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龍田古道(龍田道)は飛鳥時代、奈良時代において大和の都と河内を結ぶ官道として置かれ、『日本書紀』の中で推古21年(613年)11月に「難波より京に至る大道を置く」とあり、斑鳩に居を構えた聖徳太子が設置したわが国最初の官道であったと考えられています。・・・奈良県歴史文化資源データベースより
今日は、大阪府柏原市雁多尾畑のココへ行ってきました、奈良県生駒郡三郷町の隣町である
龍田古道も有名になったもんだ、3か国言で書いてある!
こんなサクラを見ながら坂道を上ってゆく
駐車場へ車を停めて ~ 桜の園の中を通り ~ 坂道を下って 三郷町の展望台へ向かう
個人や法人が協力しているのか? いろんな名前の立て札が立っている
里山公園のサクラはまだツボミである、赤いツボミもなかなか魅力的だ
あちこちに有名人の歌が掛かっている
“ ちはやぶる 神代もきかず たつた川
から紅に 水くくるとは ”
これは有名な歌ですネ
一時は強くて人気の関取だった龍田川関が落ちぶれてしまった
以前の彼女であった ちはや の所へ行って、カネを貸してくれ と頼むが、ちはやに振られてしまう
しかたがないので、今は豆腐屋をしてる 神代 の所へ行って、オカラでも恵んでくれと頼むが冷たく断られる
もうこうなったら死ぬしかないと龍田川関は川に身投げをしてしまう
ちはやに振られて、神代も冷たい態度、なんと悲しい話でしょうか???
龍田神社本宮跡の石碑を見ながら坂道を下る
昔の面影は全くない、山の中に ただ石碑だけ
さらに下って 三郷町の龍田古道の展望台へ到着
50歳代らしきおモトお嬢さんが4人、展望台でおしゃべりしながら休憩してる
昭和初期の大規模な地滑りでトンネルも線路も崩れたため、この橋を架けて鉄路を大和川左岸へ移した
その橋をJRの快速列車が走る
龍田古道を引き返して駐車場の方へ戻る
こんなツボミを見ながら
途中で出逢った人から 「 公園の端っこに河津桜が満開に咲いている 」 と聞いたのでそちらへ向かう
みごとな眺めだ
グリーンをバックに一段と映える
桜の向こうは奈良県の三郷町方面、向こうに見えるのは矢田丘陵の南端だろう
大和の国には 戸建て住宅がぎっしり建ち並んでる
この場所だけが満開で、他のサクラは ツボミが赤くなってる状態でした。
龍田古道(龍田道)は飛鳥時代、奈良時代において大和の都と河内を結ぶ官道として置かれ、『日本書紀』の中で推古21年(613年)11月に「難波より京に至る大道を置く」とあり、斑鳩に居を構えた聖徳太子が設置したわが国最初の官道であったと考えられています。・・・奈良県歴史文化資源データベースより
今日は、大阪府柏原市雁多尾畑のココへ行ってきました、奈良県生駒郡三郷町の隣町である
龍田古道も有名になったもんだ、3か国言で書いてある!
こんなサクラを見ながら坂道を上ってゆく
駐車場へ車を停めて ~ 桜の園の中を通り ~ 坂道を下って 三郷町の展望台へ向かう
個人や法人が協力しているのか? いろんな名前の立て札が立っている
里山公園のサクラはまだツボミである、赤いツボミもなかなか魅力的だ
あちこちに有名人の歌が掛かっている
“ ちはやぶる 神代もきかず たつた川
から紅に 水くくるとは ”
これは有名な歌ですネ
一時は強くて人気の関取だった龍田川関が落ちぶれてしまった
以前の彼女であった ちはや の所へ行って、カネを貸してくれ と頼むが、ちはやに振られてしまう
しかたがないので、今は豆腐屋をしてる 神代 の所へ行って、オカラでも恵んでくれと頼むが冷たく断られる
もうこうなったら死ぬしかないと龍田川関は川に身投げをしてしまう
ちはやに振られて、神代も冷たい態度、なんと悲しい話でしょうか???
龍田神社本宮跡の石碑を見ながら坂道を下る
昔の面影は全くない、山の中に ただ石碑だけ
さらに下って 三郷町の龍田古道の展望台へ到着
50歳代らしきおモトお嬢さんが4人、展望台でおしゃべりしながら休憩してる
昭和初期の大規模な地滑りでトンネルも線路も崩れたため、この橋を架けて鉄路を大和川左岸へ移した
その橋をJRの快速列車が走る
龍田古道を引き返して駐車場の方へ戻る
こんなツボミを見ながら
途中で出逢った人から 「 公園の端っこに河津桜が満開に咲いている 」 と聞いたのでそちらへ向かう
みごとな眺めだ
グリーンをバックに一段と映える
桜の向こうは奈良県の三郷町方面、向こうに見えるのは矢田丘陵の南端だろう
大和の国には 戸建て住宅がぎっしり建ち並んでる
この場所だけが満開で、他のサクラは ツボミが赤くなってる状態でした。
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