窓の外を見ると 空に月
このところ雨が続いて 夜空に月があることを忘れていた
月が何か とても珍しいものに感じられてしまった
(コメント欄は閉じております ごめんなさい)
窓の外を見ると 空に月
このところ雨が続いて 夜空に月があることを忘れていた
月が何か とても珍しいものに感じられてしまった
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数日続いた雨が上がり地面も少し乾いてきた
和室の濡れ縁の前を居場所としていた(和室は長男が起きている間 使っている)ランが ダイニングの窓の前で寝そべっていたら マリーが厚かましくもランの上に腰かけた
暫くは マリーがそのうちどくだろうと横になったままでいたランだが
とうとう起き上がった
ーお前 重いねんーというところ
立ち上がらせまいと抵抗するマリー
ものともせずランは居場所を変えて移動
けれど そのランのあとをマリーはついていっていた
ランに睨まれたら すぐにびびる癖に マリーってば時々ランに甘えたくなるらしい
ねえ マリー ランに構われたいのなら 甘え方は考えた方がいいと思う
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子供の頃は 有名な人が死ぬと驚いていた
それが何時の頃からか あまり驚かなくなった
ひどい時には あの人まだ生きていたんだーと逆に驚いたり
人は死ぬのが当たり前ーとなってしまっている
古いドラマの再放送など観ていると
ああ この人も死んだんだ
この頃は元気だったのにーなどとも思う
以前 ちょいと芸能人の死について少し触れたことを書いたら
「ブログを読む人を増やさんと 芸能人をネタにするなー」なんてコメントをくれた「通りすがりの自称常識人で頭の良い人」からコメントがあった
そんなふうに読む人もいるんだ
こちらは全くそういうつもりなど無かったので 驚いたし
内心 何かの八つ当たりをされているような気分になったものだ
国語のテストなら
あなたは筆者の真意が読めていません 読解力におおいに問題ありです
ーと採点してあげたいーなどと意地悪く思ったりもした・笑
身近な人だと
曾祖母 母の兄 父の姉 祖母 父の姉の夫 母 父 舅
いつか死に慣れてしまう
慣れて いつか自分も死ぬのだろう
などと思っている
自分の掌を眺めても 自分では手相から「死の時期」は読み取れないけれど
九州で暮らす父の姉が珍しく電話をくれたことがあった
その頃 父はその姉の言動について少しからず怒っていて
けれど その日 丁度 両親は何かの用事で出かけていて 留守番をしているのは私ひとり
父がいないことを伝えると伯母は少し寂しそうだった
帰宅した父に電話があったことを伝えたが 父は電話をかけようとはしなかった
伯母が亡くなったと 別の伯母から電話があったのは それから間もなくだった
死ぬ時期が分かって弟の声を聞きたかったのだろうか
何か言っておきたかったのだろうか
晩年 その伯母は住み慣れた家が区画整理にかかり 別の場所に移り住んだ
伯母のその住み慣れた家は 祖母も暮らしていたところで 父にとっても思い出のある場所
古くて少し暗い部屋で伯母は 亡き祖母についてや 私が会った事もない親戚の話しなども
その伯母は台湾料理が好きだった
両親と別の伯母とその甥と 北九州市めぐりをした
路面電車に乗ったり みんなでご飯を食べて 市場を歩いて お城見て
お盆の頃は亡くなった人々のことが思い出される
私が死ねば この想い出も消えていくのだと思うと これも面白い
人は死んでも思い出だけは残っていけば 思い出の大渋滞だ
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