鵠沼・昔砂丘の一本松

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新田山の記憶

2011-08-21 | 藤沢

家に「鵠沼自治連だより」が届き、その中に「鵠沼標高マップ」がありました。
東日本大震災の影響で、海辺の街として津波災害に備えるための検討が進められ、参考に配られたようです。
鵠沼で一番高い場所は、標高21.5mの「橘高台」と記されていました。
突然「橘高台」と言われても分かりませんが、どうやらこれは「新田山」のようです。
新田山は子育て時代に我が家の主要散歩コースだった場所です。
そこで、新田山の記憶を掘り起こしました。


これは昭和43年(1967)頃の新田山の風景です。
鵠沼で一番高い砂丘の山頂は、砂地の草原で、周囲は黒松で囲まれ、子どもの遊び場としては最高でした。


平成16年(2004)5月の新田山です。
周辺の住宅開発が進みましたが、まだ新田山の草原には大きな木が茂り、のどかな雰囲気が残っていました。
「鵠沼の緑と景観を守る会」のツアーに参加して、あちこちのポイントを見て歩いた時の写真です。
すでに開発着手の論議が盛んな頃です。


いろいろな経緯があったようですが、ついに開発が始まったという情報で、現状を見に行きました。
平成17年(2005)2月の新田山です。
黒松も伐採され、起伏も削られ、宅地化の準備が進んでいました。
ネット情報によると、この当時の新田山の標高は25mになっています。