庶子として生まれ 母の死により父の家に引き取られる
父の家には正妻とその正妻が産んだ子供達が居た
何かにつけていじめられ忍んでいた男の子
正妻は自分の子供達よりも その男の子の出来がいいことを妬む
武芸・学問
後継ぎの座を奪われてはーという思いもあったか
夫が他の女に産ませた子供なのだ
怨み呪いたくもなるだろう
けれど子供には分からない
正妻の子供達には いじめても良い相手なのだ
むしろ母親の意を汲んでいじめるべき者
耐えていた男の子の気持ちが爆発する
それは亡き自分の母親をあしざまに言われたから
自分のことなら我慢できる
しかし!!!!
母親違いの兄達を叩きのめし 寺に出された
僧侶となれば生きる道もあろうーと父親は思ったか
久斎と呼ばれるようになった男の子は寺でもいじめられる
誰よりも辛い仕事に追いやられ
それでも経を覚えるのも早く
そこがまた妬まれる
自分よりも立場的弱者をいたぶるのは人間の性なのか
それでも水汲みに出た場所で少し年上の娘しのと話すことが唯一の癒しであった
そのしのが父親の弔い代金の為に身を売ることが決まっているという
それは新しい住職の金集めの為
しかもこの住職となった僧は女犯の罪で こんな僻地に押し込められたのだった
金を使って華やかな場所に戻るーその強欲の為に貧しい村の人々はますます追い詰められ
ばかりかこの住職は しのをも好色の餌食に
現場を見て久斎は爆発
住職に怒りをぶつける
13歳だが大人に見える体 強い力
寺を出てしのを捜す久斎
見つけたしのは崖から飛び降り死のうとしていた
身を汚されたしのは もう生きる希望もない
必死に止める久斎の目の前で しのは死んでしまった
当ても無く出奔した久斎は同じく13歳の万吉と出会い 共に江戸に向かって旅することとなる
寺を出た久斎は名前を無暁と変えた
世間知らずの無暁と違い世慣れた万吉の生きる為の智恵のおかげで どうにか無事にたどり着いた無暁
万吉の夢の𠮷原見物に同行
そこでならず者3人にいちゃもんつけられるも その腕力で退け
これが縁で荒隈の乙蔵と知り合い 彼から仕事をもらい「坊主崩れの無暁」とふたつ名で呼ばれるようになる
万吉も所帯を持ちたい娘ができた頃 組と組の争いで
闇討ちをかけられた無暁を救いに来て 万吉は無暁を庇い落命
唯一の友 心許し合える存在
年は同じでも俺は兄ちゃんだから 自分より体の大きな無暁のことを守ろうとして
乙蔵は組の者達を率い 敵対する組に殴り込みをかける
人を殺してー
八丈島へ島送りになる無暁
島でも人殺しは忌み嫌われる
いつしか崖上で経をあげるようになる無暁
その経の声で 島の方向が分かり救われた者が出る
僧侶として島の人々に受け入れられ始める無暁
島がイナゴの群れの害にあい 食べるものも無くなった時
無暁は 駄目モトで父親に手紙を出す
父親は行方不明のままの息子の身を案じ捜していた
届く物資
赦免を願う動きも
それがかなわぬまま 父親は死んだ
長い歳月が過ぎ諦めた赦免
その赦免の報せが届き 島から離れることに
同じ島流しの身であった僧から教えられ
彼は修業の厳しい場所へ
そこで無暁は ひどい飢饉の場所をまざまざと目の当たりにし
千日行ー五穀断ち 十穀断ちとしていき
その命が消えればー即身仏
それを志すようになる
苦しい修行
その中でも人との出会いはある
救った男は無暁の千日行の手助けがしたいと
空如の名を 無暁は彼に与えた
かつて人減らしで殺されそうになった赤子を救った無暁
その赤子は確かな人に養子に出され 夢を見る
その夢に出てきた仏の言葉「見届けよ」
赤子だった少年は無暁の弟子となり月光の名に
入定塚に入る(死を覚悟)した無暁は 空如と月光にお鈴⦅りん)を渡す
自分も手元に一つ
「この鈴が私とお前達を繋ぐものだ」
闇に閉ざされた入定塚の中の無暁の耳に 空如と月光の鳴らす鈴の音が聞こえる
応えて無暁も自分の鈴を鳴らす
それはまだ無暁が生きているしるし
返事の鈴が聞こえなくなったらーその時はー
ちりりん ちりりん
この音が無暁の 此の世で最後に聴く音となる
解説は 文芸評論家の末國善巳さん
島流しからの赦免で無暁が目指すのは出羽
湯殿山 月山 羽黒山
山村正夫さんの小説に「湯殿山麓呪い村」がある
即身仏の謎解明の調査で連続殺人が起きるーというもの
映画化(1984年)もされております
この小説と映画の印象が強くて^^;
即身仏 ホラーめいた印象を持ってしまっております・笑
即身仏とは何なのか
何故 飢饉や災害 世情の揺れ動く時に即身仏が現れるのか
ー作中よりー
「頼りない身の上のわしらのために 仏さまがおん行さまを遣わしてくだされた」
「わしらの苦を御身に引き受けてくだされて 何とお礼を申したらよいか」
「ありがたや ありがたや ・・・・・なむなむなむ・・・・・」
衆生が 人々が待ち望んでいるためだ
厳しい行に打ち込む姿を 世人は自分たちに重ねる
辛い苦しみを知る者同士だからこそ わかり合える 理解してもらえる
その思いは何よりの慰めとなり 大きな救いとなり得る
生に喘ぐ渇きを満たしてくれる その水となり得るのが 即身仏であった
民の困苦欠乏は本来なら為政者が庇護するべきものだが 下々にまでは行き届かない
その穴を埋めるのが宗教なのだ
即身仏は 宗教を極めたひとつの完成であり 志す行人への帰依と感謝の念は想像を絶する
無暁はそれを 目の当たりにしていた
千日行が満願に達したその日 人々の熱狂は頂点を極めた
本の帯には直木賞受賞後 初文庫!
と あります
西條奈加の最高傑作!!と
本当に力のある作家さんだなと そう思います
(コメント欄は閉じております ごめんなさい)