ふくい、Tokyo、ヒロシマ、百島物語

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

般若心経

2008年03月13日 | 千伝。
今日、ふと感じたこと・・。

父の死後、般若心経を毎日あげていたら、いつのまにやら般若心経を丸覚えしていました。(笑)

そう言えば、英語学習の場合も、同じでした。
毎日毎日・・音楽テープやCDをずっと聴いていました。
スージ・クアトロ、ジェネシス(フィル・コリンズ)、ジャパン、ビートルズ、ホワイトスネイク、ロッドスチュアート、U2、エンヤ、ボン・ジョビ、レッドツェペリン、ディープパープル、カーペンターズ、アバ・・どれも懐かしいです。

今日のタイトルは、ビートルズの数々の名曲を抑えて、数年前、英国歌史百年の人気No.1になったクィーンの「ボヘミアン・ラプソディ」にしたかったのですが、あえて、般若心経にしました。

声を出してなぞえることは、同時に、個人的な片思いの狂おしさ、急速な円高、株安による財産の目減り・・等々が、一切合財どうでもよくなるような感覚になります。(笑)

例えば、年収12億円の人間と年収120万円の人間の差異は、何でしょう?
貧富の格差は、勿論でしょうが・・それ以外は、何でしょう?

般若心経の中でも、もっとも気にかかる心経の文言です。

心無罣礙。無罣礙故・・心を覆う煩悩が消え、消えると
無有恐怖・・恐怖もなくなる。
遠離一切顛倒夢想・・一切の顛倒した夢想(想念)から離れることができる。
究竟涅槃・・究極の悟りを得る。

努力とは、毎日実行することかもしれません。

Carry on ・・ Carry on♪

ベニスに死す

2008年03月12日 | 千伝。
ドイツの大作家トーマス・マンが、ベニスに滞在した時の自伝を基にデフォルメした作品である。

展開は、老作家が、ベニスに滞在中に10代初めの美少年に魅せられて、ストーカー行為を行う物語である。

最近、埼玉の高校校長が、教え子の20代の女性に脅迫メールを送りつけたりする世相である。

ただ、老いらくの恋にしろ、色恋に狂う欲望の顛末は、相手を苦しめ、周囲を泣かせ、悲哀がつきまとう。

他人事だと冷静に観察できるが、自分事になると、色恋というもの・・誰もが自分自身を見失うようである。(笑)



さて・・水の都「べネティア」もしくは「ベニス」には、妙な思い出がある。

宣伝をしなくても世界中から観光客が、訪れる「水の都」ベニスである。
だが、ベニスは、写真で見た方が、何倍も美しい。(笑)

迷路のような路地と入り組んだ橋が運河の上を結んでいる。

ちょっと傾いたピサの斜塔を思わせる小さな教会が、ベニスにある。

その教会の裏手から路地に入ると、漁港のような一角に入る。

その辺りは、殆ど観光客が足を運ばない、とても静かな入り江のような浦がある。

そんな場所で、ボケ―と座って時間を過ごしていたら、東洋人の女性二人が歩いてきた。

まさか、こんな場所でと・・・向こうも同じように考えていたかもしれない。
日本人かなぁ、と思いながら、お互いに「コンニチワ」というと、日本人だった。

姉妹で、妹さんの方が、地元のベニス人と結婚して、ベニスで暮しているとのことだった。
お姉さんは、たまたま東京から妹さんに会うために旅行で来たとか・・・

ベニスに憧れて、ベニスに来て、伴侶を見つけて、ベニスで暮しているとか・・。

人生目標の達成度を心得た達人の部類に入る。(笑)

その場で、30分から1時間ぐらい、そんなお話をしたのかと思う。


「ベニスは、楽しいですか?」と、ぼくが尋ねる。

逆に、「ベニスは、楽しいですか?」と聞かれた。(笑)

正直、楽しい街「水の都」とは思えなかったが、ベニスに暮す相手に対して、そんな事は言えない。

「不思議な街ですね」と答えた。

「暮してみたいですか?」と聞かれた。

「・・・」と、ぼくは、沈思思考。


彼女のお姉さんが、間を取り繕うように笑った。

妹さん想いのお姉さんである。

その場を去ったあと・・夕方、偶然、観光客でゴッタがえす大きな橋の近くで、バッタリ出会った。

イタリア人の御主人共々、三人で、これから観劇に行くと言う。

冗談めかしで誘われたが・・楽しそうな雰囲気をみるだけで嬉しくなった。


「ベニスに死す」という小説、映画がある。

人生という旅の終りの場所は、「死」である。

手の届かない若さ、妄想、甘美の世界・・。

ベニスは、ある意味で彼岸の場所のような佇まいがある。

今でも、あの人生の達人は、ベニスに暮しているのだろうか・・ 。

福を呼ぶ方法

2008年03月11日 | 千伝。
今日は、甘いものをたくさん食べました。

東京みやげの「銀のぶどうのショートケーキ」・・
金沢みやげの「加賀福と和菓子」・・
メロンも美味しかったです。

音読みで、(ふく)を検索。
複 拭く、副、吹く、噴く、葺く、覆、幅、復、伏などがありました。 

拭くは掃除、掃除も福を呼びます。
良い服は、良い福を呼ぶということにつながります。

また、ほらを吹くは、自分を精一杯アピールするという意味で福を呼ぶかも知れません。(笑)

人の目を気にしながら生きるより、自分の肉体を鍛えたほうが、福が漲ってくるような気がします。
  
父の二度目となる月命日の今日は、たくさん食べ過ぎました。

腹筋をきたえて、福を呼びます。

日々、暇さえあれば腹筋ならぬ福筋運動です。

寓話

2008年03月11日 | 千伝。
その男は、奴隷として何度も売買されたようです。

おまけに、分厚い唇を持ってせむしでがに股歩きで、非常に醜い男だったそうです。

その男は、無邪気な童話を書きました。
ある意味では、風刺でもあります。

池の中のカエルが、石を投げる子供に言った。
「君達には遊びだが、オレ達には死だ」

紀元前600年頃、ギリシャに生きた、その男の名前は、イソップと言います。

時代を超えて、過去の優れた人物直接会うことはできませんが、書物を通じて、彼らの人生から何がしかを学ぶことができます。

時代を超えた智慧ある人物の声は、大きな力となるでしょう。

身心一如

2008年03月11日 | 千伝。
先日の早朝、心の時代を聴いていた・・。

広島県三原市にある仏通寺の管主に38歳で就任し、その後、その身分を捨てて、帝京大学医学部に45歳で入学した同年代の男・・。

一禅僧と一医者として現在52歳の住職が言うには、心よりまず、身体だという。

健康体があって、はじめていろんなものが充実するということであった。

それで、心身一如ではなく、身心一如という所以である。

無窮花(むくげ)

2008年03月10日 | 千伝。

1988年、韓国でのソウルオリンピック以前の話である。

ソウルの街を歩けば「日本人の方ですか?いい娘いますよ」と声をかけられる。
とても品のいい格好をしているわけではない。
Gパンに白のジャケットを羽織っているだけなのに日本人だと判るのである。

うんざりしている頃、とても純朴そうな青年が、巧い日本語で話かけてきた。
「わたしは、日本語を勉強しています。もしよろしければ日本語の勉強のためにソウルの街の観光案内をさせてください」

時間を持て余していた自分にとっては、好都合だった。

彼は、「安上がりだからバスに乗って街を見学しましょう」と提案してきた。
勿論、ぼくも同意した。
やってきた巡回バスに乗り込むと、何故か彼の友人が乗っている。
彼は、素早く「日本語を勉強している友人の一人です」と紹介するのである。

「何か変だなぁ・・」と思いながらも、彼ら二人は、ぼくに面白おかしく建物の由来やら韓国の生活習慣を話してくれた。

夕暮れ時、「一緒に食事しませんか?楽しいお店があります。もし良かったら日本語を勉強している女友達も呼んでいいですか?」ときたもんだ。
「これはボラレル」と気づいた。

でも、気づいた時には遅いのである。(笑)

笑顔を装いながら、ぼくは答えた。

「日本人は、ぼくだけですか?見ての通り、ぼくは金も無いですし、今日レストランで食事をしたら明日から水だけの生活です。ぼくは、ソウルに遊びに来たわけではありません。今日は、このぐらいで・・」

しばらく、彼は、ぼくの顔を覗きこむように考えていた。

「わかりました。よろしければ、明日、またご一緒にお供をさせてください」と彼は聞いてきた。

その顔と声の凄みは、すでに純朴な青年のものでは無く、断れば、今すぐにでも「鋭利なナイフでおまえを刺す」というような威圧感である。

まずいかなと思いながら、彼にソウルの滞在先の安ホテルと部屋番号を教えた。
「翌朝10時に迎えに行く」と一言残して、彼は去った。

その晩、いろんな事を想定しながら「彼」の人物像を想像した。

翌朝、彼は、時間通りにホテルの部屋までやってきた。
狭い部屋を一通り見渡すと、以前の純朴そうな青年の笑顔に戻っていた。

彼は、「お願いがあります。今日一日だけ、わたしの友達になってもらえないでしょうか?」と、ぼくが考えもつかなかったことを切り出してきた。

彼の計画は、こうである。

ソウルで愛人を囲う日本人から搾取する。
愛人の親戚友人と名乗り出て、日本に帰っても仲間がいることを知らしめる偽装の役割が、ぼくなのである。

ぼくは、「今日限り」だという条件を出した。

まずは、ソウルの超高級ホテルに向かった。
相手は、当時かなり手広く地上げをしていた日本の不動産屋の会長だった。

彼は、その会長に「将来は、日本に行って日本語を勉強したいです。その時はよろしくお願いします」と、きちんと畳み掛ける挨拶をした。

その礼儀正しさに、会長は、「ステーキを食べろ」と札束を投げ出したのだ。
これには、驚いた。

つまり彼は、会長の愛人と初めから共謀しており、貧乏で真面目な韓国青年を演じていたのである。

困ったことがあった。任侠道の会長が、ぼくを胡散臭そうにする質問攻めである。
妙なことを口走れば見破られる。
下手な事をすると両方から殺される。
こういう場合は、正直さが勝つ。

「昨日、彼と偶然街で会って意気投合した友達です。日本人です」とだけ、しっかり答え、あとは黙した。

夜が来た。
今度の相手は、日本のオリンピック競技使用のメインがテニスボールを作っているスポーツメーカのオーナーだった。

愛人が日本語を喋べれないので、彼が愛人の気持ちを日本語に通訳して、パトロンの日本人に伝える役目である。

彼は、それはそれは熱心に「いかに彼女が、あなたのことを愛しているか・・」延々と喋ったのである。

感無量の日本人は、ぼくたちを連れて何軒もの高級クラブをはしごをした。

ホテルに戻ったのは、夜明け前だった。

一日ぐっすり寝て、韓国を離れる前日に彼から連絡を貰った。
「自宅に招待したい」と言う。
彼の家は、建設中だったオリンピックスタジアムに割合近いところにあった。
韓国人の家庭の中に入るのも、食するのも全部初めての経験である。

散歩しながら、彼は、日本と韓国の違いを噛み砕くように話した。

「一人対一人ならば、韓国人は、絶対に日本人に負けません。でも集団になると、日本人は強くて優雅です。桜の木のようにです・・。知っていますか? 韓国の国の花は、無窮花です」

「日本人が桜の花のようだと考えたこともないし、ごめん。韓国の国花も知らない・・。」

彼は、翌日キンポ空港まで見送ってくれた。

「朝鮮」の語源は、朝に鮮やかに花が咲く「ムクゲ」の花だという説もあります。

フィンランド

2008年03月09日 | 千伝。
この頃・・北欧のフィンランドが、やたらと日本のお手本となるべきモデルの国として持ち上げられている。

ほんの20年前、フィンランドは、森と湖の国、サンタクロースとムーミンの故郷、農業林業を中心としたヨーロッパでは、今ひとつインパクトのない国だったイメージがある。

ところが今や、教育先進国として、福祉先進国として、工業立国として注目を集めている。
たかだか、北海道のほどの面積に人口500万人ぐらいの国・・フィンランドである。

昔、フィンランドに永住しようかと考えていた頃があった。
一緒に机を並べて学んだフィンランドの方と非常に仲良くなったのが理由であるが・・。

当時、日本の中曽根首相が、「国防を怠れば、フィンランドのようになる」と揶揄した頃でもあると記憶している。

最近、日本でも教育にディベート(debate)の活用を盛んに取り入れようという意見が増えている。
そうでないと、日本は、世界で発言力も影響力もない国家になるという立派な意見である。

要は、あるテーマについて異なる立場に分かれ議論するノウハウを身につけることなどを意味する。

小生、恥ずかしながら、そのディベート教育を数多く体験している。

つまりは、相手に対して、いかに発言して「説得から納得」に転換させられるかというノウハウでもある。

各国国々のスタイル、個性もあるが・・そういうディベートの場で、一番迫力も説得力もなかったのが、あのフィンランドの女性と小生だった。(笑)

やたらに主張が強いドイツ人・・
のんべんだらりのイタリア人・・
筋を通したデンマーク人・・

今でも憶えているが、コルシカ島からやってきた方に、わざと「おまえは、フランス人か?
イタリア人か?」と意地悪な質問を投げつけた輩がいた。

欧米では、「沈黙は金ではない」と言うが・・実は、沈黙が雄弁に優れる場合もある。
ディベートは、往々にして無理強いにしてでも説得させようとすることがある。
当然、顔には出さないが、心情的には反発している。
そういう場から立ち去りたくなるような場面が、たくさんあった。

「和を持ちましょう。右翼でもなく左翼でもなく、まんなかを取って、なかよく です」

このジョークを、英語で巧みに言い表せなかった思い出もある・・。(笑)


さて、そのフィンランドから来た女性ですが・・
小生の誕生日に、ケーキを作ってくれて、ケーキのうえに乗ったチョコスプレーが、テーブルの上にこぼれたのを指で拾い集めていたのが微笑ましく印象に残っています。

雄弁な方や頭の切れる人間は、恋に落ちません。
恋は、盲目だから・・。

彼女から手渡されたノートに書かれていた、小生へのメッセージでした。

大好きな国・・フィンランドです。

拝む心

2008年03月08日 | 千伝。
Soul Mateとは、一体誰なのだろう?

日曜日は、太陽を拝みましょう。
月曜日は、月を拝みましょう。
火曜日は、火を拝みましょう。
水曜日は、水を拝みましょう。
木曜日は、木を拝みましょう。
金曜日は、金を拝みましょう。
土曜日は、土を拝みましょう。
意識して生活すれば、一週間が、活きてくると思います。
 
因みに、今日は・・土曜日でした。
畑仕事でもするような意識で、時間を費やすことが充実につながるかも知れません。

泥臭く・・拝む心でいきましょう。

木曜日は、大工さんのように・・
火曜日は、コックさんのように・・
水曜日は、消防士のように・・
そんなために名前があるのかどうか分かりませんが、意識しましょう。

それから、職業を選ぶ場合でもなんでも、レベルの高いほうから無駄でも挑戦していったほうが、良いかと思います。

私も何度か転職しましたが、行き渡りバッタリでは無駄が多いです。
無駄でも、もっと高く自分を売り込みに行けば、扉は開きます。
 
いろんな手を「曜日にあわせて」・・素敵な一週間にしましょう。

楽しい一週間になりますように♪

夕凪の街 桜の国

2008年03月08日 | 百伝。
今日の午後、県立図書館での漢字学習講座(応用編)は、中止。

JR北陸線が不通になっており、講師が京都から来られないとのこと。

福井出身の白川静先生(白川文字学)の世界を体系化した講習会でしたが、何となくほっとしました。

コミック単行本「夕凪の街 桜の国(こうの史代)」を読む。

よくできた構成に感心する。

原爆投下直後のヒロシマは、灼熱にような地獄絵図だったと・・母から何度も聞かされた。

黒い雨が降ったときは、恵みの雨だと思い、当時16歳だった母は、喉を潤したとか・・。

その後、2~3年間病弱で寝たっきりだったらしい。

一方、その頃、父は、マレー半島のジャングルで飢えに苦しんでいたと・・何度も聞かされた。

野草を摘み、魚を採り、でんでん虫やへびまで探して食べていたらしい。

その後、テング熱やらマラリアに罹ったらしい。

朝、隣町に近い郊外の田園地帯まで出かけて、その界隈をちょっとジョギング・・。

走りながら、胸を打つ台詞が心を駆け巡っていました。

「あんた被爆者と結婚する気ね?」
・・
「うちは、この世におってもええんじゃと教えてください」
・・
「ええんじゃ 生きとってくれて ありがとうな」

思秋期

2008年03月08日 | 千伝。
父と母は、来年で結婚60周年を迎えるはずだったが・・残念ながら、今年、父が逝った。

「真面目に生きていると見せるのも、なかなかツライものがあったんだよ」と母が、諭すように、いとこに話かけていた。

父の兄も弟も、離婚している。
母の弟も、離婚している。
それだけではない・・離婚は連鎖するのである。
我が家の親類、身内を見渡すと、異様に離婚が多い親戚一族なのである。

だからこそ、父と母は、何度も離婚の危機があったのにもかかわらず・・最後の砦を守るような決意で無理に別れなかったのかもしれない・・実際、そんなことも言っていた。(笑)

小生、子供の頃からドロドロとした身内の離婚の悲惨さを学ぶ機会を多く得た。
その原因が、不倫でもあり、金銭トラブルでもあり、性格不一致でもあり・・当人とっては、大変な心痛だったろうが、傍から見る立場からでは、至極単純な心痛にも映った。

馬鹿な大人たち・・小生の子供の頃の実感想である。

離婚後・・残された小生のいとこ達は、不憫だった。
それこそ、なるべく真面目に生きている姿勢を無理して自分に課すような生き方もする。
善良な人格である。

時々、大人になると心に巣食う闇や欲が、無性に震えて痛む。

心を壊すな。

まともな生き方って・・情熱だろうか? 自由だろうか?

父は、上手に言っていた。
「自分の人生で一番幸運だったのは、母と結婚したこと」

母は、言う。
「自分の人生で一番辛くて後悔するのは、父という一人の男しか知らなかった」
つまり、恋愛のチャンスもなかった人生と言う事らしい。(笑)

真面目に生きてみせるのもツライものである・・。
母の言葉に実感する今日この頃の思秋期である。

お手本と示すべき、父と母は、人生を明るく燃やしてくれた。

苦しい時こそ、単純至極に考えないと・・。(笑)


世にも不思議な巡り合わせ

2008年03月07日 | 千伝。
よく行く場所があります。

家内と息子のルーツでもあり、その田園風景、山の背は、小生のお気に入りの場所です。
以前は、よく、この界隈をジョギングの練習場所として走り周っていました。

さて、前世での因縁とか・・有るような無いような不思議な体験をしたことがありますか?

そんなものを信じてもいない小生ですが・・
この一週間、ずっと不思議な巡りあわせに目を白黒としています。

たとえば、こういう小生の前世の話があると仮定します。

数百年もの昔、とある長閑な小さな村・・その小さな村の中の、さらに小さな集落に美しい二人の娘が暮らしていました。

小生は、若者になり結婚する年頃になりました。
そして、そのどちらかの娘と結婚することを村の長から命じられました。

ひとりの娘は、同い年くらいで幼い頃から一緒に遊んでいて気心も通じ合っていました。
もう一人は、自分の妹のような娘で、何かと世話をするような間柄でした。

小生は、二人の娘をともに深く愛していて、そのどちらも悲しませることができず、結局、結婚を選ぶことができませんでした。

その結果、小生は、村を離れて都よりも遠い西国の方へと旅に出ました。

・・・  ・・・

それから数百年以上の歳月が流れて、この世の現在に、それぞれが生まれ変わりました。

この人しかいない・・そう感じて地球を一周半して追いかけた家内は、結婚後・・とある街の郊外にある不思議な場所を案内してくれました。

その場所は、彼女の遠い先祖からのルーツにあたるようです。

その時、見た見憶えの田園風景と山々の峰・・不思議な感覚に襲われました。
いつか見たであろう深淵に眠る記憶の風景なのでしょうか・・ものすごく落ち着きました。

それから、小生のお気に入りの場所となり、プールも近くにあるし、この界隈をよくジョギングしたものです。

そして、20年の歳月が過ぎました。

ふと知ったあの人のルーツです。
家内のルーツと、あの人のルーツは、隣家にも等しい・・奇蹟のような事実を、ほんの数日前に知りました。

小生に関する・・世にも不思議な巡り合わせです。
いづれにせよ、一生涯・・個人的に忘れらない強烈な事実になりました。

あの世とこの世の境があれば、それぞれの魂の念が、行ったり来たりしているのかもしれません。

もし、その魂という念の存在があれば、その念に喝です!

お互い・・この世では、幸せになりたいものです。
いいえ、幸せを全うしなけばなりません。


こころをば なににたとへん
こころは  あぢさいの花
ももいろに 咲く日はあれど
うすむらさきの思い出ばかりはせんなくて。
(萩原朔太郎詩集)

なせばなる

2008年03月06日 | 千伝。
雪降る空を見上げていると、鳥同士が空中戦をしていて、しのぎを削っていました。

多分、海の中もそうでしょう・・魚同士も追いつ追われつの闘いがあるはずです。

ましてや、人間社会・・平凡に見える水面下では、さまざまな争いが渦を巻いて、苦しんでいる人間が多勢いると思うのです。

それでも思う事があります。

例えば、将来が不安だという親子がいるとします。
自分の生き方に自信が持てないという若者がいるとします。

甘えていると思うのです。
もっと考え抜いて、悩み抜いて、苦しみ抜いてほしいのです。
それこそが、人生の本質ではないかと思うのです。

経済的な弱者の立場ならば、それを前提とした生き方しかできないのです。
つまり、諦めるのではなく、見極めて生きてほしいのです。

努力や根性や忍耐という言葉が、廃れつつある日本の現代です。

小生もしかり。

・・努力や根性や忍耐という言葉は、敬遠したいです。(笑)

人間の値打ちは、通り過ぎた道ではなく、そこで何を覚えたか・・その気持ちや心構えだと思うのです。

それこそが、困難を乗り越える力となる元気、勇気につながると思うのです。

いつも朗らかに!

ひとり旅

2008年03月05日 | 千伝。
四月に計画していた家族での英国旅行は、小生の都合で難しくなりました。

中学生の息子が、東京に行きたいというので・・春休みに、ひとりでゆく東京への旅を薦めてみようかと考えています。

息子は、まったくテレビも観ない、新聞も読まない・・仕入れる情報は、すべてネットからです。
(バブル以降の若い新富裕層も全く同じような傾向にあって、彼らはテレビ、ラジオ、雑誌からの一般情報や広告よりも、ネットからのもっと高品質な情報を求めているのではないかと推測できます。)

東京には、身内の家族も住んでいますが、それに頼ることなくホテルの宿泊費用も含めて、与える予算内での情報を仕入れて計画を立たせるつもりです。

息子には、無人島でも奥深い山中でもサバイバルできる能力を身につけて欲しい・・
そんな人間に成長してほしいと願っています。

学習能力も勉強ができなくてもいいのです。
バランスがとれた優しさと逞しさを保ちながら生きてほしいものです。

さて、今日は、小生のはじめてのひとり旅を書くつもりでしたが・・
いつだったのやら?

人間は、思春期の頃から、ずっと迷いの連続です。
おそらく死ぬまで、心の迷いが続くのでしょう。

それならば、たとえ、サバイバルのような過酷な迷い道であっても・・
その迷い道を、楽しみながら一歩一歩と進んで行きたいものです。

他生の縁

2008年03月04日 | 千伝。
最近、「この街で♪」という歌が、よく流れています。
ヒットしているのでしょうが、小生・・この歌、嫌いです。(笑)

テレビの旅番組「いい旅、夢気分」にエンディングにも使われているとか・・
このテレビ番組、時々、学生時代の友人の名前をテロップで見つけることがあります。
選曲ミスではないのか?・・と彼に訊いて見たくなったりします。

昔、山口百恵さんが歌っていた「いい日、旅立ち」という名曲があります。
今でも、JR西日本のDiscover Japan CMソングで谷村新司さんが歌っています。

♪いい日旅立ち・・ああ 日本のどこかに 私を待って居る人がいる♪

これに対極する歌が・・「この街で♪」となるかもしれません。(笑)

この街で生まれ この街で育ち♪
この街で出会いました、あなたとこの街で
この街で恋し この街で結ばれ
この街でお母さんになりました、この街で
    ・
     ・
この街でいつかおばあちゃんになりたい
おじいちゃんになったあなたと歩いてゆきたい
この街でいつかおじいちゃんになりたい
おばあちゃんになったあなたと歩いてゆきたい
いつまでもあなたと歩いてゆきたい ♪

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

これは、愛媛県松山市の「だからことばの大募集」で市長賞を受賞した主婦の
「恋し、結婚し、母になってこの街でおばあちゃんになりたい」
をもとに出来上がった歌だそうです。
加えて「千の風になって」・・あの荒井満氏の作詞作曲です。

ほのぼのとしますが・・

♪私のお墓の前で 泣かないでください そこに私はいません 眠ってなんかいません♪
・・これ同様に??です。

同じ街で生まれ育ち結ばれて、おじいちゃん、おばあちゃんになるまで・・
そして、死ぬまで同じ街で生きるなんて、小生は、到底無理です。
いいえ、無理でした。

時代錯誤の恋愛観、結婚観、人生観では・・?
父や母の世代ならいざしらず・・昭和30年代までの時代感覚ではないかと思ったりもします。

ましてや、大都会では、国際結婚が約50%ほどに達する勢いで、田舎では、全国または海外からも花嫁を募集している社会現状です。

地方の中小都市を「街」としてテーマに掲げて、ほのぼのした生活観、人生観、幸福観が漂い、離婚も別離のイメージの欠片もない・・

・・そんなシンプルな人間愛、人生なんてありえません。

国民のほとんどが、初恋の人と結ばれて人生をまっとうするようなものです。

哀しいかな・・初恋という存在は、1:1という異性間の平等均等ではなく、100:1ぐらいの同性間での争奪戦です。

今日、ふと赤い糸のような運命の巡り合わせについて考えていたら・・
「この街で♪」というほのぼのとした歌が流れてきました。

小生・・この歌、嫌いです。(笑)

この街で結ばれる一生も、結ばれぬ一生も・・
他の街で結ばれる一生も、結ばれぬ一生も・・

大都会で結ばれる一生も、結ばれぬ一生も・・

この田舎で結ばれる一生も、結ばれぬ一生も・・
他の田舎で結ばれる一生も、結ばれぬ一生も・・

・・既婚者であろうが独身者であろうが、すべての一生涯が、他生の縁です。

心安らぐ心善き「縁(えん)」が沢山多く見つかりますように♪

桃の節句

2008年03月03日 | 千伝。
出会いがあります。
秘めた想いほど、一生涯忘れられないものになるのでしょう。

今日は、雛祭り。
雛祭りの世界とは無縁の男ばかりの兄弟のなかで育ったものですから、独特な世界観を眺めるような面持ちがあります。

今朝の深夜便のラジオで、桃の節句の「桃」という字は、木へんに兆と書いて、千万兆の多くを生み出すという意味と、兆(きざし)という意味があって、梅や桃は、生む兆しといって春を招く、「めでたい花」ということでした。

加えて、ブログ仲間のMさんによれば・・

「桃(もも)」というのは・・

燃実(もえみ)、百味(ももみ)の意味から名づけられたといわれ、その実は古くから、仙人が支配する3つの仙果の一つとされ、邪気をはらう霊力があるとのこと・・。

ところで、昨日、比叡山1000日修行をした大アジャリの話によると、修行中は、生きるか死ぬかの二つの命題しかなく「生きていれば、それでよい」という答えでした。

最後の九日間のお堂入りは、不眠不休の断食で、まさに生き仏となる九日間で、ものすごく長い九日でもあるとの由。
 
若い頃は、この世は、楽を是とするもので、修行などとんでもないと敬遠していたが、本当の楽は、行(ぎょう)のあとにあるものだそうです。

一日一日、修行に向かい合いましょう♪