うざね博士のブログ

緑の仕事を営むかたわら、赤裸々、かつ言いたい放題のうざね博士の日記。ユニークなH・Pも開設。

春の花を生ける

2011年04月12日 10時37分59秒 | 生け花・切り葉のギボウシ
うちでは家内が草月流で、造園業界に入り始めの頃、思い切って、わたしも庭づくりのセンスを磨きたいと思い池坊流を1年と半年ばかり習った。千葉市内の師範代の免状を持つ師匠のところで、会社終業後に週に2回ほど通った。当然のことながら無骨な男性はわたしひとり、いっしょの顔ぶれは20代の女性のみであった。ちょうど、わたしが20代後半の頃の話である。
 実は、わたしは花屋さんでこの花材を買ってまでもしては花を生けない。買う場合はお見舞いや春秋のお彼岸の墓参りの場合だけである。生ける材料は自分の庭で育成したものでまかなうものと思っているので、材料の種類はカバーできても数が足りない。だから、生ける形式もおのずと、切枝や切葉を矯めたり大量の花を組み合わせて水盤に剣山を使うような‘盛花’ではなくて、生花(ショウカ・立華)や一輪挿しの瓶生けになる。
 教えていただいたことを振り返ると、そんな中でも、出生(シュッショウ)を考えて生ける、という言葉がよく印象に残っている。いろいろなデザイン、形状の花瓶を持っているのだが、この花瓶は家内がいつからかどこからともなく集めたもので、わたし自身はなんとなく素材を選ぶそのセンスは評価している。
          

 ちょっと撮影的にアングルどりに難点があるが、これは、春の庭先の雪柳にやや開きすぎている真っ赤な花のアネモネである。しんとした背景に対し花の配色やバランスがうまくおさまった。そして、次は、うすい水色の塔状のガラス瓶に、ごくありふれた日の丸のラッパ水仙の一輪挿しである。水仙は庭に5,6種類は植えてあるが、これが一番ポピュラーだろう。どちらも、春の華やいだ季節感と質感をコンパクトにまとめている。
        
コメント
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