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八尾市神立6丁目の 「 茶屋辻 」 から十三街道を登って行く
茶屋辻には、お地蔵様・説明文・道標がある
石碑の文章は⇩
神立茶屋辻
この街道はむかし大阪玉造と大和竜田を結ぶ重要な道筋にあたりこの辻には多くの茶屋が並んでいたのでその名がある。また在原業平と茶屋娘の恋物語りで名高い。 業平が峠を越え玉祖神社へ参詣の途中、福屋の娘梅野をみそめたが、ある夜東窓があいていたので中をのぞくと、娘が手づからでめしを食っているので、急に興ざめ逃げ帰った、娘は後を追ったが見あたらず悲んで渕に身を投げた。 この高安の里では、今でも東窓を忌み、これをあけると娘の縁が遠くなるという伝説がある。 この道を登ると水呑地蔵、十三峠がある。
八尾市教育委員会
左の道標には 「 史跡の道 」 と書いてある、史跡の道 = 十三街道のようだ
すぐ近くに
君来むと いひし夜毎に過ぎぬれば
頼まぬものの 恋ひつつぞ経る
・・・業平に振られた娘の詠んだ歌のようだ
街道沿いにはお地蔵様がたくさんいらっしゃる、全部で40体以上いらっしゃるようだ!
なぜ こんなにたくさんのお地蔵さまがいらっしゃるのだろう?
街道沿いに渓流が流れている
ヘアピンカーブの急坂を登れば、巨大な木が現れる
木のそばには道標
道標には 右 たつた、左???、 右側にある小さな石には 「 十三峠 」、左側には 「 かわちごえ 」 と書いてある
昔の旅人は、くづした文字や漢字など全部読めたのでしょうか?
幾星霜を感じさせる石垣
もう少し登って行けば 「 神立園地 」、その中に巨大な 「 ヌマスギ 」
青い空に葉を落とした木
さらに上って行くと視界が開けた
大阪市住之江区の 大阪府咲州庁舎、その右に赤い港大橋
港大橋の右にはあべのハルカス が霞んで見える
もう一息で水呑地蔵の展望台
水呑地蔵の展望台より
大阪府咲州庁舎、その右に赤い港大橋、その右にあべのハルカス
手前は水呑地蔵のすぐ下、紅葉もほとんど終わりです、遠くに大阪市中心部のビル街がある
駐車地付近へ戻ってきたら、モクレンでしょうか? たくさんの蕾を付けていた
茶屋辻から水呑地蔵までの距離はそんなにないが、コースは急坂の上り路。
写真を撮ったり休憩したりで、ヨタヨタと1時間以上かかってしまった、でもいい運動になりました。
八尾市神立6丁目の 「 茶屋辻 」 から十三街道を登って行く
茶屋辻には、お地蔵様・説明文・道標がある
石碑の文章は⇩
神立茶屋辻
この街道はむかし大阪玉造と大和竜田を結ぶ重要な道筋にあたりこの辻には多くの茶屋が並んでいたのでその名がある。また在原業平と茶屋娘の恋物語りで名高い。 業平が峠を越え玉祖神社へ参詣の途中、福屋の娘梅野をみそめたが、ある夜東窓があいていたので中をのぞくと、娘が手づからでめしを食っているので、急に興ざめ逃げ帰った、娘は後を追ったが見あたらず悲んで渕に身を投げた。 この高安の里では、今でも東窓を忌み、これをあけると娘の縁が遠くなるという伝説がある。 この道を登ると水呑地蔵、十三峠がある。
八尾市教育委員会
左の道標には 「 史跡の道 」 と書いてある、史跡の道 = 十三街道のようだ
すぐ近くに
君来むと いひし夜毎に過ぎぬれば
頼まぬものの 恋ひつつぞ経る
・・・業平に振られた娘の詠んだ歌のようだ
街道沿いにはお地蔵様がたくさんいらっしゃる、全部で40体以上いらっしゃるようだ!
なぜ こんなにたくさんのお地蔵さまがいらっしゃるのだろう?
街道沿いに渓流が流れている
ヘアピンカーブの急坂を登れば、巨大な木が現れる
木のそばには道標
道標には 右 たつた、左???、 右側にある小さな石には 「 十三峠 」、左側には 「 かわちごえ 」 と書いてある
昔の旅人は、くづした文字や漢字など全部読めたのでしょうか?
幾星霜を感じさせる石垣
もう少し登って行けば 「 神立園地 」、その中に巨大な 「 ヌマスギ 」
青い空に葉を落とした木
さらに上って行くと視界が開けた
大阪市住之江区の 大阪府咲州庁舎、その右に赤い港大橋
港大橋の右にはあべのハルカス が霞んで見える
もう一息で水呑地蔵の展望台
水呑地蔵の展望台より
大阪府咲州庁舎、その右に赤い港大橋、その右にあべのハルカス
手前は水呑地蔵のすぐ下、紅葉もほとんど終わりです、遠くに大阪市中心部のビル街がある
駐車地付近へ戻ってきたら、モクレンでしょうか? たくさんの蕾を付けていた
茶屋辻から水呑地蔵までの距離はそんなにないが、コースは急坂の上り路。
写真を撮ったり休憩したりで、ヨタヨタと1時間以上かかってしまった、でもいい運動になりました。
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