋からあふれ出るほどでよかったのだなー。

ネギも4本入れたのだけれど、もっとたくさんあっても良かったなーと反省鍋。

残っているから、今日の昼食はうどんを入れて食べましょう。今日もこれから勤務です。

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小春日和の花卉公園

2021-12-23 05:02:12 | 暮らし

 一週間、いや10日ほど前だったかな。

孫の子守を仰せつかり、軽トラで散歩。久しぶりに花卉公園を訪れました。

 

 地域のボス的存在を長年務めた県会議員の筆による石碑がある。

いくつもの石碑があるがこの「農地創造」が歴史を物語る言葉でしょう。

 

 大規模な予算の投入による栗の栽培団地への挑戦の歴史です。

それまでの畑の周囲を切り拓き、130町歩もの広い農地が誕生した。

 国のパイロット事業と言う言葉を聞いたから、多大な予算投入が行われてのでしょう。

ただ、雪深い土地であり、そのほかにも土壌が栗に合わなかったらしい。

6万7千本も植えた栗の木が、ほとんど枯れてしまったのでした。

 

 当時、役員として尽力した地元民の名前が刻まれている。

ほとんどの方が物故者となり、あの世へと旅立っておられます。

 

 孫は石碑の文字を手でなぞったり、周辺に飛び移ったりと元気いっぱい。

子守のおかげで、久しぶりに訪れた花卉公園でした。歴史に触れて感慨ひとしおです。

 栗の大規模栽培は失敗に終わりました。誰も責められることも無く静かに幕を閉じた。

しかし、この広大な面積になった農地は、その後の花卉栽培に大活躍することになったのです。

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これが越後村上の塩引鮭

2021-12-22 05:04:03 | 食べ物

 少し前になりますが、素晴らしい鮭を頂きました。

鮭で知られる村上の「塩引鮭」です。堂々たる面構えの雄ですよ。

 

 村上の鮭の歴史は江戸時代まで遡ります。

村上藩武士の青砥部平治と言う人物が、鮭の習性に着目して人工ふ化放流に着手したとか。

 

 以来村上を流れる三面川に遡上する鮭を捕まえて人工ふ化を続けている。

11月に村上を訪れたことがあります。家々の軒先に自家製の塩引き鮭が下がっていて驚きました。

 今回の発送元の会社も見学に訪れましたが、広い加工場の天井一杯に吊り下げられていました。

「イヨボヤ会館」と言う名前の鮭の歴史を展示した博物館があり、地下からは三面川の水中も見られます。

 

 この塩引鮭はプロ、専門会社特製ですから丁寧にカットして真空パックされています。

別ルートで頂いた紅鮭を切る際は、孫に良いところを見せようとして指先を切りました。

 でも、こんな風にカット済みだったらその心配も無し。

この村上伝統の塩引鮭の味は昔を思い出させてくれる懐かしく、そして最高の味です。

 丁寧に手作業で塩を擦り込み、熟成して仕上げてあるから塩が馴染んでいるのです。

心配な話がニュースで伝えられていました。三面川への鮭の遡上が少なく不漁なのだとか。

 普通は使わない雌鮭さえ塩引鮭の材料として使わざるを得ない非常事態だと言われます。

人工ふ化して放流すると何パーセントかの回帰率で帰るのが、今年はその数値が低いらしい。

 地球温暖化の影響はこんなところにまで及んでいるのでしょう。

北海道でも鮭は不漁で、反対に今まで獲れなかったブリやサバが大量だとか。心配な状況です。

そんなことで今年は特に貴重な村上の塩引鮭です。昔懐かしい味を食べさせていただきましょう。

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