畑に吹く風

 春の雪消えから、初雪が降るまで夫婦二人で自然豊かな山の畑へと通います。

コントラバスの魅力

2024-06-16 04:34:29 | お出かけ
 切ない出来事があり、落ち着けない。考えた末にサンドコンサートへ。
どうしようもない、どうにもできないことだが、気持ちを切り替えようか。

 今回のサンドコンサートは珍しい演目。なんと、コントラバス主体なのです。
司会者であり、プロデューサーを兼ねる「アンサンブルオビリー」のリーダーが進行役。

 開演中はもちろん撮影は禁止です。いつも写す奥のステンドグラス風飾り。
エントランスホールは、外部が30度を超える暑さなのにひんやりと感じます。

 奥から、入り口方向を見ました。
例によって、受付開始の30分以上も前に到着。最も良い席が確保できました。

 コントラバスとピアノだけのシンプルな構成のコンサートです。
コントラバス主体なんて、聞いたことは無い。開演時刻が迫ると、軽く興奮を覚える。
            (続く)
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父の日を早めて

2024-06-15 04:29:18 | 食べ物
 山菜採りになど興味を示さなかった、スベルベママの弟でした。
春の「コゴメ(コゴミとも)」採りを手ほどきしたら、すっかり山菜に嵌ったようです。
 一昨日は、一晩我が家に泊まり早朝ワラビ採りをしたいという。
それならば、連れ合いを早くに亡くし一人暮らしの彼と夕食も一緒にという事に。

 一人になった当初は、子供たちに心配をさせたくない気持ちも強く、食事も頑張っていた。
でも、一人の食事に手間と時間をかけるのはそうは続かず、スベルベママの御馳走をありがたがる。
スベルベのなかなかできない、煮物です。こんな御馳走がやはり有難いらしい。

 野菜の摂り方も少ないのではないかと心配した、スベルベママのサラダ。
前日作った、鳥の胸肉を使った自家製ハムを使い、野菜は家の裏のスベルベママズガーデンから。

 そして、メーンはなんと言ってもこれです。小さく見えるけれど大皿です。
スベルベが日本海で釣り上げた例の真鯛の半身が冷凍してあり、それを豪快に焼きました。

 おぼろ豆腐の冷奴もやたらと美味しい。
昨年の我が家産生姜を摩り下ろして掛ける。滑らかな舌触りと溶けるような美味しさ。

 スベルベママの発言で「三日早いけれども父の日にしましょう」という事に。
ビールでの乾杯から、冷え冷えの白ワインに移行。鯛の焼き物にぴったりでした。
 なお、翌朝のワラビ採りです。最近は誰も入らず、いくらでも採れましたよ。
義弟はあちこちへと、そのワラビを配りながら帰宅し、喜ばれたそうです良い父の日になったかな。
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連載315「クッション言葉」(その3終わり)

2024-06-14 04:24:36 | 暮らし
 夕暮れを迎えた農天市場です。

 おや、常連さんに暖かいお茶のサービスですよ。長岡から毎週お越しくださいました。

         クッション言葉(その3終わり)

 魚沼市の小売店の皆様、中にはお客さんが入っても、「いらっしゃい」の言葉さえかけられない人はいませんか。お客さんに先に「おはようございます」と言わせている人はいませんか。

 どちらが、お客で、どちらが経営者、店員かさえ分からないような店が多くはありませんか。みなさん、もう少し愛想よくしたら、きっと売り上げも増えますよ。

 蛇足ながら、我が家も自前の農産物直売所を夏季だけですが11年間続けることが出来ました。夫婦で示し合わせたわけでも無いが、愛想だけは良かったつもりです。「いらっしゃいませ」は当然です。お買い上げいただけなかったお客様にも「ありがとうございました。またお越しください」の声掛けは欠かさなかった。
 残念ながら売り上げにつながったという事は無かったが、新潟、長岡、出雲崎と友人が出来たのは、そんな挨拶があったからかもしれない。
           (終わり)
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連載315「クッション言葉」(その2)

2024-06-13 04:10:48 | 暮らし
 夏野菜が並んでいます。ポップなども全部手作りでした。

 秋です。焼き芋釜の姿も見えます。憩いの場的な存在でもありました。

   クッション言葉(その2)

  ずいぶん昔の話だが、亡父のために旅行用かばんを求めに買い物に出た際に不快な思いをした。「一泊二日の小旅行に使うようなかばんは無いでしょうか」と尋ね帰って来た言葉に驚いた。「ねー(無い)」の一言だったのです。

 小さな町の小さな店です。何か家庭内で嫌な事でもあったのでしょうか。こんなぶっきらぼうな返事で一日不快な気持ちで過ごす羽目になってしまった。市町村には商工会と言う組織があり、相互扶助、既存権益の保護などを目的にしていると思われる。

大型店舗の出店などに大声で反対を唱えるのが、この組織辺りではないだろうか。「市外の大型店舗に客を奪われる。大資本にはかなわない」なんて声もよく聞くが、「ちょっと待ってよ」と言いたくなる。例のようなクッション言葉を使うようなサービスはしているだろうか。些細な心遣いで商売が繁盛するならば、一声添える心遣いなんてお安い御用だと、老婆心ながら思うのですが。

           (続く)
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連載315「クッション言葉」(その1)

2024-06-12 04:27:57 | 暮らし

 懐かしい農天市場の写真です。向こうには水害で廃業したGSの建物も。
11年間続けましたが、例年稲が伸びて緑の絨毯のようになったころ開店でした。

 丸車庫と呼ぶ建物を利用し、裏はオープン状態で手を伸ばせばトマトに手が届く。

   クッション言葉(その1)

 先日の新聞に良い記事が書かれていた。客と店員の会話を例として「おにぎりありますか」「売り切れです」と。店員の言葉遣いは誤りではないがそっけなく冷たい感じがすると。その通りですね。

 「申し訳ありませんが売り切れです」と言えば、客の心情に沿った温かみが感じられるようになると説く。そして、この「申し訳ありませんが」のように本題に添えて柔らかく伝える役割を果たす言い回しを「クッション言葉」と呼ぶと結ぶ。

 クッションはゴツゴツぶつかり合って具合の悪いときに衝撃を和らげる役目を果たす。日本語に言い換えると、緩衝材とか緩衝帯になるだろう。「得たり」との思いでした。日常生活が現代の超多忙な時代の流れの中で、言葉が簡略されて味気ない会話が増えている。強く言うと殺伐とした現代を象徴するようなぶつかりやすい会話が普通になってはいないだろうか。

        (続く)
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